HONZ
手帳を2冊持ってまで 仕事がデキル男になろうとも、使い慣れない長財布を無理に身に付けてまで金運を高めたいとも思わない。しかし、せめて清潔感があって感じが良い人だと周りからは思われたいものだ。
外見・性格、自分が周りからどう思われているのか。日頃ズバリと指摘されるような機会もナカナカないが、実際言われるとイラッと来てしまうのが人情というもの。そんなときは本書を取り出し、指差し確認も悪くない。自己啓発書も使い様、読んで楽しく使い手もあるこの一冊をご紹介したい。
『人は見た目が9割』とまでは言わないが、髪型は人の印象を大きく左右する。おじさん臭い印象を与える髪形には実はある共通な特徴があり、逆に言えば髪型さえ改善すれば驚くほど若々しい印象に変わる。まず手始めに、中年っぽい印象を大きく変える「髪形の逆転セオリー」を伝授しよう。
◆逆転① トップ・サイドの比率で若返る
おじさん臭く見えてしまう髪型と、若々しく見える髪型の違い、それは、頭頂部(トップ)と横の部分(サイド)の厚みの比率にある。同じ顔、同じ生えぎわ、同じ髪の量でも、トップよりサイドが厚い人はおじさん臭く見え、トップのほうがサイドより厚い人は若々しく見える。

(出典:著者ブログ)
トップの厚みの黄金比率は「眉間を基点にして頭頂部からの長さと顎までの長さが1対1」で、これが最もバランスがいい比率だ。ぜひ覚えておこう。
◆逆転② ボリューム感を出す
薄毛が進行した場合には、まずショートヘアで対処するのが鉄則だ。その理由は二つ。一つ目は、短いほうが髪を整えるときにドライヤーなどでトップを立たせボリューム感を出せるため。先の「黄金比率」を実現しやすくなるのである。
二つ目は薄さが目立たなくなることが挙げられる。その好例は所ジョージと小堺一機。二人とも髪の毛をショートにしているうえに明るい色に染めているので地肌とのコントラストが弱まり、薄毛が目立たないというところにミソがある。
もう一つの鉄則は「毛流」。髪の生える自然な流れを活かし、生え際と額の両側を隠すように髪を整えてあげよう。この好例が日本テレビの村尾信尚キャスター。下の写真をご覧いただくと、毛流に逆らったオールバック風の髪型から、「ショート+毛流」を活かした髪型にしたところ劇的に若返り、男っぷりがグンと上がっているのがお分かりいただけるだろう。

(出典:著者ブログ)
◆逆転③ スタイリングは「立てる」
スタイリングとは整髪、つまり、お出かけ前に鏡の前で髪を整える行為などを指すが、ポマードを塗り、クシで撫で付けるイメージを連想された方は注意されたし。イマドキの若者は「手グシ」に加え、ドライヤーとスタイリングフォームの3点セットで髪の毛を整えていることを覚えておこう。
詳しくは、YouTubeなどの動画も研究されたし。「ワックス」「ヘアスタイル」「ドライヤー」といったキーワードで検索すると、スタイリング方法の動画が色々と見つかるはずだ。
女性からの好感度を想像以上に左右するもの、それは清潔感だ。女性は男性よりも汚れや臭いに対して敏感である。
「なぜかって? 清潔さは、生理用品や子育て、食事を作る際に重要な点だから」 パコ・アンダーヒル著 『彼女はなぜ「それ」を選ぶのか?』
汚れと臭いを周囲に感じさせないためには、毎日の習慣がものを言う。「まめにお風呂に入り髪を洗う」のは言うに及ばず、基本は次の5つへの対策をしっかりと行っていきたい。
◆対策① むだ毛
たいていの場合、女性のほうが男性より背は低い。下から覗き込まれても大丈夫なよう、鼻毛の手入れは怠りなく。「エチケットカッター」で、耳毛、眉毛などのむだ毛処理はぜひ習慣化しよう。
◆対策② 爪の汚れ
ネイルアートにあれだけ熱を入れる女性にとって、爪もかなりの注目ポイント。爪は切りそろえ、手洗いで清潔な状態を保つべし。
◆対策③ 口臭
口臭の原因の大半は歯垢。毎食後の歯磨きに歯間ブラシを併用すると効果的。
◆対策④ 加齢臭
加齢臭は皮膚にある皮脂腺から分泌される油分(皮脂)が酸化することで発生する。体の中で皮脂腺が最も多いのが頭皮。おなかの約30倍、背中の約5倍もの皮脂腺を有する。「加齢臭対策にはまずシャンプーを」を合言葉に、頭皮もしっかり洗おう。指の甲の部分で頭蓋骨を擦るように洗うとGoodだ。
◆対策⑤ 香水の間違った使い方
体臭を抑えるために香水を使うのはNG。互いの臭いが混じって異臭が発生することすらある。臭いを消すには殺菌剤や乾燥剤を含むデオドラントの使用が適切。香水とデオドラント、ぜひ、適材適所で。
外見をばっちり整えたら、コミュニケーションのとり方にもぜひ気配りを。圧倒的に女性から嫌われるのは「上から目線」、自慢話の一辺倒。かと言って、「下から目線」で卑屈な印象を相手に与えるのも避けるべきだ。
最も望ましいのは「横から目線」。相手の特性や立場を理解したうえで、同じ視点から対話する姿勢のこと。この達人がなでしこJAPANの佐々木監督だ。その実践テクニックのポイントは、選手のサポート役に徹する顧客志向と、フラットな立場での対話を通じたプロセスの共有化にあった。
フロントの要であった澤選手をMFにポジション変更する際、命令ではなく説明を尽くして本人の了解を得たり、ワールドカップ決勝戦延長で選手からの提言をすんなり受け入れて作戦を変更したりと、選手との間には実にフラットな関係が築けていたとのこと。こうした監督のスタンスがあるからこそ、選手は高いモチベーションでのびのびとプレイでき、ここ一番で神がかり的な力が発揮できるのだろう。
以上は言わば基本編といったところ。「男女平等」が叫ばれて久しい世の中、身だしなみへの「気配り」、会話中の相手への「心配り」・「傾聴」など、「男女ともに」留意していきたいものだ。
さらに、応用編として「福山雅治より石田純一がモテる理由」、芸能界稀代のプレイボーイ「羽賀研二の悪魔的なホメ言葉」、「出会いは合コンより○○○」など、先のステップに進みたい方・ご興味のある方、続きは本書で!
