著者自画自賛

人も植物もこの瞬間を生かされている! 『池坊専好×鎌田浩毅 いけばなの美を世界へ』

鎌田 浩毅2022年12月2日

華道は日本古来の芸術である。生け花は表面的な形や色の美しさに留まらず、植物の命そのものに美を感じ、人と自然を結びつける優れた機能を持つ。

本書は私が受け手となり斯界第一人者の人生・思想に鋭く切り込む対談本で、女性として初めて京都の華道家元池坊を継ぐ池坊専好先生を迎えた。

池坊家は小野妹子を道祖として仰ぎ、室町時代にその理念を確立させた華道家で、池坊先生は次期家元である。いけばなの心を通した多彩な活動を展開し、日本いけばな芸術協会副会長を務め博士号を持つ。ハーバード大学のワークショップやニューヨーク国連本部で献花を行なう国際人でもある。

京都は長い時間をかけて日本文化の礎を築いた都市である。私も24年教授を勤めた京都大学を定年退職し、やっと京都とはどういう土地かが朧気ながら分かってきた。

専門とする地球科学の観点からも、京都に都を定めた理由には奥深いものがある。東山や西山などに囲まれた盆地だが、それぞれの山の縁には地震を起こす活断層がある。

実は、京都の豊かな地下水は、山が隆起したお陰で地下の水脈を澄んだ水が滔々と流れることに起因する。すなわち、茶の湯や酒造りなど京文化を育んだのは、京都周辺で起きる地殻変動だったと言っても過言ではない。

私は科学者としての活動の傍ら、日本文化の成立についてしばし考えるようになった。京都に本社を置くミネルヴァ書房から刊行する対談本の第3巻として、伝統文化の継承に日々たずさわる方とセッションを行うのも興味深いのではないかと考えたのである。

そこで第2巻までお相手してくださった霊長類学者の山極寿一・京都大学元総長、劇作家で役者の野田秀樹氏とは趣を変え、京都在住の家元にアプローチしてみようと企画した。

京都には室町時代以降、600年以上も続く技芸を司る家がある。東山文化をその基盤として、日本人の生活に深く根付いた心との拠り所を作った伝統文化の継承者である。

池坊先生は世界100か国以上を駆け巡りながら華道の心を伝える「日本文化の伝道師」だ。「科学の伝道師」でもある私との対談は、異なるジャンルのエキスパートが熱く語り合う点でも非常にエキサイティングな経験だった。

お話しを聴くにつれ、家元制度という古い伝統社会で女性がトップに付くことの大変さについても詳しく知ることとなる。今の日本では機会均等法など女性の社会進出を後押しする制度がやっと整い始めてきた。

一方、そうした社会認知のまだなかった時代に、先生は次期家元であることを運命付けられ立派に果たしてこられたのだ。対談の3人目が斯界の女性トップランナーであることも、前著までとは異なる視座が至る所に現れているのではないかと思う。

さて、本書は2部からなり、第1部で氏の半生に迫る。第2部では華道の世界へ足を踏み入れ、いけばなの基本的な知識や考え方、女性に焦点をあてた歴史的展開など多彩なテーマを語る。

生け花のアシンメトリーな造形から日本の美意識を探り、その背景にある自然観について考えるのである。格式伝統と自由を内包し自然を敬う新たな知の扉がここにある。

本書の最後には、私の書いた「講義レポート」が用意されている。対談を受けて、まさに「学生」の立場で23ページのレポートを提出した。最初に、生け花のバックグランドとして、植物を人間が利用するようになった地球の歴史について、私の専門に即して述べてみた(講義レポート1「地球史における植物の存在」)。

46億年前に誕生した地球は、現在でもプレート運動を続けながら「生きて」おり、その上で我々と植物がこの瞬間も生かされている。人間と植物の共生に関するキーワードは、約1万年前に人類が「発明」した農業の技術である(鎌田浩毅著『知っておきたい地球科学』岩波新書)。

ここから原始社会の存立基盤が誕生し、同時に花を愛でる文化も誕生した。人間は安定した環境と食物連鎖を成り立たせるシステムを手に入れたのである。

続く講義レポート2のテーマは、「正覚者の孤独」である。池坊専好先生は組織の次期トップとしてたくさんの仕事をこなしてきたが、対談の中で私が強く感じたのは、「正覚者の孤独」であった。

正覚(しょうがく)とは仏教用語で仏の悟りを意味するが、転じて宇宙の大真理について悟ること、またその真理を悟った人物をも指す。仏の悟りとはすべての迷いを断ち切った正しい悟りのことで、阿弥陀如来がこうした正覚を成就して仏になったときに由来する。

そもそも正覚者は孤独である。つまり、自分の前には果てしない未踏の地があるだけで、そこを一人で歩み続けなければならない。これは理系の研究者の生き方も同じで、世界中でまったく知られていない現象を追究する自身はたった一人なのである。

この「正覚者の孤独」について、私は池坊先生との対談で何回も思い返した。組織の指導者は多かれ少なかれ誰もが孤独である。そして未来の見えない現代社会で的確な舵取りを行うには、絶えず「正覚者の孤独」に入らざるを得ない。

これは科学者も同じことだが、組織が大きければ大きいほど正覚者である自覚を維持することは難しくなるだろう。それに比例して、孤独感も強くなるに違いない。仏教の説く正覚とはこうした厳しい精神陶冶の中に生まれた概念なのではないか。

ところで、池坊先生は本名が池坊由紀さんで、若い頃に書かれた『幸福の瞬間―池坊に生まれて』(朝日出版社)という著作がある。華道家元池坊に生まれた自らの人生を何のてらいもなくストレートに語る姿に、私は神谷美恵子著『生きがいについて』(みすず書房)との共通性を感じた。

『幸福の時間』には、自分の置かれた環境とそのなかで生じる葛藤と生け花への思いを、静かに書き綴ることで社会に還元する姿が見えるのである。

生きがいは、実は試練を与えられた現場にこそ生まれるものである。そして、時にはその試練こそ、この世で生かされている僥倖を噛みしめることの可能なチャンスなのだ。そして、いかなる仕事に就こうとも、自分の周りの人へ何らかの貢献を行うことができたとき、人間は生きがいを感じるのである。

本書の対談でも取り上げたが、これこそが「幸福の時間」であり、それに気づきさえすれば人はいつでも幸福になれる。何のために花を活けるのか、という問いに正面から向き合う貴重な時間が生まれるに違いない。

現代はバーチャル・リアリティーが席巻するが、こうした世界だからこそリアルな生け花に向き合いたい。それは楽しいだけでなく心を洗うような「活きた時間」を人生に産み出してくれる。

絶えずプレート運動を続けている地球上で、我々と植物がこの瞬間も生かされている。知的刺激に満ちた対談で存分に語り合った自然世界にも、ぜひ感応していただければ嬉しいと思う。

作者: 池坊 由紀
出版社: 朝日
発売日: 1990/11/1
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作者: 山極寿一,鎌田浩毅
出版社: ミネルヴァ書房
発売日: 2018/2/28
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作者: 野田 秀樹,鎌田 浩毅
出版社: ミネルヴァ書房
発売日: 2018/11/15
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