おすすめ本レビュー

言語で国境を越える『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、ルーマニア語の小説家になった話』

刀根 明日香2023年4月24日

私は本が持つ「熱量」に惹かれる。著者がどうしても書き残したかったものや、誰かに伝えたかったこと、自分にしか出来ないことなどを、汗かきながら書き上げる姿を想像できる本が好きだ。本書『千葉から~』の熱量は計り知れず。私にとって今年No.1の一冊になるだろう。

著者は、1992年千葉県生まれ。大学受験や失恋、就活などを経験する中で、卒業してから引きこもり生活に突入する。「俺の心は底なしの深淵のなか」という時期に、昔から好きな読書はできない。代わりに映画をたくさん見始めた。そしてインターネットに散らばる、日本未公開映画を好む「映画痴れ者」に惹かる。著者も「周りと違う自分カッケェ」というナルシシズムに動かされながら映画批評をネット上で書きはじめた。

ある日人生を変える一作の映画に出会う。それがコルネリュ・ボルンボユ監督作のルーマニア映画だった。映画へのリスペクトが言語へのリスペクトに移っていく。著者は過去5年ほど、シネマート新宿という韓国映画の聖地で映画の評価や感想を聞くというアルバイトをしていた。映画を観に来た人たちの、韓国俳優への愛が言語や文化まで突き抜けているのを肌で感じたことを思い出し、感化された。

さぁルーマニア語への扉が開いた。でもルーマニア語の小説家まではまだ程遠い。どのようにルーマニア語を習得したのか。小説家になるきっかけは何だったのか。言語の習得に興味がある読者にも、小説家を目指す読者にも、新しい世界を探している読者にも、本書は様々な知恵を与えてくれるだろう。

さて、私がここで伝えたいのは、冒頭の「熱量」についてである。私が本書に一番惹かれたのは、著者が自分でも予期しなかった世界に気が付いたら立っていた時の興奮と戸惑いだ。そして、それを可能にしたのは、SNSというツール。著者は日本にいながら、会いたい人に会いに行き、友達になりたい人と友達になり、自分の世界を広げていった。著者が使ったのはFacebookで、ルーマニア語上達のために、何人もメッセージを送ったのが繋がりを広げるきっかけとなった。その結果、著者は引きこもりというハンデを背負いながらも、ルーマニア語の小説家になった。それも自称ではなく、ルーマニアで認められた真の小説家だ。

著者は1992年生まれで、私と歳が近い。私たちの世代は、高校生や大学生の時にTwitterやFacebookが流行り出して、その気になればSNSを通じて爆発的に人間関係を広げることができた。私も当時は時間も好奇心も無限にあり、躊躇せず会いたいと思った人にはDMを送って会いに行った。後先何も考えていないものだから、「なんでここに自分はいるんだっけ?」という感覚に陥るのだが、自分でも予期しない世界が目の前にやってくる興奮を、私は今でも覚えている。

著者は大学を卒業した後なので、時期は違えど、SNSはそんなことを可能にした。これは10年前の話でもあるから、今はまた全然違うのだろう。SNSのようなツールさえあれば、「会いたい」「知りたい」という知的好奇心が人をどこまででも運んでくれる。それこそ人生狂わせるのだ。そして、その時に会えたり知り得たりしたことは、良い思い出となって人を育ててくれる。

最初に「熱量」と書いたのは、著者と読者の両方から生まれるもの。片方は著者の生き様や想いから生まれ、もう片方は読者の共感から生まれる。時代や場所を超えて2つが重なるのは読書体験ならではのもの。本書のおかげでいい思い出を作ることができた。

著者:町屋 良平
出版社:文藝春秋
発売日:2019/6/27
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本書『千葉から〜』で町屋良平の名前が出てきたので読んだ本。著者が鬱状態の時に「時間感覚というやつが、永遠と瞬間を激しく行き交うんだ」と描写していたが、『愛が嫌い』を読んで少し分かった気がする。