おすすめ本レビュー

『世界は五反田から始まった』足元から歴史が広がる

首藤 淳哉2022年8月30日
作者: 星野 博美
出版社: 株式会社ゲンロン
発売日: 2022/7/20
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東京は広い。長いこと住んでいても、まだまだ知らない場所がたくさんある。

著者は東京品川区の戸越銀座で生まれ、現在もそこで暮らしている。著者の家は祖父の代からこの地で町工場を営んでいた。

戸越銀座は五反田から東急池上線なら二駅、都営浅草線なら一駅だ。戸越銀座も五反田もそれなりに知っているつもりでいたが、所詮それはピンポイントの知識に過ぎなかった。本書を読むまで、このあたりを面としてとらえるイメージがまったくなかったのである。

戸越銀座と五反田は直線距離でわずか1・5キロほどしか離れていない。この界隈に住む人にとっては、戸越銀座商店街も五反田駅周辺も生活圏なのだ。五反田駅を中心とした半径約1・5キロの円を、著者は〈大五反田〉と呼ぶ。

本書は〈大五反田〉の歴史を著者の個人史と結びつけて掘り下げた一冊だ。知らない街や他人様の歴史に興味はないと敬遠するのはあまりにもったいない。実は五反田は、日本の近現代史のエッセンスが凝縮されたような街なのである。「世界は五反田から始まった」という書名はけっしておおげさではなかった。戦後77年をきっかけに何か読みたいと考えている人がいたら、真っ先に手に取ってほしい傑作ノンフィクションである。

ところで、五反田とはどんな街か。著者に言わせれば、「山と谷で別世界が広がる、コストパフォーマンス(費用対効果)の高い街」だという。コスパがよいとは「価値ある割には安くてお得」ということである。

五反田は東の銀座や新橋、西の渋谷や新宿にもアクセスがよく、新幹線発着駅の品川にも近い。山の上は「池田山」の名で知られるお屋敷街で金持ちが住む。一方、谷のほうは交通至便な場所なのに意外と家賃が安い。なぜか。五反田のイメージが悪いからだ。

五反田界隈はかつて工場がひしめきあい、工場労働者のための一大歓楽街が発展した。その名残でいまも風俗店やラブホテルが多く、イメージの悪さにつながっている。

ただこれは公式プロフィールみたいなもので、著者にはこの界隈で生れ育った者ならではのイメージがある。「五反田を五反田たらしめている特色」は何かと突き詰めていくと、どうしても祖父の存在に行き着いてしまう。著者は遺された祖父の手記をもとに、〈大五反田〉の歴史を紐解いていく。

祖父が五反田にやってきたのは、大正5(1916)年のことだった。外房の御宿・岩和田の漁師の六男だった祖父・量太郎は、13歳で芝白金三光町の清正公近くの町工場で見習い工員となる。その後、肺を患い千葉で療養生活を送った後、再び五反田界隈に舞い戻り、天現寺橋近くの工場で働いて金を貯め、昭和2(1927)年に下大崎でバルブコックの製造工場を始めた。戸越銀座に自宅兼工場を構えたのは昭和11(1936)年のことである。

小さな工場の常で、「星野製作所」も下請けだった。祖父の手記を辿るうちに著者は、工場が軍需産業の末端に連なっていたことを知る。五反田は第一次世界大戦をきっかけに発展を遂げた街で、軍需産業こそがこの街の原点だったのだ。

面白いのは著者が当初、「こんな小さな町工場で、たいしたものを作っていたはずがない」と考えていたことだ(こうした心理は“町工場あるある”らしい)。だが戦闘機や軍艦、潜水艦といった「たいしたもの」は、当然のことながら無数の部品でできている。それらは町の小さな工場でつくられ、ヒエラルキーの上層に位置する大きな工場で「たいしたもの」へと組み立てられる。

家業が軍国日本の末端に連なっていた事実を知ったことで、歴史に対する著者の見方にも変化が生じる。それまで戦争はどこか他人事だったが、いまでは現在に置き換えて祖父の手記を読み込む自分がいる。そうすると見えてくるものがあった。

