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『オスとは何で、メスとは何か?』性は多様で当たり前

首藤 淳哉2022年12月17日

男と女のあいだには、深くて暗い河があるという。それは真っ赤な嘘だった。

男と女、広く生物でいえばオスとメスは、独立して存在しているわけではない。

つまり、オスとメスという性が、確固たるものとして存在しているのではない。実は両者は連続しているという。

太陽光をプリズム(三角形のガラス棒)で分解すると7色の光の帯が出現する。7色はくっきりとわかれているわけではなく、隣り合う色と境界が混じり合う。ある色が徐々に色を変え、次の色へと変化していく。この連続して移り変わる7色の光の帯を光スペクトラムという。

生物の性も、光スペクトラムのように徐々に変化し、連続している。これを「性スペクトラム」と呼ぶ。性をふたつの対立する極として捉えるのではなく、オスからメスへ、メスからオスへと連続する表現型として捉える考え方である。生物学の最前線では、性の本質をスペクトラムのようにとらえる研究が進められているという。本書は、性スペクトラムという考え方がどのように登場してきたのか、また生物の性がどのようなメカニズムで成り立っているかを解説したものだ。固定観念を覆される一冊である。

生物の世界では、雌雄を見分けることはそれほど簡単ではない。たとえばエリマキシギという鳥のオスは、首のまわりにエリマキのような豊かな羽毛がありいかにも強そうな外見だが、中にはメスと区別のつかない見た目のオスもいる。メスそっくりなため、縄張りをもつオスから追い出されることがない。それをいいことに、スキをみてメスと交尾する。自分の子を残すためにメスに擬態しているのである。

このように自然界では、メスに擬態するオスや、オスに擬態するメスが珍しくない。「でもそれは見た目がわかりにくいというだけで、オスやメスという性は確固たるものとしてあるのでは?」と反論する人がいるかもしれない。ところが、生物の中には性転換をするものもいる。比較的、性転換がよく見られるのは魚類である。

オキナワベニハゼという魚は、水槽で2匹飼うと、常に体が大きい方がオスとなり、小さい方はメスになる。面白いのは、小さいメスを取り出したのちに、残ったオスより大きな個体を水槽に入れると、元からいたオスがメスに性転換してしまうことだ。オキナワベニハゼは体長2~3センチほどの小さな魚である。なぜこのような能力を獲得するに至ったかといえば、広い海でやっとの思いで別の個体と出会った時に、お互いオスであっても、次世代を残せるようにするためらしい。

本書を読んでいると、男と女の二項対立だけで、世界をとらえるのは間違っているのではないかと思えてくる。実際、性は生涯変わり続けるという。つまりオス95%の状態の個体が、時間の経過とともにオス60%に変化したり、メス60%の状態の個体が、メス90%に変化したりするということだ。

生まれてすぐの赤ん坊は、外性器の形態から性別を判断されるが、まだ性は未成熟で、性スペクトラム上の位置ではほぼ中心に位置する。この位置が大きく変化するのが思春期である。性的な成熟が始まり、それぞれ「オス化」「メス化」の力が働く。性スペクトラム上は、中心から両端へと移動する(中学生の頃、クラスの女子が急に大人びて見えてドキドキしたことがあったが、あれは妄想のせいではなかったのだ)。その後、老年期に入ると、「脱オス化」「脱メス化」の力が働き、再び中心に近い位置へと移動するという。

性スペクトラム上の位置の決定や移動の力の源泉となっているのが、「性決定遺伝子」を中心とする遺伝的制御と、「性ホルモン」を中心とする内分泌系制御である。

生物の性決定は実に多様で、ウミガメやワニのように受精卵が置かれた温度によって性が決まることもあれば(「温度依存的性決定」)、オキナワベニハゼのようにペアを作った時の相手と自分の大きさで決まるものもある(「環境依存的性決定」または「社会的性決定」)。哺乳類では、性決定のスイッチを押すSRY遺伝子の存在が知られている。これを「性決定遺伝子」という。

SRY遺伝子は、鳥類、爬虫類、両生類、魚類には存在しないが、その後、さまざまな生物で、SRY遺伝子とは別の性決定遺伝子があることがわかった。これまで見つかっている性決定遺伝子は10種類以上にのぼり、そのほとんどは日本人研究者によって同定されたものだという。性決定遺伝子の研究では日本は世界をリードしていることを本書で初めて知った。

遺伝子の働きを調整しているのが「性ホルモン」である。思春期になると精巣と卵巣が活発に働き始め、男性ホルモンと女性ホルモンを作り出す。これがわたしたちの身体に豊かな性差をもたらす。加齢によって性ホルモンの量が減れば、脱オス化や脱メス化が進む。

男性ホルモンは決してオスだけのものではなく、女性ホルモンもまたメスだけのものではない。男性ホルモンは女性でも産出されるし、女性ホルモンは男性でも産出される。驚くことに、モグラの中には、メスが「卵精巣」を持つものがいるという。子育ての時期に精巣領域で男性ホルモンを作り、外敵から子を守れるよう攻撃性を高めるためだ。

本書で興味深かったのは、性は身体のどこに宿るのかという話である。外見でわかりやすいのは骨格筋だ。一般にオスの骨格筋はメスよりも太い。ところが、一見すると違いがないようにみえる臓器にも性差はあるという。身体を構成するすべての細胞が性を有している。つまり「性は細胞に宿る」のだ。本書はこれを遺伝子の働きの強さによって説明している。

ヒトは約2万5千の遺伝子を持つ。わたしたちの身体の中で、どのような遺伝子がどれくらいの強さで働いているか(発現しているか)は、細胞によって異なる。現在では実験手法の進展によって、ヒトが持つ全ての遺伝子について、雌雄の細胞における遺伝子発現の強度を比較することができるという。

たとえば、オスでは糖の分解を促進する遺伝子がメスよりも強く発現し、メスでは脂肪酸の分解を促進するのに必要な遺伝子がオスよりも強く発現するというように。もしかしたら近い将来、その人が性スペクトラム上のどこにいるかによって、薬の調合を変えるなどのオーダーメイド医療が可能になるかもしれない。

本書を読んだ後では、保守系政治家の主張などに典型的に見られるような、男と女の二項対立だけで世の中を語る言説が、馬鹿馬鹿しく思えるだろう。性自認や性志向は人それぞれで違って当たり前なのだ。

世の中で行われている研究はふたつに分けることができるという。ひとつは目の前にある課題の解決に取り組む研究。もうひとつは、課題発掘型の研究である。基礎研究に分類される研究は、ほぼこの課題発掘型である。この手の研究は研究者の興味によるところが大きく、一見何の役に立つのかわかりにくい。しかも著者に言わせると、先端科学というのは「目眩がするほど難しい」という。

本書の「はじめに」や「おわりに」を読むと、自分たちの研究がどこまで理解してもらえるのか、著者がとても心配していることがわかる。だがそんな心配は不要だ。思いはちゃんと読者に伝わっている。ハイレベルな話をここまでわかりやすく読ませてくれた著者に拍手を送りたい。

おかげで大切なことを知ることができた。

男と女のあいだにあるのは、深くて暗い河ではなかった。虹色の橋がかかっていたのだ。