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血液研究者の著者が、食材による栄養素の摂取法から、毛髪が生えるメカニズムと脱毛のメカニズムを解説。
湿度が高まるこれからの時期、中年男子はやはり臭いに注意されたし。ちなみに、加齢臭と相性のよい臭いはグレープフルーツ等の華やかな柑橘系の臭いらしい。山本尚毅のレビューはこちら。
妊活バイブル 晩婚・少子化時代に生きる女のライフプランニング (講談社プラスアルファ新書)
- 作者: 齊藤 英和、白河 桃子
- 出版社: 講談社
- 発売日: 2012/3/20
現代の日本人女性を取り巻く環境をリアルに描いた良書。超少子高齢化社会のわが国では避妊教育以上に妊娠教育が必要なのでは、と考えさせられる一冊。
「たけしの誰でもピカソ」の北野武さんは、以前アーティストについて「芸がよければ王様ですら言うことを聞く」と言っていた。ヨーロッパの宮廷には王の側近に道化がいた(宮廷道化師)。城の中にはイエスマンしかいないので、道化はその組織と制度に属さず、一歩離れた視点から国や王の行動を観察し、冗談を装いながら批判し、時には王をいさめていた。これは豊臣秀吉に対する千利休と同じ立ち位置だ。
ところでキュレーターという言葉はHONZでは馴染み深いが、今回紹介する本は現代美術におけるキュレーターの話だ。キュレーターの仕事といえば、アーティストの発掘を思い浮かべるかもしれないが、それ以外の重要な業務に展覧会の企画がある。これはキュレーターが現代美術と社会の橋渡しをする重要な役割を担っている。展覧会における仕事は、テーマの考案、参加アーティストとアート作品の選定、展示会場の能力を充分に発揮するような作品の設置、メディアへの執筆などさまざまだが、何よりも作品の裏舞台という私達が展示会では知り得ない世界を垣間見る事ができる。
本書は著者がこれまで手がけてきたパブリックアートや展覧会について、時系列で綴ったエッセイだ。マシュー・バーニー、ジャスパー・ジョーンズ、ドナルド・ジャッドという大物作家の名前が頻繁に出てくる。この時期はこういう作風が主流で〜こんな作家が注目されて〜、その作家は何を言わんとしていたか〜、その後どういう反響があったか〜、など世界を舞台に仕事してきた氏の発言から得られるものは多い。そして何より人間の考える事は実に多様で面白いと感心してしまう。
アートとはなにか、その問いは一見難しく答えもさまざまだが、その世界にはユーモアがあり、ちょっぴりの嘘や批判もある。紹介される展示は知的なゲームでもある。ありふれたイメージを変容させて、人々の感性を触発するアイディア。鑑賞者がアートと交わり呼び覚ます新たな知覚は道化の芸そのものではないか。
そしてアートは毒にもなる。そこは哲学と同じだ。毒はまれに薬になる。批判の毒が強ければ、道化は王の怒りにふれ、命を落とすかもしれない。その批判者としての役割を、アートは現代社会での中で果たす。社会がその妙薬を飲むも飲まぬも自由である。しかし、社会が芸術が発する批判を受け入れるべきか否かという問題に直面する時、対応の仕方がその社会の文化の深さに直結する。
著者はキュレーター歴30年の大ベテランであり、現在は森美術館の館長だ。これまで世界各国の美術展でコミッショナーやディレクターを歴任してきた。銀行員だった著者は会社を辞め、ヨーゼフ・ボイスに衝撃を受けそのまま美術の世界に入った。ボイス自身は戦闘機乗りだったが、ロシア空軍の攻撃により負傷し、タタールの遊牧民に命を救われた経験を持つ。タタール人は瀕死の彼の体にバターを塗り、フェルトでくるみ、ボイスは九死に一生を得た。この後彼はアーティストになる事を決めたという。以来、ボイスはバターやフェルトなど有機的な作品を創るようになるのだが、著者曰く彼の作品には「神が宿っていた」そうだ。手がける作品はまさしく「神は細部に宿る」と思わせる作品だったらしく、綺麗というレベルを超えていたそうだ。残念なのは、別の機会(フランスでの展示)でボイスの回顧展で同じ作品を再現した時、その感動は味わえなかったらしい。神業のインスタレーションとは、その時一瞬しか生じない即興パフォーマンスのようなものかもしれないと語っている。これは歴史の中に生まれた創造精神を一瞬だけとらえ、表現する手法になるのだが、ダンスに非常に似ているので面白い。
とりあげる展覧会は大都市から砂漠、アジアの隆盛などテーマは多岐にわたるが、読むだけで世界中の良質な美術館にいったつもりになる。おぼろげでも「アートってこういうものかな」という輪郭が見えてくるので、少しでも美術館の雰囲気が好きな方にはぴったりだ。各章の合間に写真がはさまれているので、イメージも浮かびやすい。
日本人でも宮島達夫というユニークな作家がいて、「家プロジェクト」という日本家屋の畳をはがし、水を張り、カウンターのリズムを沈めた作品を作り恒久装置とした作品がある。それぞれのカウンターリズムは、一個ずつ地元の人が決めたそうだ。この試みは非常に面白いと思う。こういった参加型のパブリックアートがもっと増えれば、たとえ無機質な空間でも明るいエネルギーに溢れるようになるだろう。ちなみに彼の作品は今、世界中で見ることができる。