歴史は「繰り返す」と言われるが、「あいにく同じ顔ではやって来ない」と著者は述べる。

「もしかしたら、何かがゆるやかに始まっているかもしれない」

この予感が、本書を貫く極めて重要な視点となる。この視点で歴史を振り返ると、過去の出来事がいかに現在と地続きに結びついているかが見えてくるのだ。

「パラシュートをつくっている」と言っていた同級生の家が、藤倉航装だったことを後に著者は知る。この藤倉の工場をモデルに小説『党生活者』を書いたのが小林多喜二である。軍需産業に従事する工場では、戦時下の増産体制で臨時工を大量に雇い、受注量の増減によって首を切った。臨時工はいまでいう非正規雇用である。こうしたブラックな雇用体制は現代でもかたちを変えて続いている。

また、戸越銀座に近い武蔵小山商店街からは、多くの住民が満州に渡った。国家総動員法の下、軍需産業が「時局産業」と呼ばれたのに対し、生活物資の製造・販売業は「平和産業」とされ、壊滅の憂き目にあった。食料や物資が配給制になれば小売業は成り立たない。時勢によって特定の業種が被害を被る光景を私たちはコロナ禍でも目撃したばかりだ。ここでも歴史は繰り返されている。

満蒙開拓団の悲劇はよく知られているところだ。ソ連が侵攻すると関東軍は真っ先に逃げ出し、開拓団の人々は地獄のような逃避行を強いられた。武蔵小山商店街からの1039名の開拓団のうち、日本に引き揚げられたのは、実に50数名。生還率はわずか5%だったという。

「胸がチクチク痛む」「思い出すと、口の中にジャリっとした感覚が残る記憶がある」本書にはこうした身体感覚と結びついた表現が頻出する。著者にとって歴史は、困難な時代をなんとか生き延びてきた祖父母や両親の人生と地続きの、血肉化されたものとして理解されている。ここが本書の素晴らしいところだ。

SNSには歴史認識をめぐって見るに堪えない言葉の応酬があふれているが、あれはなんの実感もないからこそやり取りがエスカレートするのだろう。歴史の中で、人は加害者であると同時に被害者でもあるということがいくらでもあり得る。二項対立でしか世界をとらえられない薄っぺらさとは、本書は無縁だ。

私たちは戦争から何を学べるだろうか。「二度と起こしてはならない」のはその通りだが、そこで止まってしまうと、「もしまた起きたらどうすればいいか」にはつながらない。なにしろ歴史は繰り返す。それもまったく違った顔をして私たちの前に姿を表すのだ。

戦争という愚かな失敗から何かを学ぶとすれば、「生き延びる方法を知りたい」と著者は言う。勇ましい物語に飲み込まれず、同調圧力に屈せず、たとえ孤立したとしても生き延びる方法。それを求めて著者は、戸越銀座が焼け野原となった「城南大空襲」の歴史へと分け入っていく。

昭和20(1945)年5月24日の城南大空襲では、同年3月10日の東京大空襲に比べ、焼失面積の割に圧倒的に死者が少なかった。その理由は何か。著者が見つけた答えは、ぜひ本書で確かめてほしい。それは、不穏な気配を漂わせる現代を生きる私たちに対する重要なメッセージにもなっている。

重いテーマばかりを扱った本かと思う人もいるかもしれないが、そうではない。新しくできた白金高輪駅に「地名ロンダリング」ではないかとケチをつけたり、同窓会で「池田山に住む私」をアピールしてきた同級生に軽く殺意を覚えたり、ユーモアにあふれた文章に思わず吹き出してしまうところもたくさんある。(個人的にツボだったのは、ナッパ服と人民服のエピソードである)。

2021年3月、祖父の代から94年続いた星野製作所はついに廃業した。

祖父が五反田にやってきてから今日までの星野家の歴史を思うと、なんとも言いようのない感情が込み上げてくる。それは、戦火をくぐり抜けてきたことへのリスペクトだったり、苦労を労いたい気持ちであったり、さまざまな思いがいっしょくたになった感情である。

要するに「よくぞ生き延びてくれましたね」と伝えたいのだ。
それは星野家だけではない。先人たちが命をつないでくれたからこそ、私たちはいまこうして生きている。この本を読み終えたら、ぜひ自分の人生も振り返ってみてほしい。
あなたの足元からも、きっと世界が始まっているはずだ。