おすすめ本レビュー

『最後の海賊』その先に待つのは破滅か、栄光か

首藤 淳哉2023年9月21日
作者: 大西 康之
出版社: 小学館
発売日: 2023/8/31
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楽天グループが危機に瀕しているという声をよく聞く。

2023年1月~6月期の連結決算は、最終損益が1399億円の赤字。好調な事業もグループ内にはあるものの、営業赤字が1850億円にのぼったモバイル事業が大きく足を引っ張っているとされる。加えて来年以降は、基地局整備などに充てるために発行した社債も大量の償還を迎える。償還に向け、グループ会社の上場や一部資産の売却など資金調達に追われているのが現状だ。

確かに苦しい局面に置かれているように見える。
だが本書を読んだ人は、見る目が変わるかもしれない。

本書を読むと、海外では楽天に対する見方がまるで違うことに驚く。モバイル事業では楽天はむしろ世界の注目を集めているという。「携帯ネットワークの完全仮想化」というイノベーションを世界で初めて商用ベースで実現したからだ。

「仮想化」とは、ハードをソフトに置き換えること。ワープロ専用機がワープロソフトに置き換わることで、どんなパソコンでも文書が作成できるようになったように、楽天モバイルの仮想化技術は、基地局に高価な専用機器を使わなくても、汎用サーバとソフトウェアだけで携帯電話の通信を可能にするという。

携帯電話事業は莫大な設備投資を必要とする。これまで通信設備はメーカーに丸投げするしか選択肢がなく、日本の通信大手の年間のインフラ投資額は5000億円近くにものぼっていた。仮想化により、好きなメーカーの安い汎用サーバを自由に組み合わせてネットワークを構築することができるようになれば、設備投資は3割安くなり、運用・管理コストも4割安くなるという。

携帯ネットワークの仮想化には各国の通信大手も取り組んできたが、ランダムに移動する何千万台もの端末を補足し続けるのは難しく、「実用化はまだ数年先」が常識だった。それをアジアの片隅で、最後発で携帯電話事業に参入した楽天モバイルが成功させてしまったのだ。世界に与えたインパクトの大きさが想像できるだろう。

本書は、世界最大の通信ビジネス国際見本市に参加した三木谷浩史が、文字通り分刻みで商談をこなす場面から始まる。冒頭から熱気が伝わってくる。国内で「経営難」がさかんに喧伝されているのとは対照的な光景だ。

もっとも、世界標準の見方では、楽天の赤字は、新規事業に挑む企業が抱える赤字としては「健全な数字」だという。例えば、EVのテスラも創業からしばらくは大赤字だった。イーロン・マスクが「生産地獄」と呼んだ2017年は、3ヵ月ごとに3000億~4000億円もの現金が灰になったというから凄まじい。これに比べれば今の楽天グループの赤字は「可愛いもの」だという。

とはいえ、モバイル事業への参入が楽天にとって大きな賭けであることは変わりない。三木谷は楽天市場で大成功を収めた後も危険な挑戦を繰り返してきた。「現役でこれほど無謀な日本の経営者を他に知らない」と著者は言う。危地に向けて三木谷を駆り立てるものはいったい何だろうか。

だが、三木谷浩史という経営者は、いまひとつ人物像がつかみづらい。「週刊文春」で連載していたコラムも毎週興味深く読んでいたが、内容は意外なほどオーソドックスで、生きるか死ぬかの瀬戸際へと自分を追い込んでいくような人物とはイメージが結びつかなかった。

かつての大衆文学や劇画の主人公であれば、無謀な挑戦の動機は、世間への復讐として描かれるだろう。幼少期から辛酸を嘗めて育ち、いつか世の中を見返してやるという執念だけで頂点を目指す……というような。だが、学者の家に生まれ、一橋大学、日本興業銀行とエリートコースを歩んだ三木谷は、こうした文脈に当てはまらない。コンプレックスをバネにするようなことはないのかと問う著者に、三木谷は怪訝な顔をしてこう答えたという。

「グーグルやアマゾンの創業者の原動力がコンプレックスだと思う?目の前にやりたいことがあって、夢中でそれをやっているだけだろ。コンプレックスで頑張るというのは、かなり昔の話じゃないかな」