最近の現代アートには、体験型の展示が多くなってきた。その度に、それぞれの作家に「こういう考えもあるのか」と発見がある。もちろんアーティスト個人の意見なので、わからないものがあっても大丈夫だ。なにより自分以外の表現に興味を持つことは、全然価値観が違う深く広大な世界を見る事ができる。きっと自分の器を広げるだろう。
————-【こちらもオススメ】————-
ゴシック、幽玄、アルカイック、センスにまつわる用語がアートシーンによく出てくるが、じゃあひとことで何?って説明しようすると詰まってしまう人のための用語解説書。後半は「わび、さび、婆娑羅」など日本人でもいざ説明しようとすると難しい言葉について良くまとめられている。ハイ!大人のお勉強タイム、スタート。
以前、紹介した現代アートについての考察本。私も当初、現代アートはわかりにくいと感じたが、著者のいう”なぜ?”を大事にすることが、現代アートを身近に感じるためのヒントであると言うのが最近理解でき楽しい。
石原裕次郎 52 美空ひばり 52 向田邦子 53 有吉佐和子 53 越路吹雪 56。
これは、私が今でも見たいし聞きたい、読みたいと思っている人たちの享年である。並べるととても若くて自分が彼らの年を越したことが信じられない。彼らが居ないのは惜しい。しかし亡くなった人は仕方がないと諦めが付く。だけどふっと居なくなってしまった人への思いはどうやってけじめを付けたらいいのだろう。
そう思う人がたくさんいるから、繰り返し繰り返し「ちあきなおみ」のカムバックを願う声が聞こえてくる。1992年、夫の死をきっかけに一切公の場に出てこなくなった歌姫。彼女に恋焦がれ、何年かに一度はCMに使われ、ベストアルバムがヒットする。10代は当然だが、20代、30代もほとんど生でみたことはないはずなのに、名前と存在感が知られているのは、コロッケをはじめとしたモノマネタレントが、デフォルメされたちあきなおみを演ずるからだ。
つい先日も、オールナイトニッポンでナインティナインの岡村隆が、ちあきなおみの「夜へ急ぐ人」について熱く語ったためにyoutubeのアクセスが急増した。しかし岡村も実際歌っている姿を強いているわけでなく、志村けんのコントを覚えていたからだという。

NHK紅白歌合戦でこの歌の直後、司会の山川静夫が「気持ち悪い曲ですね」と思わずコメントしていた。
昨年暮れから放送されているTOYOTA/Rebornの中でも使われた「黄昏のビギン」はビートたけしが望んだそうだし、桑田啓祐が自身のラジオ番組で特集して「日本の宝」と称えたり、本書がこのタイミングで加筆の上文庫化されたのも縁というか運がいいというか、時代が「ちあきなおみ」を望んでいるのだと思う。
ちあきなおみのデビューは1970年。「雨に濡れた慕情」である。
♪好きで別れたあの人の、胸でもう一度甘えてみたい♪
小学生だった私は、この部分に大人の女を感じて、繰り返し歌ったのを覚えている。

1947年生まれだから、このとき彼女は21歳。AKB48のメンバーとほぼ同じなのが信じられない声だが、それもそのはず、母親が芸事好きで姉たちとともに4歳からタップダンスを習い「白鳥みえ」という芸名で米軍キャンプをまわっていたという。ちあきなおみと同時代の歌手、広田三枝子や伊藤ゆかりも幼い頃からキャンプをまわっていた。幼い子供だろうが、当然、ジャズやポップス、カントリーなんかも見よう見真似で歌わなくてはならない。自然とリズムも身に付くし大人びてもくるだろう。昭和40年代にデビューした女性歌手が、揃って歌が上手かったのは、そういう背景があったからだ。
ちびっこ歌手を卒業した後、中学生で舞台に戻る。家計を助けるためと思われるが、当時のスター橋幸夫やこまどり姉妹の前座をつとめ、ドサまわりの日々が10年続くのだ。「歌の上手い子」と評判が立ち、吉田尚人が経営する芸能プロダクションの秘蔵っ子となった。ここでのちにデビュー作を書いた作曲家、鈴木淳に預けられた。歌唱力もレッスンへの取り組みも図抜けた存在だったという。
ちあきなおみを語るには「喝采」は欠かせない。ドラマチック歌謡と後に呼ばれるようになる一つの小説を思わせる歌謡曲は、とてつもない歌唱力が必要であった。その上「黒いふちどり」のような葬式を思い浮かべる縁起でもない言葉が日本の歌謡界に出たこともかつてなかった。しかし昭和47年のレコード大賞はちあきなおみの上に輝いたのだ。

お茶の間のバラエティ番組花盛りだった昭和40年代後半、ちあきなおみはコミカルな役どころを楽しんでいたと思う。ドラマにも多く出演していたし、カバーアルバムもヒットしていた。「たんすにゴン」のCMも懐かしい。宍戸錠の弟、郷鍈治との結婚によって、ちあきなおみは幸せの絶頂にあった。

その夫ががんで亡くなった1992年、張り詰めていた糸がぷつんと切れるように、芸能界から姿を消した。本書には各界から多くの人が言葉を寄せている。それは面識があるなしに関わらず、その魅力に魅せられた人々だ。いなくなって20年も経つのに、期待を紡いでいる人は多い。生きているのならもう一度聞きたい。本書でも書かれているように、ニューオリンズあたりでボイストレーニングをして、アメリカの若いバンドのボーカルとして登場しないだろうか。由紀さおりの活躍を目の当たりにすると、そんな夢を見たくなる。
最後に芸能界から消える数ヶ月前の舞台を紹介して、私の熱い思いを終える。それにしてもYoutubeは時を食べる魔窟だ!
