3.11後の世界『線量計と機関銃』

刀根 明日香2012年09月23日 印刷向け表示
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片山杜秀の本(5)線量計と機関銃──ラジオ・カタヤマ【震災篇】
作者:片山杜秀
出版社:アルテスパブリッシング
発売日:2012-07-24
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線量計と機関銃。ふたつは戦時と現在をまたいで同じ役割を果たしている。戦時中、機関銃は科学の発達により「誰でも簡単に大量殺戮が可能な」兵器として発明された。機関銃を背負った人々は誰でも簡単に、躊躇せず、敵を打ち負かす。専門的な技術を必要としない武器は、当時の人々に衝撃を与えた。

そして3.11後の現在。人は線量計を片手に取り、原発と向き合う。かつて、エネルギーに関わる仕事は、炭坑で石炭を掘る人、蒸気機関車に石炭を入れる人、石油を採掘する人などに分業されており、それぞれ専門知識も必要であった。一方、原子力発電所は、1回核分裂を起こさせてしまうだけでいい。原発労働者は、「この線量までは被爆しても大丈夫」と、ただ線量計を持たされ、原子炉のそばに送り込まれる。

一見かけ離れた代物である線量計と機関銃。しかし、背後には置き去りにされた、「人間のわざ」を越えた破壊という共通点がある。このように、本書が語るのは、戦時、戦後の日本内で起こった出来事と、震災後の日本内で起こっている出来事には、共通点がいっぱいあるという話である。

本書は、ラジオ番組「片山杜秀のパンドラの箱」から12回分を文章に起こしたものである。著者、片山杜秀は『未完のファシズム』の著者で、思想史研究者であり、同時に音楽評論家だ。よって、本書はラジオ収録中に流れる、著者が選出した音楽も本文の途中で丁寧に書き出されている(一応、音楽番組であるが、60分中、45分はトークだ)。それは、クラシック、映画のサウンドトラックから、歌謡曲、朗読など多岐にわたる。音楽も検索しながら読み進めることで、一気にハマってしまった。

本書に収められているのは、2011年3月25日から2012年6月22日までの収録をまとめたもの。テーマは3.11後の日本で、原発を中心とした話と、現在の政治がテーマとなっている。と言っても、「割れ煎とナチス」、「小松左京と金正日」、「吉田秀和とノストラダムス」というように、あちらこちらから材料を引き出すので、終始読者は思いがけない発見に遭遇することとなる。

著作のひとつ『未完のファシズム』で詳しく述べられているが、どうして日本があんな無茶な戦争をして、200万人から300万人もの犠牲者を出して、負けてしまったのか。「精神主義」と「神懸かり」が、その主な理由の一つとして挙げられるのだが、それらはどういう経緯で形成されたのか。筆者は第一次世界大戦に注目する。第一次世界大戦では、機関銃や戦車や飛行機や潜水艦や巨大な大砲などがどんどん導入された。人間が突っ込んでいっても、みんな死んでしまう。「持たざる国」があっという間に負けてしまう時代になってしまったのだ。では、「持たざる国」日本が先進諸国「持てる国」に勝つには、どうすれば良いか。

日本を工業国に育てようとしても、20年、30年かかってしまうだろう。長期戦=物量戦になれば、確実に負けてしまうため、時間がない。そこで、短期戦で終わらせる、同時に足りない兵器や人数は、気持ちで補おうとし、精神主義が広まった。ここで、大切なことは「短期でやれば勝てるかもしれない」という前提である。

しかし、この「短期で終わらせる」という前提は、戦争が悪化するにつれ、忘れ去られてしまう。著者はウィーンの思想家、カール・クラウスの「言葉というものを正しく使わない世の中は、ひじょうに危機的な状況に陥る」という言葉を引用しているが、まさにその言葉どおりになってしまった。長期戦でも、勝てると信じることで、どんどん人が死んでいく。その結果が1945年の敗戦である。

このひとり歩きした精神主義を震災後の現在に当てはめたらどうか。戦後、原子力発電が日本に導入された。持たざる国日本にとって原発は、持てる国と肩を並べるために必要不可欠に思えた。少量の燃料で、きちんと管理して使っていれば、豊かな電気が得られる。本当は、後始末やリスクのことを考えると、コストは莫大になるのだが、「エネルギー資源が乏しい国ではこれしかない」というスローガンのもと、どんどん推進していった。しかし、その背後に隠されたのは、日本は世界でもまれな地震国であるということ。明治以降に起こった規模の地震だったら耐えられる、将来は大丈夫という、全く筋の通らない説明だけで、地震への対策が十分にとられてこなかった。

筆者は「敗戦と原発」をこのようにまとめている。

第二次世界大戦において、精神主義がだいじだという話が、短期戦争とセットでないと生きてこないのに、その肝腎なところを外されてしまって、かえって国を破滅に導いたのと同じことで、持たざる国日本の原子力というものは、地震とか災害にたいする徹底した安全管理と込みになっていないとなんの意味もない。いくらエネルギーが供給されたって、ひとつ事故があれば、へたをすれば国全体に人が住めなくなるような状況になる。

1945年の敗戦が、精神主義の暴走によってもたらされたのと同じで、原子力行政がただ「安全です」と言って、ほとんど地震国・日本の前提を考慮しないまま暴走していった結果、もたらされた悲劇なのです。

実は、まだ、最初の章、「敗戦と原発」しか紹介していない。他の章も、劣らず面白く、重要なのだが、私はなによりこの章に惹かれた。なぜならば、最初の放送日は3月25日。3月、4月は震災、原発についての情報は混沌としていた。被害がとてつもないこと、政府が機能していないことしか分からない。また日本が終わってしまうかもしれないという予感もあり、「今何か言ったらまずいよね」という空気まで漂っていた。その中で、震災後第一報、「敗戦と原発」が始まる。「とりあえず、今何かを残そう」と、著者が直感した生の言葉が収められている。それが非常に貴重に思えたのだ。

また、ラジオ番組をそのまま文字に起こしたため、著者が言っているとおり「即興的な喋りでないと無理な話の展開」というものがある。それが、「小松左京と金正日」、「最終公害と最終戦争」、そして「セシウムと吹奏楽」といった、一見つながりがないように見えるものをつなげてしまう、片山ワールドを生み出す。新たなレイヤーを2枚、3枚重ねることで、物事は全く違ったふうに見えてくる。そして、収録時期の臨場感がストレートに読者に伝わり、生の声に触れる大切さを改めて認識させられる。情報が溢れる震災後の日本で、新たなレイヤーから物事を見通す方法を教えてくれる、大切な一冊である。

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