ますますわからない。いったい三木谷を突き動かすものは何なのか。
本書は「海賊」という切り口でそれを描こうとする。

海賊はそもそも資本主義の成り立ちに深く関わっている。海賊が略奪したマネーは、イギリスに還流し、産業革命の元手の一部となった。彼らはスパイとして他国の情報を収拾・報告し、戦争になれば海軍の中心となって戦った。時に「冒険商人」「探検家」などと呼ばれ、大英帝国の礎を築いた英雄として扱われた。資本主義には海賊のDNAが組み込まれているのだ。

戦後日本にも海賊がいた。出光佐三、本田宗一郎、盛田昭夫といった経営者は、いずれも危険を顧みず社運をかけた大勝負に挑んだ「伝説の海賊」である。著者は三木谷をこうした系譜に連なる者として描く。ただしその手法はユニークだ。楽天グループを海賊船、三木谷を支える幹部らをその乗組員に見立て、海賊団の人間模様を描いていく。その中から首領である三木谷の姿を浮かび上がらせようとするのだ。

その試みは成功している。本書を読むと、三木谷が実に多彩なメンバーに支えられていることがわかる。地べたを這いまわるような泥臭いやり方で成果をあげる者もいれば、「世界選抜」クラスのエンジニアもいる。炎上した場面をきまって任される者もいれば、三木谷と散歩をともにしては議論の相手になる者もいる。どの乗組員も癖が強い。それぞれの横顔があざやかに印象に残る。

個々のストーリーが響きあう中から、組織のかすかな軋みも聴こえてくる。海賊として名が売れれば乗組員も増え、船が大きくなれば求められる人材も変わるだろう。古参が新参のエリートに対して抱く複雑な感情も、著者はちゃんと掬いあげる。

面白いのは、乗組員の目を通すことで、三木谷の人物像が見えてくることだ。GAFAMも欲しがるような人材がなぜ三木谷の下で仕事をしようと決めたのか。三木谷は彼らをどんな言葉で口説いたのか。ぜひ本書を手に取って確かめてほしい。

企業を見る時、私たちは経営者にフォーカスしがちだ。あたかもカリスマ経営者がひとりで組織を動かしているかのように思い込んでしまう。だが、海賊船という切り口で企業を見直すと、これまで見えなかったものが見えてくる。船に航海士や操舵手が必要なように、企業もそれぞれの役割を完遂する人材がいなければ成り立たない。

たまたま最近、堤清二とセゾングループについて調べていた。堤が率いたセゾングループは、モノを買うことが文化と結びつくような新しいスタイルを提案し、日本人の消費行動に大きな影響を与えた。70年代~80年代半ばにかけては明らかにセゾンの時代だった。

セゾングループはしばしば堤とイコールに語られるが、海賊船の視点だと別の姿も見えてくる。「商品訴求のない広告」という当時は画期的なイメージ広告のジャンルを開拓したパルコの増田通二。女性幹部育成のための能力開発制度や退職した女性社員の再雇用制度、社内保育所など、時代に先駆けた革新的な人事改革を行った井戸和男。こうした人材がセゾンの先進性を支えていたのだ。

一時代を築いたセゾングループも、バブル崩壊とともに解体されていった。楽天はこれからどんな運命を辿るのだろうか。著者は時に三木谷に厳しい目を向ける。余計な一言で不要な炎上を招いてしまう欠点など、耳の痛いことも指摘している。

楽天はプロスポーツチームも持っているが、これは駄目だと思ったのは、三木谷の露骨な現場介入である。三木谷にはプロ顔負けの分析眼があると証言する者もいるが、その程度なら目の肥えたファンにもざらにいる。見る目があることと現場に介入することは別だ。いくらオーナーでも現場の士気を下げるようなことはするべきではない。

「完全仮想化技術」実現の立役者、タレック・アミンがその後、楽天を去ったのも気になるところだ。三木谷との間にいったい何があったのだろう。いや、あるいは何もなかったのかもしれない。寄港地での乗り降りは自由である。アミンも目標の港に着いたから下船しただけかもしれない。

船を降りると決めた者もいれば、あらたに乗組員に加わる者もいる。仲間の顔ぶれは変わる。だがこれからも冒険は続いていく――。海賊船とはそういうものかもしれない。イーストブルーからグランドラインを目指して大海原を突き進む楽天グループは、はたして「ワンピース」を見つけることができるだろうか。