おすすめ本レビュー

『聞く技術 聞いてもらう技術』聞く力、聞いてもらう力が社会を変えて行く

鰐部 祥平2022年10月24日
作者: 東畑 開人
出版社: 筑摩書房
発売日: 2022/10/11
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世の中では厳しい言葉が飛び交っている。特にSNSを中心に政治問題や社会制度のあり方を巡り攻撃的な言葉の応酬が日常的に繰り返されている。だが、多くの人が承知しているように、これらの言葉の応酬で何か建設的な議論が生まれることも価値のあるコンセンサスが生まれることもない。ほとんどの場合、相手への敵がい心をむき出しにして、石つぶてのような硬い言葉をぶつけ合い、お互いに傷だらけになりながら、ただただ憎しみを増しているだけというのが現状だ。なぜ私たちの社会はこのような有様になってしまったのだろうか。このような世情を臨床心理学の専門家である東畑開人が「聞く力」に焦点を当てて読み解いて行く。

では「聞く」とはどういうことなのであろうか。「聴く」と何が違うのであろうか。一般的に「聞く」とは声が耳に入っている状態であり、語られたことをそのまま受け止める行為である。一方で「聴く」とは声にしっかりと耳を傾け、言葉の裏側にある気持ちにまで触れようとする行為だと著者は定義する。一見すると「聴く」のほうが難しいように感じるはずだ。著者自身も臨床心理学の専門家として当初はそのように考えていたという。「聴く」は専門的な行為であり、「聞く」は素人でも可能な行為だと。しかし最近その考えが、いかに浅はかであったかに気づいたという。なぜならば「聴く」というとき、相手の話を聴く準備が整っているので「あの人は話を聴いてくれない」とは言われない。何気なく日常で行われる「聞く」という行為にこそ、コミュニケーションの本当の難しさが潜んでいる。特に「私の話をちゃんと聞いてよ」と言われた場合、私たちは相手の言葉が耳に入ってこないような状況に陥っている。これはかなりの危険信号だ。私たちはこのような時、メンタル面でかなりの問題を抱えている可能性がる。なぜ私たちは人の話が聞けなくなるのであろうか。

人が他者の話を聞けなくなるとき。それは他者との関係が緊急事態にあるときだと著者は言う。当たり前といえば当たり前なのだが、著者はこれをウィニコットという精神分析家が提唱した「対象としての母親」と「環境としての母親」という理論で説明する。「対象としての母親」とは私たちが思い浮かべる母親である。これに対し「環境としての母親」とは普段は意識されない母親のことだと言う。つまり、子供がタンスを開ければ洗濯された綺麗なシャツが畳まれているような状況だ。毎朝そのシャツを着るとき「お母さんが洗濯し、干してアイロンをかけて畳んでくれたんだ。ありがとう」と考える子供はいないであろう。それは子供にとって当たり前のこととして認識されている。しかし、母親も人間だ。たまには失敗する。疲れたり、体調不良で洗濯が出来ないときもある。このとき子供は初めて「環境としての母親」を意識する。最も多くの場合は失敗はすぐに挽回され子供は母親に感謝すると共に自立心を育んでいく。個人と個人の関係も社会、政治との関係もこうして視点で見ることが出来る。たまに欠乏が在ってもすぐに挽回できる状況ではコミュニケーションの齟齬は起きにくい。しかし「環境としてのシステム」に大きな問題が発生し欠乏を埋めることが出来ないような状況下になればどうであろうか。私たちは自分たちのこと手一杯になり、他者の話に聞く耳を持たなくなるのである。

このような状況に陥ったとき人々の間には不信感が芽生える。心にとっての真の苦痛は、世界の誰もが自分のことを理解してくれないときに訪れる。そうなると相互不信が心の孤独をまねき、その痛みがお互いの聞く力を奪って行く。こうして、激しい言葉が飛び交ういお互いに聞く耳をも持たない状況は作られて行く。さらに著者は「孤独」よりも悪い状況として「孤立」があるのではと分析を進めて行く。

実は孤独にはいい孤独と悪い孤独とがあるらしい。いい孤独とは「週末に孤独な時間がある」というように自ら望んでひとりになる行為だ。これは、心をカギ付きの個室にいれて、安全を確保しながら好きなことに没頭できるような状態だ。一方で悪い孤独とは過去のいじめなどが原因で引きこもりになってしまった人などが感じる孤独だ。これは明け放たれた心の部屋にトラウマという形で常に悪しき他者が出入りし、心の中に他人の声が満ちているような状態だ。常に敵意や悪口などを感じて、大勢の人の中にいながらも孤独を味わう。著者は後者の状況を「孤立」と呼び「孤独」とは区別するべきだという。個人の関係であれ社会と個人の関係であれ、環境としてのシステムに欠乏状態が続くと相互不信が芽生え、お互いに聞く力を失い孤立をまねいてしまう。孤立は悪しき他者という幻想を心の中に生み出し、さらに聞く力を奪うという悪循環が生まれてしまうのだ。

ではどうすればよいのだろうか。本書の後半では聞く力を取り戻すための実践的アドバイスが書かれている。もちろん、アドバイスに従ったからといって問題がすぐに解消されるわけではない。どちらかといえば地道に実践して行くタイプの技術である。だが日本で、いや世界中で広がる聞く力の喪失と深まる人々の孤立感という悪しき循環は断ち切られるべきであろう。結局、人間とはコミュニケーションにより社会を維持し生存率を上げてきた生き物なのだ。本書を手に取り、聞く力、聞いてもらう力を身につけ、一人ひとりが幸せな人生を手にして行けば社会は大きく変わって行くことであろう。