おすすめ本レビュー

逆境を生き抜いた開拓者、かく語りき 『女性が科学の扉を開くとき』

仲野 徹2024年3月18日
作者: リタ・コルウェル,シャロン・バーチュ・マグレイン
出版社: 東京化学同人
発売日: 2023/11/14
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かつての米国科学界における女性に対する偏見と差別がここまですごかったのか。いまさら驚くとはお前の認識不足だろうと言われるかもしれないが、にわかに信じられないような内容が次々と語られる。世代が少し違うからかもしれないし、米国と日本の違いもあるかもしれない。ともあれ、そのような状況からジェンダー公正を勝ち取るべく闘った女性研究者、リタ・コルウェルの記録である。

リタ・コルウェル、本書の履歴には「米国の草分け的な微生物学者・分子生物学者・生態学者」とある。生物学の範疇とはいえ、微妙に異なる三つの専攻が記されていることに最初は違和感を覚えた。しかし、読んでみたらよくわかる。リタ・コルウェルは、次々と目指すところを変え、さまざまな分野を越境しながらキャリアを積んだ研究者なのだ。

八人兄弟の七番目の子―ジェンダー的には「兄弟」ではなく「兄弟姉妹」と書かないといけないかもしれない―に生まれたリタ・コルウェルは化学を志す高校生に育つ。大学で化学を学ぶには高校の科学教師の推薦状が必要だったが拒否される。もちろん男性教師に。ようやく英語の女性教師の推薦で、パデュー大学に入学する。

そこでの教育は期待していたものとはほど遠く、英文学に専攻を変更しようかとまで考える。しかし、友人の勧めで受けることにした女性の准教授ドロシー・メイ・パウエルソンの細菌学の授業が素晴らしかった。「米国の上位20の主要な研究大学において、科学分野で正教授として雇用されていた女性は29人のみ」という時代、パウエルソンは最高ランクの女性研究者だった。その影響で専攻を細菌学に変え、1956年に学士号を取得する。

素晴らしい出会いだけではなかった。「大学の実力者であり、精力的な生物学研究者」であったヘンリー・コフラー教授はひどかった。大学院で細菌学を学ぶためのフェローシップが欲しいという希望に「女子学生にフェローシップを与えるような無駄はしない」と断言され、そのうえ「学位なんて無理だね」と追い打ちをかけられた。いまならセクシャルハラスメントとアカデミックハラスメントで完全にアウトだ。

博士課程時代の研究は海洋細菌の分類という目立たない分野だったが、自分自身でプログラミングやボードの配線まで行った研究で、ネイチャー誌に論文を発表する。1961年のことだから、いかに先駆的だったかがわかるだろう。そんな折、関連分野の大物教授から、おそらくは女性だからという理由で嫌がらせや嘲笑を浴びせられた。それが契機になって、研究分野をビブリオ菌に変更する。このことがコレラ菌の研究―病原性コレラ菌が流行と流行の間にどこに潜んでいるかを突き止めた研究、それこそ生態学だ―につながった。人間万事塞翁が馬、良き出会いと悪しき出会いを繰返しながら、自分の意志で人生を切り拓くようになっていく。

個人的な歴史と、「女性同士の連帯を築き、データで武装し、阻止するには手遅れになる時点まで誰にも気づかれないようにこっそりと、目の前の障壁を一つずつ取り除いていった」ジェンダー公正に向けての闘いの歴史が、この本の二大柱だ。もちろんこのふたつは旋のように絡み合っているのだが、前者で特筆すべきは、医学分野を除くすべての研究分野の支援を行うNSF(米国国立科学財団)の長官を六年あまりにわたって務めたことだ。

NSF長官時代に責任者として取組んだ第7章「炭疽菌入りの手紙」事件の解決譚は、第5章「コレラ」研究の話と同じように、まるでミステリーを読むような面白さだ。炭疽菌事件がスムーズに解決できたのは、リタ・コルウェルのような分野横断的な知識と優れた行動力・判断力があったからこそだ。

「女の子はだめ!」から「女性同士の連帯が必要」、「女性が増えれば科学は進歩する」、そして「個人ではなくシステムの問題」といった章のタイトルをつないでいけば、リタ・コルウェルの歩んできた道と考え方がよくわかる。

すべての男女は、学校、研究室、職場、昇進、そして私生活において、平等に扱われるべきである。

科学界の女性たちに便宜を図る必要はない。目的を達するために平等な機会を与えるだけでよい。

科学において女性の真の平等を達成するには、幅広い社会の変革が必要である。

こういった信念に基づいていかに行動すべきかを記したのが、最後の章「実現できる!」で、その説得力は抜群だ。全編を通じて、ジェンダー問題に限らず、きわめてリベラルな考えが示されていることにも感動を覚えた。最後に、いちばん印象に残った文章をあげておきたい。

科学は、科学・技術・工学・数学・医学(STEMM)研究において十分な評価を受けていない男女にとって理想的な分野であると、私は長い間考えてきた。なぜなら、科学は逆境に挑むものだからだ。

逆境を生き抜き、新たな境地を切り拓いてきた科学者だけが語りうる言葉ではないか。

この書評は「現代化学」2024年4月号書評欄「ほん」からの転載です。
同欄の、横山広美・東京大学教授のクロスレビューもここで読めます。

作者: 大隅 典子,大島 まり,山本 佳世子
出版社: 講談社
発売日: 2021/5/20
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解説を書いておられる大隅典子先生たちによる本。素晴らしい日本の女性科学者たち

作者: 横山広美
出版社: 幻冬舎
発売日: 2022/11/30
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