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やはり繰り返しブームが起きる山口百恵。同じ年で大好きだけど、なぜかもう一度歌って欲しいとは思わない。彼女は完結していると思っているからか。
彼の復活を熱望していたひとりである。死んでしまってはつまらない。
年代的に私は大人になりすぎていた。若い人にはこちらに心を寄せるだろうね。
「科学」という言葉は明治初期の啓蒙家である西周(にしあまね)によって発明されそうだ。発明されたと言っても何も無いところから西がその概念まで含めて考え付いたわけではなく、scienceの訳語として発明されたのだ(Wikipediaによると、「哲学」「技術」「芸術」なども西の手による訳語のようだ)。この「科学」という訳語こそが、“日本の科学”と“欧米のscience”の違いを端的に表していると著者は指摘する。
scienceの語源はラテン語の「知識」であり、日本語に直訳するならば「知学」という訳語もありえたかもしれない。西があえて「百科の学」、つまり、ばらばらに細分化されている学問と言う名を付けたのは、日本にこの概念が輸入された時代には、ギリシア哲学にまでその起源をさかのぼるscienceが既に細分化されていたことを象徴している。現在、日本の大学で工学部が理学部よりも発展していること、基礎より応用(実用)が重視されていることは科学と言う名前がもたらす必然なのか。
本書は科学の源流であるscienceの起源となるギリシア哲学(ソクラテス、プラトン、アリストテレス)から現在まで、2000年超の科学の歩みを振り返りながら、社会における科学の役割を考える一冊である。副題である『半日でわかる科学史入門』が、本書の内容を端的に表している。「科学史」を学校で習ったと言う方は少ないかもしれない(私も大学院まで理系だったにも関わらず、「科学史」の授業を受けた記憶はない)が、科学の視点で歴史を見れば世界史の授業とは異なる点が見えてくる。例えば、近代の幕開けとなるルネサンスは世界史においては15世紀に始まるが、科学史においては12世紀に始まるのだ。しかも、そのルネサンスの発信源はイスラム社会なのである。
本書には数式はほんの少ししか登場せず、より俯瞰した視点から科学と世界の関わりに触れられるので、これまでサイエンス本を敬遠していた人にもおススメである。原理・原則をブラックボックスとして輸入して、実用ばかりを追いかけたことによる弊害が様々なところで出てきている今こそ、科学の歴史を振り返るタイミングではないだろうか。
ちなみに、巻末には科学史を扱った様々な推薦図書掲載されているので、ついついAmazonのポチに手が伸びる。既にHONZの被害を受けている方々はご注意を。
徒然草ではないが「すこしの事にも先達はあらまほしきこと」なのである。日々の生活、最後は自分で納得して決断していかなければならないけれど、迷ったり悩んだりした時は、つい誰かに教えてもらいたくなる。誰にたずねることができるか、で、その人の人生は大きくかわっていくだろう。かつて、開高健は『風に訊け』という連載で、多くの若者の人生に見事な指南を与えていた。三戸サツヱさんのこの本、さしずめ、「生き方はサルに訊け」とでも諭されているような内容である。
2012年4月8日、三戸サツヱさんが亡くなったことを伝える朝日新聞の記事は意外なほど大きかった。かなり高名な教授であっても、高齢で亡くなられた場合には、死亡記事は決して大きくはない。しかし、97歳でみまかられた宮崎県・幸島の「サルおばさん」の記事は、死亡欄でのあつかいであったとはいえ、写真入りの立派なものであった。三戸さんは小学校の先生をしながら幸島でサルの観察をはじめ、定年後は京都大学霊長類研究所・付属幸島野外観察施設の研究員として勤められた方である。その経歴ではなく、そのなされたことの大きさが、その記事のサイズにあらわれているのだ。
三戸さんの名前をしらなくても、幸島で、エサとしてサツマイモを与えられたニホンザルが海水で洗うことを思いつき、その「イモ洗い」が「文化」として群に伝播していったことを知っている人は多いだろう。その行動を最初に観察・記録されたのが三戸さんなのである。他にも、数多くの発見をされ、日本のサル学において大きな貢献をもたらされた。その三戸さんの「サルと私の六十五年」を聞き書きという形でまとめたのが、この「サルたちの遺言」である。
この本は、しかし、実際にインタビューをまとめたものではない。三戸さんの著作などをもとに、聞き書きという形式に、いわばバーチャルにまとめたものである。なんだそうか、と言うなかれ。その構成は、聞き書き編集の名手、「悠玄亭玉介 幇間の遺言」や「のり平のパーッといきましょう」で、最後の太鼓持ちといわれた悠玄亭玉介の芸と思想を、そして、三木のり平のただものではない人生を、みごとなまでに面白い本に仕立て上げた小田豊二氏なのであるから。
脳梗塞から甦られた三戸さんが、生活する施設で、ある日「サルの話、していいですかあ!」と大きな声で言われた、お年寄りの話を聞き書きして後生に残す運動を十年来しておられる小田氏に白羽の矢がたった。しかし、残念ながらもう十分な聞き取りはできる状態ではなかった。そこで、これまでの著作から、聞き取りという形式で一冊の本にまとめようということになったのである。
さすが名手、話は実にビビッドに構成されている。イモ洗いを始めた娘ザル「イモ」のこと。「イモ」を産んだ「エバ」をはじめとする名門秀才家系のこと。死んだ子をひからびても放さなかったメスのボスザル「ウツボ」のこと。何匹かのメスザルは人間を好きになったが、そのすべてが若い研究者だけであったこと。幸島へ渡ろうとして水難事故で亡くなった若き研究者のこと。そして、自分の生い立ちのこと。
しかし、なんといっても面白いのは「仁義なき戦い」もかくやというほどの、サルたちの権力闘争、「ボスザル」として君臨した「カミナリ」とその高級幹部であった「アカキン」たちを巡る物語である。最近の研究では、群におけるサルの順位というのは、「餌付け」という特殊な状況でのみ観察されるものであって、かならずしも通常状態で認められるものではない、とされているようだが、面白いものは面白いのである。すべてのサルの話が、そこまでと言いたくなるほど、実に愛情たっぷりに語られる。
サルたちの行動について、擬人化されすぎた書き方が気になる人もいるかもしれない。高校生時代、幸島のサル研究をふくむ本を読みあさり、その「人間らしさ」にひかれて真剣にサル学を志そうと思ったことのある私ですら、少し気になったほどである。しかし、一枚の写真を見て、私が間違えていることがわかった。長年にわたり群をおさめた「カミナリ」晩年の顔。それは、思慮深い長老、という以外の形容が思い当たらない、じつに落ち着いた深みのあるものである。この本を読まずとも、その写真だけでも見てほしい。
巻末の三戸さんの紹介文の最後には「本書刊行の2012年、満98歳になった」とある。残念ながら、その二週間前、三戸さんは鬼籍にはいられた。「サルたちの遺言」として書かれたこの本が、「そうですね。私は、人生のことはサルから学びましたよ。」という三戸サツヱさんの遺言になってしまったのは少し残念だ。でも、いまごろきっと天国で、先に逝ったたくさんの幸島のサルたちに囲まれて暮らしておられることでしょう。合掌。
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こんな面白い本が絶版か…
