おすすめ本レビュー

『傷つきやすいアメリカの大学生たち』「自分の気持ちの安全」が育む激しいキャンセル活動の根源を探る

西野 智紀2023年2月7日
作者: ジョナサン・ハイト,グレッグ・ルキアノフ
出版社: 草思社
発売日: 2022/11/30
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昨今話題に欠かないテーマの本なので、まずは著者2人の紹介から始めよう。グレッグ・ルキアノフはアメリカの教育財団FIREの会長兼CEOで、進歩主義者(リベラル)。ジョナサン・ハイトはニューヨーク大学で社会心理学に精通する教授で、中道派。お互い共和党に票を投じたことはないが、保守派知識人の書物も多く読み学んできた、という。

その2人が問題提起するのは、2013年以降、アメリカの大学内で度々発生する、言論の自由、学問の自由が脅かされる事態についてだ。それも政治権力ではなく学生自身の手によって、である。対立論者の講演に抗議し、激しい妨害活動を行い、キャンセルさせる。大学教員の言葉尻をとらえて糾弾、デモに発展させ、辞職に追い込む。

学生たちはなぜそこまで苛烈な行動に走るのか。彼らの生育環境をベースにその心理メカニズムと事件背景を掘り下げ、追究したのが本書である。特定のイデオロギーを論難する趣旨で書かれてはいないことに留意されたい。

手始めに、著者はアメリカの学生たちに恐慌をもたらしている原因として、「脆弱性」「感情的決めつけ」「味方か敵か」の3つの「大いなるエセ真理」があると述べる。

まず、「脆弱性」とは、今の学生が幼少の頃からなるべく困難を避けるような教育方針で育ってきたために、危険性のない状況でも恐怖心や精神的苦痛を覚えるような、ストレス耐性が著しく低い状態を指している。加えて、もともと精神医学の言葉であった「トラウマ」の意味が下向きに拡大し、自分が傷つけばそれはトラウマであるとする主観的基準に移行しているとの指摘はなかなか興味深い。

よって、些細なことでも自身の安全を脅かす思想や言動に対して排除に固執する思考が生まれる。被害者意識が強いのだ。本書ではこれを安全イズムと呼ぶ。

このエセ真理と同根なのが、「感情的決めつけ」である。文字通り、自分の感情においてのみ現実を解釈し、それを信じて疑わない姿勢である。このような認知の歪みが根付くと、自分の感情を少しでも害する発言・行動をする人は誰であれ敵対者となる。

こうした思考習慣の行き着く先が講演キャンセルだ。講演内容どころか、講演者の存在そのものが不快であり危険と見なし、大学側に招請取り消しの圧力をかけ、会場の出入り口を封鎖し、抗議者で講堂を埋め尽くして混乱させる。

著者のデータベースによれば、2000年以降、講演キャンセル計画はおよそ半数が達成され、その計画の大半は政治的左派もしくは右派によるものだった。が、2013年からは左派のほうが急激に伸びているという。この変化は、保守系団体が扇動的人物を呼ぶようになったのが一因と分析する。

このように対立・分断が進めば、3つめ、「味方か敵か」のエセ真理はさらに親和性が高くなる。ただ、人間の心は頻繁に争う部族的生活に合わせて進化してきたので、こうした二分法は最初から備わっている。つまり、部族意識は簡単にスイッチが入りやすく、認知を歪めやすい。

少々長くなるが、本書からこれらのエセ真理が組み合わさった一例を挙げる。2015年、ロサンゼルス近郊の大学に通うラテン系アメリカ人のある女子学生は、大学内に自身と同じ境遇のスタッフが少ないことに心を痛め、このキャンパスは西側、白人、異性愛が標準、中流階級以上の価値観に根ざしていると、全職員宛にメールした。2日後、学生部長が返信する。

(略)あなたの指摘は、私にとっても学生部のスタッフにとっても重要です。私たちは、学生の皆さん、とりわけクレアモント・マッケナ大学の型(mold)にはまらない人たちのお役に立てるよう取り組んでいます。ぜひ、お話しできればと思います。

どう読んでも助力を申し出る内容だが、この女子学生は「型」という言葉に気分を害した。自分を含めた有色人種の学生は型にはまっていない、大学に属していないと言われたと解釈したのだ。学生部長は、他の学生たちが大学になじめない感覚を伝える際に「型」と言っていたから、彼女への共感を示すために援用しただけにもかかわらず、だ。

女子学生がFacebookにこの返信を怒りとともに投稿したところ、キャンパスで抗議活動に発展、学長に多様性教育の義務付けと学生部長の辞職を要求する騒ぎとなった。学生部長は謝罪したが受け容れられず、リスクを恐れて大学上層部もかばわなかった。SNSや報道番組でも取り上げられ、結局自ら辞職した。

こうした事例紹介は本書の序の口で、問題の根源を探っていくのが主題である。たとえば、2013年以降の入学者はインターネットと常に触れ合ってきた「iGen世代(Z世代)」であり、長時間のSNS使用が不安や鬱、脆弱性を促進させている可能性があるという指摘。大学教員の政治的多様性が低下し、特に左に偏向、学生の二極化を生んでいる。一部の学生、教授、運動家が敵対者への暴力行為を「正当防衛」として許している……。

まだまだあるが、歴史的背景は違うにせよ、どれもアメリカ国内にとどまらない重要議題であるのは疑いようがない。また、日頃から必要以上に生きづらいと感じている学生の認知を解きほぐし、惰弱なその精神をたしなめる有意義な内容になっているのも論を待たない。

そもそも、自分の気持ちの安全のために不快な言論を消し去っていったとして、それは人生経験に何ら寄与しないし、他人に誇れるような話でもない。むしろ、サイレントな反発を生んで、永遠に安全が脅かされる火種となるだけだろう。敵対者と見なした人物の口を塞いだり職を奪ったりする度胸はあるのに、真っ向から論戦を挑んだり対話したりする勇気はないのも幼稚である。事実、本書では社会階級や人種、民族にかかわらず、今の18歳がかつての15歳のような振る舞いをする傾向にあると述べる。

全文を通して、原題の「coddling(甘やかし)」にも納得の、優れた心理分析の書である。霊感だが、これは自由主義や個人主義の思想とも結びついた、もっと深掘りできる題材と思えてならない。