著者インタビュー

『Humankind 希望の歴史』著者インタビュー

仲野 徹2023年6月26日

2021年に発売され、人類の希望をあらためて世に問うた『Humankind』。オランダの若き知性が著した一冊は、その後話題を呼び、この度4万部の部数を突破をしたという。著者のルトガーブレグマン氏に、HONZ仲野徹が迫る!(HONZ編集部)

作者: ルトガー・ブレグマン
出版社: 文藝春秋
発売日: 2021/7/27
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仲野 「ほとんどの人間は基本的に本質的にかなり善良だ」——ブレグマンさんは『Humankind 希望の歴史』で、こう主張されてますよね。私なんか疑い深いので、ついホンマかいなと思ってしまいます。ですから今日はそういうスタンスで、忖度なしにズバズバお伺いします。

ブレグマン はい、覚悟してます(笑)。何でも聞いてください。

仲野 人間が邪悪な存在であるという説の根拠となってきた、心理学における有名な実験の数々——人間は与えられた役割や権威者の指示によって、いくらでも残酷になれるという「スタンフォード監獄実験」や「ミルグラムの電気ショック実験(アイヒマン実験)」など——実はこれらはねつ造だったという衝撃的な事実をブレグマンさんは指摘しておられます。

読んでいて、人間って邪悪じゃないんやと、これまで自分の抱いていた常識が崩れていくような、驚きとうれしさを感じました。

ブレグマン ありがとうございます。

仲野 一方で、なぜ性悪説的な考えが、ここまで世の中に広く受け入れられてきたか不思議に思いました。私の仮説はこうです。われわれのなかにはもともと邪悪な部分がある。だから、「人間は邪悪だ」と言ってもらうと安心するのではないか、と。

ブレグマン 面白いですね。1970年代に行われたスタンフォード監獄実験は、いまだに心理学の教科書に載っています。長いあいだ見過ごされてきたのはどうしてなのか。

ある教授はこんなことを教えてくれました。講義中にスマホを見てるような注意散漫な学生たちが、スタンフォード監獄実験の話を聞くと食いついてくる。ワクワクするエンタメのような内容だから、と。

ネットフリックスなどで、みながハマるような爆発的人気コンテンツは、人間の悪い面を描いたものばかりです。たとえば「ハウス・オブ・カード」「ゲーム・オブ・スローンズ」「イカゲーム」なんかがそうです。

それに比べて、人間の良さを描いた作品は、つまらないと思われがちです(苦笑)。

仲野 たしかに。ブレグマンさんは、なぜ人々は邪悪な物語に魅入られると思いますか。

ブレグマン ひとつには、日々、刺激的なニュースに触れ過ぎているからだと思います。ニュースには、悪いことや悲惨な内容のものが多いです。

もうひとつが、文化的な背景ゆえです。人間は原罪を背負っている、人間は悪である、という概念が、西洋社会の根本にあります。

さらには心理学で言うところの、ネガティビティ・バイアスも見過ごせません。人類は生き残るためにポジティブな情報よりもネガティブな情報に注目しがちだ、というものです。ただし私から言わせると、ネガティビティ・バイアスにとらわれ過ぎるあまり今日、人類は間違った方向に進んでしまっているのですが。

それから、人間は利己的であるという考え方は、権力者たちにとっても都合がよいことを忘れてはいけません。CEO、王、女王、大統領などが、ヒエラルキーによる不平等を正当化できるからです。それに対して性善説は、平等な社会や民主主義につながる。権力者にとっては非常に危険な考え方なんです。

仲野 なるほど。たとえそうであっても、人々の考え方を変えるのは難しそうですが。

ブレグマン そうかも知れません。とはいえ、本書の後半部分では、わたしたちの直感を変えれば、今までと違った人間になれるし、まったく違う社会をつくることも可能だと書きました。

たとえばオランダにある在宅ケア組織ビュートゾルフの成功例がそうです。1万5000人も従業員がいるのに、なんと管理職がいないのです。この組織は、自由裁量のある看護師・介護士チームから成っていて、同僚として誰を雇うか、仕事のために何を学ぶべきかも、すべて自分たちで決めています。お互いのことを信頼し合えれば、そのように行動できるのです。われわれ人間は、いわば自己成就予言的な存在だからです。

仲野 受刑者を人間らしく扱い、それゆえ再犯率も低いというノルウェーにある刑務所についてもブレグマンさんは書かれていましたね 。けれどもやっぱり、一般的には難しいのではないか、という気もします。もし性善説が本当なら、そういったシステムがもっとスピーディに世界中に広まっているはずなのでは?