ある種の文化財だと思うけれど。再版を強く希望。
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「聞き書き」には無限の可能性があるのではないかと思わせてくれる最近話題の一冊。
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開高健が生きてたら、今の時代にどんな指南を与えてくれるだろうか。
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ほんとは『ジェーン・グドール自伝』をあげたかったけれど、絶版なのでこちらを。
チンパンジーの道具使用を発見した研究者であるグドールも、正規の動物学教育をうけていない女性研究者。
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チンパンジーつながりでもう一冊。グドールのお友だち、チンパンジーのアイちゃんのお父さん(?)である松沢哲郎先生の本。京大霊長研関係の本はどれも面白い。
自衛隊カレー、子ども歌舞伎、裏千家茶道発祥の地、うどん、町家。地元でも知らなかった名産・伝統・歴史、知らぬ間に出来上がっていたブランド。この週末に地元に帰郷してみると驚くべき変化が見つかった。「まちづくり」というのは他人様の街のことだと思っていたが、とうとう自分のふるさとにもやってきたのかと、居たたまれない気持ちになった。しかし、商店街は閑散としている。お祭りの時期だったので賑わいはあったけれど、人混みよりも木枯らしが似合うと揶揄しても、大げさじゃない。
商店街といえば、どこのエリアでもまず第一に「シャッター街」と呼称されるようになった空き店舗の問題が浮かび上がってくる。もちろん、その光景は目に焼きつきつつも、すでにシャッターすら珍しく、商売を諦めた店舗が多く、玄関や車庫に様変わりしていた。
理解不能な現象が起こっていたので、早速、本書「口辞苑」を引いてみると…「しもうた屋」というキーワードが見つかった。「しもうた屋」とは「商店街の中にある非営業建物。つまり商店街の中における民家一般をさす」そうだ。おもしろいことに、商工会議所などの空き店舗対策事業にはしもうた屋は含まれないようだ、商店街の連担性を阻害し、景観と活気を損なわせている主な原因であるにもかかわらず。商店街から通勤する人ももう珍しくない、駅前の一等地に自宅を構えて通勤できるなんてそれはそれで商店を営業しなくても、十分にメリットはある。まちづくりは表面をなぞっただけではわからない、注視してふかーく、本音と建前を見分けていく見方が必要だ。
空き店舗が発生した原因として槍玉に挙げられるのが、郊外型ショッピングセンターとチェーン店だ。1990年代に本格化した進出は当初は「高速道路と駐車場に囲まれた独立王国」と馬鹿にされるほど孤立した立地だった。地方出身の人ならばすぐに思い浮かぶだろうが、そのショッピングセンターの周辺には大型の家具店、電器屋や書店などが数点散在する程度で、後は田畑や里山に囲まれている。これが中心商店街からお客を奪ったといつまでも言われ続けている。そして国道沿いにできるのは、地方に都会の文化ときらびやかさを持ち込むチェーン店だ。子どもや若者は東京の文化にたいてい憧れているので喜ぶのだが、その舞台裏でチェーン店は地域で稼いだ金を都会に持ち帰る。出店候補地は無限にあり、収益機会を見いだして進出し、収益が生み出せなくなれば当然のごとく退出する。地元や商店街への貢献がしにくくなるように、店長を数年で移動させるようにも仕組み化されている。売上を最大化・最適化するために生み出された仕組みは地域経済を骨抜きにしていく。
商店街に戻ろう。そもそも空き店舗が発生するとどうなるのだろうか、そしてその空き店舗対策はうまくいっているのであろうか。商店街において、空き店舗が発生すると十分な品揃えができなくなる、デパートや郊外型ショッピングセンターと違って、歯抜けのない商店街で百貨店の機能を果たしていたのだから当然ではある。しかし、空き店舗を問題視すると、2つのどうしようもない誤りを犯す可能性がある。1つは空き店舗をすべて埋めなければいけないという強迫観念を持つこと、今更すべての店舗が埋めることは非現実的だ。もう1つは空き店舗にならなければ問題ないという考え方になること、そう陥ることで風俗営業店が進出し雰囲気を損なってしまう。一方で対策としては家賃補助や若者にスペースを貸すチャレンジショップがあるが、空き店舗に不老長寿の薬はない。出店者が魅力的と感じる街を創っていくしかない。
魅力的な街を創るために地域ブランドを!となるのは自然の流れなんだろうか、秋葉原に出店しているゴーゴーカレーに代表される金沢カレーは巷では有名になってきているが、果たして「小松うどん」はどこまで知られているだろうか?2006年に商標法が改正され、地域名を商標化することが容易になったことによりブランド開発に弾みがついた。地元のうどんもその潮流に乗った。しかしうがった目で見れば、地域ブランドを創ったからといって、その地域に根付いていた食の消費量そのものが増えるのだろうか?日本中あちこちの地域の味を楽しみたい人がやってきては消費する姿は思い浮かぶが、うどんを食べる量がそれほど増えるわけではない。ましてやうどん県をライバルに回したら厄介だ。
うどん県と言えば…、と書き続けたくはなるが、きりがないのでここまでにしよう。本書にはまちづくりに関する391個のキーワードの本音と建前の辞典だ。まちづくりに取り組む人も、まちづくりのニュースで疑問に思ったけど確かめられていない人も、ふるさと納税に興味がある田舎に懐郷の想いを持つ人にもおすすめだ。「なるほど!」「すっきり!」「やっぱり。」と膝を打つことばかり。著者は地域商業を30年以上研究する大学教授。391個のキーワードに「大学」や「教授会」など、地域に関係のないキーワードも登場するが、そこに秘められた著者の皮肉は本書の一番の読みどころかもしれない。
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全国を講演し歩いている著者。全般的に辛口な口辞苑でも、ソフト優先のハードづくりを目指すコミュニティデザインの評価は高め。
日銀に20年勤め、現在は地域の仕掛人である著者。タイトルからは内容が想像しづらいが、地域に資金が流れ循環する仕組みを数多く掲載されている。

仏御前への旅―小松の子供歌舞伎「銘刀石切仏御前」 (時鐘舎新書)
著者 : 石田 寛人、undefined、石田 寛人のAmazon著者ページを見る、検索結果、著者セントラルはこちら
出版社 : 北國新聞社出版局
発行日 : 2009/5/1
いつの間にか「歌舞伎のまち」と名乗るようになった小松市。その所以である子供歌舞伎はどれだけひとびとの興味をひくのだろうか。
ようやく学生メンバーのキャラも立ってきた。レビューも一生懸命書いている。では彼らのオススメ本から。
急な小樽行きで欠席の一色麻衣。
就活戦線が苦戦に次ぐ苦戦らしく、腐女子もいよいよビジネス書に手を伸ばしたか。
大学院続行か、就職かで悩んでいる井上卓磨。
日本に留学している中国人へ日本人ジャーナリストが取材したもの。概ね日本が好きらしい。じゃなきゃ、来ないか(笑)
かわいい顔して結構酒が強い刀根明日香。
漫然と聞いていたが、これはとても古い本でした。著者も『日本百名山』を著した深田久弥だし。2002年と2012年を見違えたのかな?
