おすすめ本レビュー

『中野ブロードウェイ物語』文化を生み出す異空間

首藤 淳哉2022年5月14日
作者: 長谷川 晶一
出版社: 亜紀書房
発売日: 2022/4/20
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中野の街にはランドマークがふたつある。ひとつは「アイドルの聖地」として知られる中野サンプラザ。もうひとつは中野ブロードウェイだ。

中野ブロードウェイは、中野駅北口からのびるサンモール商店街の突き当たりにある。地下1階から4階は商業施設で、大小さまざま、ジャンルも雑多な店が所狭しと並ぶ。その数は300軒とも350軒とも言われるが、誰も正確な数がわからない。権利関係が複雑化し店舗の入れ替わりも激しいからだ。しばしば「日本の九龍城」とも形容される。まさに「魔窟」である。

一方、5階から10階は200世帯以上が暮らす居住スペースだ。この居住者エリアに一度だけ入ったことがある。1995年4月9日、この日は東京都知事選挙の投票日だった。ご存知の通り都知事選は世界都市博覧会の中止を公約に掲げた青島幸男が圧勝した。青島は中野ブロードウェイに住んでおり、記者会見は5階の会議室で行われた。会見の途中ベランダから生放送の選挙特番でリポートを入れたのを覚えている。

初めて足を踏み入れた居住者エリアは、商業エリアとはまるでイメージが違っていた。エレベーターをおりると廊下にはじゅうたんが敷かれていた。カオスの様相を呈する商業エリアに比べ、こちらはクラシック・ホテルのようだった。

それもそのはず、1966年に誕生した中野ブロードウェイは、完成当時は「東洋一のビルディング」と言われ、高級マンションの先駆けだったのだ。屋上には居住者用のプールやバーベキュー施設、遊具などがあり、人気絶頂だった頃の沢田研二も住人だったという。

著者と中野ブロードウェイの関わりは深い。大学入学を機に独り暮らしをはじめた著者は、中野周辺に居を定めた。大学に通いながらライターの仕事を始めると、取材用の資料を中野ブロードウェイで調達するようになった。雑多な雰囲気が心地よく、館内を冷やかしながら自宅に戻る日がどんどん増えていった。気がつけば、中野ブロードウェイは著者の生活に完全に組み込まれていた。そして30代半ばとなったある日、階上の一室が売りに出ているのを発見し、衝動的に購入を決めた。こうして著者は晴れて中野ブロードウェイの住人となった。

2021年、中野ブロードウェイは竣工55周年を迎えた。

かつては高級分譲マンションとショッピングセンターが融合した最先端の文化施設だった中野ブロードウェイも、現在は「まんだらけ」に代表されるサブカル店舗群がひしめきあうオタクカルチャーの聖地として世界にその名を知られるようになった。変わらないのは、誕生当初からずっと、この建物が中央線文化圏の「顔」であり続けていることだ。

本書は中野ブロードウェイという特異な巨大建造物を主人公にした異色のルポルタージュである。この極めてユニークな施設を通して見えてくるのは、変わりゆく時代の流れとそこに集った人々の営みだ。ノスタルジーも未来も、このビルにはすべてが詰まっている。中野ブロードウェイの長年のファンであり、住人でもある著者だからこそ書けた魅力的な一冊だ。

中野ブロードウェイ独特の雑多な雰囲気を感じてもらうには、本書に登場するお店や人々を列挙するのがいいかもしれない。

サブカルアイテム全般を扱う「まんだらけ」、激安弁当の「シャルマン」(なんと今年3月末で閉店!)、8段ソフトクリームの「デイリーチコ」、演歌専門店「中野名曲堂」、老舗高級時計店「ジャックロード」、占いの「染心堂」「ばるばら」、伝説のサブカル書店「TORIO」、大槻ケンヂ、渡辺浩弐、タブレット純、沖縄電子少女彩、春日武彦、青島美幸などなど。

僕が初めて中野ブロードウェイに足を踏み入れたのは1989年である。九州の田舎で育ったサブカル少年にとっては憧れの地だった。著者とは同い年なので、その後90年代を通じてまんだらけが店舗数を増やし、オタクカルチャーの発信地として中野ブロードウェイが有名になっていく過程も目にしてきた。

むしろ本書で面白かったのは、サブカルの聖地になる前、60年代〜70年代の「ハイソでセレブなブロードウェイ」の時代である。青島美幸氏によれば、昔はデパートみたいに帽子をかぶって、制服を着たエレベーターガールがいたという。「当時は伊勢丹の上に住んでいるような感覚」だったらしい。

そんなオシャレな中野ブロードウェイの象徴がジュリーである。ザ・タイガース解散後、ソロ歌手になった沢田研二は当時人気絶頂だった。古くからの住人は、小学生の頃、エレベーターで一緒になったジュリーがリンゴをかじっていたのを見て、幼心にかっこいいとしびれたという。確かにエレベーターの中でリンゴをかじって絵になるのは、後にも先にもジュリーだけだろう。

中野ブロードウェイの開発者は、宮田慶三郎という人物である。この宮田の人生が実に面白い。詳しくは本書を読んでほしいが、時代の転換期によく現れるバイタリティあふれる人物だったようだ。歯科医であり、特殊合金の開発者であり、大脳生理学の研究者でもあった宮田は、50歳を過ぎて不動産業に進出し「東京コープ販売株式会社」を設立。原宿駅前の「コープオリンピア」や、桜丘の「渋谷コープ」、新宿御苑の「エンパイアコープ」などの高級分譲マンションを手がけた。ちなみにコープオリンピア1階の「南国酒家」は宮田の肝いりで誕生し、経営も自ら行ったという。本当に多才な人物である。

中野ブロードウェイにはいくつもの宮田のアイデアが詰まっている。新旧の建築関連法の間隙を巧みについて設計した結果、現在の「魔窟」を思わせるユニークな空間が誕生した。宮田は後に住民らによる自主管理委員会が発足したのをきっかけに中野ブロードウェイを追われることになる。このあたりの歴史は知らないことばかりで面白かった。

本書を読んでいると、新しい文化というものは異文化同士のぶつかり合いから生まれるのだということがよくわかる。中野ブロードウェイには常にこの異文化摩擦があった。例えば「ハイソでセレブ」なブロードウェイに「まんだらけ」が現れた当初は反発する店も多かったという。だが今はおさまっている。なぜなら「セレブとオタクの価値観が似ていたから」。「骨董品の壺に何百万も払うセレブと、ビニールフィギュアに何十万も払うオタクは意外と話が合った」のだという。

中野ブロードウェイは現在も新たな文化摩擦を抱えている。近年、高級時計店の出店ラッシュが続いているためだ。これらの店舗は買い取りが主で、販売はネット。顧客は海外の金持ちである。リアルな客を相手にしている店主の中には、このままでは人が集まらなくなると危機感を募らせる人もいる。

建物の老朽化も問題だ。館内ではたびたび漏水騒ぎがあるらしい(著者も元旦にトラブルに見舞われた)。なにより確実にやってくる巨大地震への対応は急務だろう。そんな懸念材料もある一方で、最近は若い子育て世代の住民が増えているという。時代ごとにその姿を変えながら、中野ブロードウェイは今も人々を魅了し続けている。

本書の終わりで、著者は中野ブロードウェイの100周年を夢想している。古い建物がそこまでもつ保証はないが、もしその時も中野ブロードウェイが存在していたなら、きっと現在からは想像もつかない形で世界にその名を轟かせているに違いない。

文化のダイナミズムを見事にとらえたノンフィクションである。