そんななか、私は科学の世界ではよく言われるフレーズを思い出しました。古い理論が死に絶えるには、それを知っている人が死に絶える必要がある、と。

ブレグマン ひとつの時代を葬り去らないと科学は進歩しない、ということですね。歴史家として全く同意します。重要な変化は、ゆっくり起きる。30歳を超えたら、たいていの人々は変化を好みませんから。

一方で、いまのヨーロッパの若者たちはとても急進的です。そして彼ら彼女らは、かつてないほど多様性があり、教育レベルも高いです。34歳の私自身、自分は老いてるなと感じてしまうほどです。

仲野 いや、まだまだお若いと思いますが‥‥。

ブレグマン たとえば私が学生だった当時は、セクハラが社会や職場で問題にされることはありませんでした。けれども、#MeToo運動が起きました。欧州の学生たちは気候変動への抗議をはじめ、さまざまな不平等に対する抗議活動を行うなど、昔とはまったく雰囲気が違うんです。

日本でも、行き過ぎた資本主義に歯止めをかける「脱成長」を提唱した斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』がおよそ50万部売れたそうですね。若い人たちのあいだで何かが起きているのだと感じています。

仲野 私は65歳で定年したところですが、これからの変化についていけるかどうか。なので、ちょうどよく引退できてよかったのかも‥‥。

ブレグマン 辞めてからこそ、本当にやりたいことができるのかも知れませんよ。

仲野 うーん、そうだったらいいんですけど。ところで、日本は民主主義社会とされていますが、意見を大きな声で言うのが憚られる文化と言われます。これは、世の中を変えるという点からはよくないように思うのですが。

ブレグマン もちろん日本のよい面もあります。私の妻が前回の来日時に体験したのですが、見も知らぬ外国人のために、通りすがりの日本人が30分も同行道して案内してくれたそうです。欧米では絶対にありえないことです。日本のおもてなしは素晴らしいですね。

仲野 日本ならではのよい面ですね。ただし一方で‥‥。

ブレグマン はい、仲間と調和したいという素晴らしい気持ちには、そのじつ弱点もあります。王様は裸だ、と言えなくなってしまうことです。

だから他人を不愉快にしたり、失礼な気持ちにする人も、社会には必要なんです。

仲野 私は大学勤務時代、言いたいことを言うタイプだと周囲から見られてました。でもこれでも、じつは十分の一しか言ってませんでしたが。

ブレグマン 仲野先生は勇敢だったのですね(笑)。

仲野 いやあ、個人的には、日本は慣性力が強くて変化に対する抵抗感が凄まじいと感じてます。

ブレグマン そうなのですね。ただし、これは歴史が教えてくれることなのですが、変化が始まるまでは遅いけれども、あるポイントを超えるとすごい勢いで変わる、ことが多いです。例えば1980年代にははしかのワクチン接種率は人口の20パーセントにすぎませんでしたが、今日では80パーセントを超えました。

貧困問題もこの2世紀のあいだに急速に改善するなど、世界はおおむねよい方向に向かっています。

仲野 ブレグマンさんの主張を伺っていて、マット・リドレーの『繁栄』を思い出しました。悲観主義が誤りで、合理的な楽観主義が必要というものです。おそらくそれは正しいと思うのですが、なかなか心の底で信じられない気持ちがあります。

ブレグマン 『ファクトフルネス』のハンス・ロスリングも合理的楽観主義者ですね。過去2世紀のあいだにおいて、世の中はよくなってきていることを彼は指摘しています。

仲野 われわれは、昔に比べてゆたかになっているし、健康になっている、という。

ブレグマン オランダや日本のような先進国においては、ピンと来ないかも知れませんが、中進国においては明らかです。マラリアやHIVとの戦いにおいて、中進国は大きな成果を収めていますから。ワクチン接種率も上がり、また貧困率も下がっています。

私は「希望」についてこう定義しています。「希望」とは、変化に対する可能性であり、あなたが実際に正しいことをするよう推進することだ、と。

仲野 とはいえ科学者としての私は、「今までよかったからこれからもよくなる」という考え方自体に懐疑的なのですが。

ブレグマン おっしゃる通りです。アニマルライツ、種の多様性への危機、気候変動、核戦争への恐れ、疫病、独裁者たち‥‥今ならではの問題はもちろんあります。

合成生物学、AIといった人智を超えそうなテクノロジーも出現しています。しかも、そのテクノロジーを扱える人間の数は限られている。

仲野 生殖細胞におけるゲノム編集もいずれおこなわれるようになるかもしれません。

ブレグマン ヨーロッパはナチ優生学のトラウマがありますから慎重ですが、文化が違うインドや中国では、優秀な子どもが生まれるのならゲノム編集もよい、と考えられるかも知れませんね。

もちろんテクノロジーにはよい面もあります。たとえば、女性が生殖をコントロールできるようになったのもテクノロジー、ピルのお陰ですから。

仲野 全くの仮定の話ですが、ゲノム編集によって人類が生まれつき善人になるようにできれば、よい社会になるでしょうか。

ブレグマン それはそれで、危険な考えだと感じてます。人間はもともと複雑さを持った存在です。いい人ゆえ仲間のために残虐になってしまう面も、人間にはありますから。

仲野 なるほど。最後にもうひとつ突っ込ませてください。もし社会のみなが性善説にもとづいて行動した場合、性悪な人はやりたい放題になってしまうのではないでしょうか。

ブレグマン 私から言わせてもらえば、すでに今の世界がそうです。このあいだも、米国の仮想通貨取引所を運営していたFTXのCEOが、じつは大詐欺師だったと判明しました。周りはすっかり騙されていました。われわれ人間は信じやすいんです。でもこう考えてみてはどうでしょうか。たまに騙されることも仕方がない、と。なぜならそれは、他人を信じるという人生の贅沢を味わうための、小さな代償だからです。

作者: ルトガー・ブレグマン
出版社: 文藝春秋
発売日: 2021/7/27
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