ここで臨時ニュース。
連絡が途絶えていた仲野徹の生存が確認された。北京に出かけたのはいいけれど、フェイスブックやツイッターはもとより、メールも繫がらなかった模様。というわけで、遅ればせながら3冊を紹介してもらった。
仲野センセイのコメント
ずいぶん前に買ったのですが、なんか読むのが怖くてしばらく放置してました。殺人事件だけに「おもしろい」というと語弊があるかもしれませんが、なかなかすごい内容でした。佐木隆三というのは、テレビなどの印象でもっとクールな人かと思ってましたが、そんなことないですね。
これほど役にたたないマニュアルはないです。ハマザキさんが twitter でつぶやいておられました、と仲野のコメント。
著者は、つい前日、発売直前に亡くなってしまいました。
ここからは2週目。
成毛眞
ラザフォード・オルコック―東アジアと大英帝国 (ウェッジ選書)
- 作者: 岡本 隆司
- 出版社: ウェッジ (2012/04)
- 発売日: 2012/04
これは久保も「おまけ」に入れていた。中国で租界を作ったことで有名だが、成毛が反応したのは、後書きで「どこも出してくれなかった本をウェッジが拾ってくれてありがとう」というコメントだったらしい。面白そうなのに。
村上浩
井上も持ってきていた本。福田さん、すっごくたくさん仕事をしているなあ。
山本尚毅
二代にわたって帝国ホテルの社長が書いた裏話。ちなみに成毛が先ほど紹介した『菅原伝授手習鑑精読』の著者は息子さんだそうな。
新井文月
「ほらね、ほらね、行けなそうでしょ」とまわりに見せびらかしていると、旅行経験豊富な山本から「『地球の歩き方』に載ってますよ」と指摘されていた(笑)
内藤順
コロポックルとはだれか――中世の千島列島とアイヌ伝説 (新典社新書58)
- 作者: 瀬川 拓郎
- 出版社: 新典社
- 発売日: 2012/4/24
『だれも知らない小さな国』などで御伽噺だと思われているが、モデルになった部族がいる、という大変魅力的なはなし。
栗下直也
おやじダイエット部の奇跡 「糖質制限」で平均22kg減を叩き出した中年男たちの物語
- 作者: 桐山 秀樹
- 出版社: マガジンハウス
- 発売日: 2012/4/26
断っておくが、栗下はじめHONZのメンバーはダイエットが必要な人はいない。成毛とかワタシは年相応に脂が乗っているけれど、ね。
刀根明日香
「イスラム」を見れば、3年後の世界がわかる (青春新書インテリジェンス)
- 作者: 佐々木 良昭
- 出版社: 青春出版社
- 発売日: 2012/5/2
中東の政治状況は、確かにいつでも気になるところである。
高村和久
外尾悦郎、ガウディに挑む―解き明かされる 「生誕の門」の謎 (NHK出版新書 379)
- 作者: 星野 真澄
- 出版社: NHK出版
- 発売日: 2012/5/8
サグラダ・ファミリア教会で働く日本人芸術家・外尾悦郎を取材したNHK番組をまとめたもの。
井上卓磨
戦前の財界で名を馳せた「郷誠之助」の評伝。30年ぶりに再文庫化。このレビューは楽しみだなあ。
麻木久仁子
ホテルという異空間にも「住む」人がいる、という不思議。夜中にぼーっと外国のホテル案内の番組を見ていて、思わず銀食器を買ってしまったと語る麻木の気持ちもわからないではない。
大河ドラマも佳境に入ってきたが、ぜひ、松山ケンイチと松田翔太に置き換えて読んで欲しい、とのこと。
今回の例会は、とてもカブリ本が多くて「おまけ」が少ない。しかしひとり、ここに機嫌のいい男がいる!
鈴木葉月
若者言葉を集めたもの。著者の「もっと明鏡」委員会が気になる。
タイトルは哲学書っぽいが、本当に鉛筆のことしか書いてない。「ヤバイ、買いそう」と成毛が反応。
- 作者: 辛酸 なめ子、、辛酸 なめ子のAmazon著者ページを見る、検索結果、著者セントラルはこちら、竹田 恒泰、、竹田 恒泰のAmazon著者ページを見る、検索結果、著者セントラルはこちら
- 出版社: 扶桑社 (2012/04)
- 発売日: 2012/04
これは2007年に出版された本の文庫化。
陸上自衛隊「装備」のすべて 知られざる戦闘力の秘密に迫る (サイエンス・アイ新書)
- 作者: 毒島 刀也
- 出版社: ソフトバンククリエイティブ
- 発売日: 2012/4/19
入門書らしい。「僕には物足りなかったな」ってさすがマニアの成毛眞。すでに読んでいた!
