おすすめ本レビュー

『誰も断らない こちら神奈川県座間市生活援護課』 どんな人も見捨てない。困窮者支援の最前線からの報告

首藤 淳哉2022年7月6日
作者: 篠原匡
出版社: 朝日新聞出版
発売日: 2022/6/20
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • HonyzClub

世の中がなんだかギスギスしているなぁと感じるようになったのは、いつ頃からだろう。電車でわずかに肩が触れただけで舌打ちされたり、高速道路で妙に煽ってくる奴がいたり、そんな些細な個人的体験だけでなく、ネットでも誰かの足を引っ張るような言説が目立つようになった。みんな何かにイラつき、余裕を失くしていた。一見、攻撃的な姿勢の裏に、人々の不安が見え隠れしているような気がした。

おそらく誰もがその理由に思い当たるのではないか。日本社会が下降局面に入ったのだ。人口は減る一方だし、かつてのような経済成長もこの先望めない。言葉をかえれば、社会全体が貧しくなったのである。

本書は貧困問題の最前線で奮闘する人々を描いた一冊だ。読みながら驚きの連続だった。これまで知らなかった話が次から次に出てくるのだ。貧困問題について多少は知ったつもりになっていたが浅はかだった。現状は想像をはるかに超えて壮絶だったし、困窮者を支援する人々の熱意や工夫にも胸を打たれた。

本書の舞台は、神奈川県座間市である。県中央部に位置する人口13万人ほどの自治体で、面積は18平方キロメートルと神奈川県ではもっとも小さい。市の中心部にある市役所からスクーターに乗れば、隣接する相模原市、海老名市、厚木市、大和市との境には15分ほどで着くという。

この座間市が凄い。本書を読んで、座間市は日本の最先端をいく自治体であることを知った。なにがそんなに凄いのか。それは困窮者支援の基本的なスタンスにある。座間市の姿勢はこうだ。

「誰も断らない。どんな人も見捨てない。」

実際、座間市には他県からも困窮者がやってくるという。たとえ座間市と関係のない人でも決して見捨てずに面倒をみる。ここまで真剣に困窮者と向き合っている自治体も珍しい。

いま、「見えない困窮者」が増えている。

コロナの影響で仕事を失った人や、低賃金のキツい仕事の掛け持ちで体を壊してしまった人、生活を維持するために借金を重ね首が回らなくなってしまった人……。生活困窮者を総合的に捉えた統計はないが、バブル崩壊以降、経済の停滞が長引く中で、こうした人々が確実に増えていることは誰もが肌で感じているだろう。ましてやコロナ禍で困窮者の増加に拍車がかかっているであろうことは容易に想像がつく。

国も手をこまねいていたわけではない。2015年には生活困窮者自立支援法が施行された。生活困窮者自立支援法とは、生活保護に至る前段階の困窮者に対して、自立相談支援事業の実施や住居確保給付金の支給などの支援を提供するためにつくられた法律である。従来の生活保護の前に、もうひとつセーフティーネットを設けたわけだ。

生活困窮者とは、将来的に生活保護の受給に至る可能性のある人、あるいは日常的生活や社会生活を送る上で問題を抱えた人である。経済的な問題だけでなく、引きこもり、うつ、精神疾患、家族に問題を抱えた人などその対象は幅広く、生活保護のように一定の基準で線引きできない人々をカバーしている。

だがいくら国が制度をつくっても、「見えない困窮者」を可視化し、必要な手を差し伸べることは難しい。彼らの中には「まだ頑張れる」と無理を重ねる人もいれば、プライドが邪魔をして「助けて」と言い出せない人もいる。そもそも制度の存在を知らない人だっているだろう。「見えない困窮者」を見つけ出し支援につなげるのは、現場の知恵と努力にかかっている。この困難なミッションを遂行し成果を上げているのが、座間市役所・生活援護課と「チーム座間」の人々なのだ。

生活援護課は、座間市役所福祉部の課のひとつで、生活保護利用者から生活困窮者までを幅広く支援している。同課では57名のスタッフが働いているが、結婚式場の元カメラマンや信用金庫の元営業担当など、そのバックボーンは様々。この多様性が組織の柔軟性に一役買っている。

一方のチーム座間は、生活援護課が連携しているNPOや社会福祉法人、企業などの外部ネットワークである。就労支援や就労準備支援、フードバンク、居住支援、家計改善支援、子どもの学習支援、アウトリーチ(困窮者のもとを訪問し本人に直接働きかける支援)など、多岐にわたる事業を手掛ける。こちらも多様な背景を持つ人々が関わっている。

生活援護課が「断らない」ことを理念に掲げるのには理由がある。生活困窮者の置かれている状況が一人ひとりあまりに異なるために、じっくりと話を聞いて本人の状況を把握しなければ、適切な対応をとることができないからだ。

とはいえ、役所にできることには限界がある。その限界をなんとかしようと模索した結果が外部の組織や事業者との連携だった。こうして生活援護課とチーム座間がタッグを組むことになった。

興味深いのは、一歩役所の外に目を向ければ、そこにはとんでもない社会資源が眠っていたことだ。一言で言えば「地域の力」である。本書を読むと、役所にもチーム座間にもそれぞれキーマンがいたことがわかる。両者が出会い、協力関係が出来ていくプロセスは読み応えがある。また両者がスムーズに連携するために、さまざまな仕掛けや工夫がこらされていることも本書は丁寧に紐解いている。このあたりは他の自治体や地域の人にも大いに参考になるだろう。

それにしても、困窮者支援の現場は凄まじい。

高齢の男性から引きこもりの息子について相談を受け、職員が家庭を訪問すると、真っ暗な部屋の中に、真っ黒に顔を塗った男性がいた。他の人から自分が見えないようにするためらしい。

精神疾患の母親と暮らす中学1年生の女の子は、腰の高さまでゴミで埋まった部屋で生活していた。典型的なヤングケアラーである。どこかに親族がいれば引き取ってもらったほうがいいのではとスタッフは考えるが、女の子は母親と離れたがらない。読みながら胸が痛む。

本書を読みながら「戦場」という言葉が浮かんだ。貧困の現場というのはまさに人の生死がかかった戦場である。その最前線で奮闘する人々の努力には本当に頭が下がる。

先日、都心のターミナル駅で、ある政党の党首が街頭演説しているのに出くわした。足をとめてしばらく聞いていたが、長時間つきあうのは耐えられなかった。とにかく言葉遣いが雑なのだ。「命を守る政治」だの「生活を守る政治」だの軽々しく言わないでほしい。誰かの命を守り、生活を守るとは具体的にどういうことか。それがどれほど大変なことかは、本書を読めばわかる。

一口に支援といっても、その方法やアプローチは多種多様で、また改善まで時間もかかる。本書に「三歩進んで二歩下がる」という表現が出てくるが、生活援護課やチーム座間の人々は、困った人を決して見捨てず、辛抱強く寄りそう。彼らのような人々のおかげで、私たちの社会はかろうじて形を保つことができているのかもしれない。

すべての政治家は本書を熟読すべきだ。ただし間違っても視察になど行ってはいけない。秘書や報道陣を引き連れた大名視察は現場の邪魔になるだけだ。
社会からこぼれ落ちる人々が急増しているのは、ひとえに政治の責任である。
そのことを肝に命じて、選挙では一票を投じようと強く思った。