最近、人生設計に余念のない鈴木だが、実行が待たれる。
こつこつ自分年金を作るのか、それとも危ない投資をして億万長者を狙うのか?人生の岐路に立つ鈴木葉月!
東大卒でスミマセン – 「学歴ありすぎコンプレックス」という病 (中公新書ラクレ)
- 作者: 中本 千晶
- 出版社: 中央公論新社
- 発売日: 2012/4/7
鈴木は東大出ではない。でも今でも受けておけば、と後悔しているそうだ。まさか、来世のことまで考えているのではなかろうな!
あなたが「自己追求のパラドクス」そのものだわ!
はーはーはー………
土屋敦
すっかり人気者になった鳥取環境大学の小林先生の新刊。
胎児も微笑むのだそうだ。綿密な統計によって推測されるその起源。
東えりか
科学警察研究所で筆跡鑑定の第一人者。造本がちょっと残念。
「遺された者こそ喰らえ」とトォン師は言った: タイ山岳民族カレンの村で
- 作者: 吉田 清、、吉田 清のAmazon著者ページを見る、検索結果、著者セントラルはこちら
- 出版社: 晶文社
- 発売日: 2012/4/6
妻をガンで亡くした中年男が世界中をさすらい、行き着いた先はタイのカレン族。よくあるカモにされる話じゃないのでオススメ。
40年前、リュックひとつを背負って「言葉」を探す旅にでた斉藤たま。『驚きの介護民俗学』が面白かった人へ。
2008年に単行本で出た本に加筆された文庫化。この本ヤバイ。読みながらYoutube見ていたら、あっという間に半日経ってしまったよ。
久保洋介
amazonの紹介文だけでも十分面白そう。
成毛眞のおまけのおまけ
ワタシの筆跡鑑定の本から触発されて思い出した本。昨年からかなり注目されている著者。
ということで今回はおしまい。
ユーストリームをしようか、とか、オフ会の計画とか、新しい突撃企画とか、HONZをやっているとみんなの頭にアイデアがあふれてくる。
「こんなことやって」ということがあれば、ツイッターでもフェイスブックでも提案してください。
次の定例朝会は6月6日。参観日にはなりません(笑)
- 作者: デイヴィッド・イーグルマン、大田 直子
- 出版社: 早川書房
- 発売日: 2012/4/6
あなたはどんな街に住んでいるだろう。その街に住むことを決めたのはあなただろうか、それとも、あなたの家族だろうか。立地、間取り、価格、様々な要素を比べて、その街に住むことを決めたことだろう。少なくとも、あなたはその街に住むことを決めた理由を述べることができるはずだ。しかし、その街へ住むことを決めたのはあなたの意識の及ばない何かかもしれない。心理学者ブレット・ペラムの膨大な研究によれば、2月2日生まれの人は、ツイン・レークのように数字の2と関係のある名前の都市に引っ越す確率が有意に高く、6月6日生まれの人はシックス・マイルのような場所に引っ越す確率が高い。誕生日という、一見居住地選択に全く関係のない要素でさえ、あなたの意識に上ることなく、あなたの行動に影響を与えている。
あなたはどんな人を配偶者に選んだだろう(もしくは、これから選ぶだろう)。性格、容姿、年収、相手に求める要素とその優先順位は人それぞれに異なるだろうが、一生をともに過ごすことになる(はずの)相手を選ぶのだから、しっかりと考え抜いて自らの意思で決断をした(する)ことだろう。しかし、心理学者ジョン・ジョーンズの15,000件に及ぶ公的婚姻記録の調査によれば、名前の最初の文字が同じ者同士(ジョンとジョアンナなど)が結婚する確率もまた有意に高いのだ。他人に映る自分を愛する傾向を「潜在的自己中心性」と呼ぶそうだが、これもまた潜在的と言うくらいなので意識に上ることはない。それでも、人の行動に確かな影響を与えている。
我々が自分の意識によって決断したと思っていることのどれほどが、本当に自分の意識に基づいているのか。読み進めていくうちに、自分の足元がぐらぐらしてくるような感覚を覚えて不安になる。量子力学のおかげでラプラスの悪魔は存在しないことが分かったが、私たちの行動は意識に上らないプログラムによってコントロール、決定されているのではないかとさえ思えてくる。本書で示される多くの興味深い事例によって、世界の中心にいたはずの“自分の意識”がどんどん傍観者という辺境に追いやられていく。コペルニクスやガリレオによって宇宙の中心から引きずり下ろされた地球のように。『子どもの頃の思い出は本物か』で記憶・過去の不安定さを痛感したが、現在でさえこれほど不安定とは。
著者であるデイヴィッド・イーグルマンはベイラー医科大学の<神経科学・法律イニシアチブ>の責任者であり、世界中で神経科学による知見をどのように法制度に反映すべきかを講演している。こう聞くとガチガチの専門書のようにも聞こえるかもしれないが、前半部分はあっと驚く事例が盛りだくさんで、ページをめくる手が止まらない。米アマゾンのBest Book of 2011(Science部門)を受賞したことも納得である。何しろ、第1章で投げかけられている問いがどうにも気になるものばかりなので読み進めずにはいられない。
- 酔っ払ったメル・ギブソンが反ユダヤ主義発言をぶちまけて、後に本心から謝罪するのなら、“本物のメル・ギブソン”などいるのだろうか?
- どうして自分に腹が立つのか?いったい誰が誰に腹を立てているのか?
- 特定の周期でストリッパーの売り上げが増えるのはなぜか?
- なぜ、利子の付かないクリスマス口座に預金が集まるのか?
- 薬物治療を受けているパーキンソン病患者がギャンブル依存症になり易いのはなぜか?
これらの問いは、投げっぱなしにされることなくしっかり回収されているのでご安心を。
意識に因らない行動が多いからと言ってがっかりすることはない。意識が関与しないことで有用な結果がもたらされることもあるのだ。例えば、ヒヨコの雌雄鑑定がある。ヒヨコのオスとメスはほぼそっくりなのでその判別が困難だったのだが、日本人が肛門鑑別法を開発した。“開発した”とは言っても、マニュアル化できるようなメソッドが編み出されたわけではない。ただ肛門を見るだけである。しかも、肛門のどのような特徴を見て判断しているのかをプロ鑑定士も説明することはできず、ただ何となくわかるだけだというのだ。そのため、この技法の伝達は師匠が雌雄を仕分けている姿を弟子が見つめるというものとなる。師匠の仕分けをじっと見ていると、弟子もなんとなく分かるようになるそうだ。同じような手法が第二次世界大戦のイギリスで、襲来する飛行機が帰還するイギリス機か爆撃に来たドイツ機なのかを見分けるテクニックの伝承のためにも使われていたようだ。
意識が関与しないこのような行動はエネルギー消費も少なく、反応も早い便利なものである。意識するためには多くのエネルギーが必要となり、何より時間が掛かる。では、意識が本質的に必要ないのかというと、そんなことはない。上記のような行動を体に覚えこませるためにこそ意識が必要なのだ。スポーツ選手が同じ動作を何度も意識して繰り返すことで、最終的にはその行動を意識がアクセスできない深みにまで染み付かせることができるのだ。テニスの試合で相手がキレのあるサーブを打ってきたら、こう問いかければよい。「どうやってそんな凄いサーブを打ったんですか?」体に染み付いた動きが意識の領域にまで出てきて、動きがちぐはぐになるはずだ。
このように高いレベルでの方向性を決定する役割を果たす意識は、長期計画を立案する会社のCEOに例えられる。エネルギーを大量に消費する高給取りのCEOがルーチンワークをするのは効率が悪い。CEOには前例のない、不確実な状況での的確な意思決定が求められているのだ。つまり、普段と違う状況、不確実性の中に飛び込まなければ、CEOは眠ったままということだ。新しいゲームをやるときは狂ったほどにエネルギーが消費され、脳が活性化するが、ゲームが上達するにつれ脳の活動は小さくなるという。予測可能性・管理可能性がますます低下する現代のビジネス環境では、ビジネスマンはルーチンワークに忙殺されること無く、新たなことにチャレンジし続けて自社のCEOを鍛えてやる必要があるのかもしれない。未知の世界へのアクセスが容易で、CEOが奮い立つので読書はやめられないのかも知れない。
ここまでで明らかになったように、我々の行動の中で意識が果たしている役割は、直感的に感じているモノとは大きく異なるようだ。様々な選択肢の中から主体的に選択したと思っていた行動が実は、無意識に行われていたものだったとしたら、その行動に対する責任は誰に帰属するのだろうか。本書は後半から、意識と法制度へと話が進む。そして、ここからが本書とその他の脳科学本を分けている部分だ。例えば、アレックス(仮名)という45歳の男性は妻と結婚して20年目にして急に児童ポルノに興味を示し始め、若い女性を買春しようともした。困惑する妻に連れてこられた病院で大きな脳腫瘍が発見され、腫瘍を切除した後は児童ポルノへの興味は消え失せた。もし、病気に犯されていたアレックスが児童に対して犯罪をはたらいていたら、責められるべきはアレックスか、それとも脳腫瘍か。
「非難に値するかどうか」という問いの立て方こそが誤っていると著者は指摘しながら、以下のように話を進める。
どんな場合も犯罪者は、ほかの行動をとることができなかったものとして扱われるべきである
現在測定可能な問題をしてきできるかどうかに関係なく、犯罪行為そのものが脳の異常性の証拠と見なされるべきだ
かなり踏み込んだ議論も展開されているので、後半は唸りながら、著者の考えと自分の考えを闘わせながらじっくり読むことになるだろう。あなたのCEOもきっとフル稼働になるはずだ。
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本書の内容とはやや異なる講演内容だが、こちらのTED講演も面白い。というか、この著者がこんなに若いことに驚いた。Yes, I’m possibilian.
こちらも我々をこっそり動かす仕組みについての本。かなり詳細な脳の働きの解説も出てきます。
レビューはこちら。
マジックにだまされるのはなぜか 「注意」の認知心理学 (DOJIN選書)
- 作者: 熊田 孝恒
- 出版社: 化学同人
- 発売日: 2012/1/24
意識が機能しなくなる点をついてくるマジックから考える一冊。なんだか最近こういう本のレビューが多くなっていることに今更気が付いた。このような本を読むことがルーチン化されてしまっているのだろうか。うーん。
レビューはこちら。
世界で最初の壺は日本でつくられた。1万4千年以上前、縄文人たちがつくりはじめたのである。地中海世界などでみつかる最古の壺は早期縄文時代から数千年後につくられたものだ。これらの地域では農耕が定着してから、穀物の保存などの目的でつくられはじめた。農耕以前の移動する狩猟生活では壺は持ち運びにくいため、つくられることはなかった。
いっぽう縄文人たちは定住型だが狩猟採集民族だった。本来、保存用の壺は必要ではなかったはずだ。その縄文人たちが壺をつくった目的はなんと調理用の鍋だったのである。日本はスープ発祥の地であり、シチューの祖国であると著者はいう。
本書は著者がナレーターをつとめたBBCのラジオ番組を書籍にまとめたものである。大英博物館に収蔵される700万点以上の文物から、100点を選び出し、そのモノにまつわるエピソードをそれぞれ15分ほどで語っている。しかし、よくある博物館の展示物に添えられた解説文のようではない。たとえば番組でとりあげた縄文の壺については、数千年後の江戸時代になり、内側に金箔が張り付けられ、茶道具の水差しとして珍重されたという後日談を語る。
他の99点についても、長い人類史のなかでモノがどのようにつくられ、そして扱われたかを上質な推理小説のごとく滑らかに解説していて、じつに興味深い。
本書のもとになった番組はポッドキャストでも聞くことができる。もちろん無料だ。大英博物館館長である著者の格調高い英語を聞きながら本書を読めば、悠久の人類史に思いを馳せながら、イギリス英語のヒアリングの勉強にもなるであろう。
日本からは縄文の壺のほか銅鏡、柿右衛門の象、北斎の「神奈川沖波浪」が取り上げられている。
(産経新聞2012年5月4日掲載)
かつて、「月曜夜9時は街からOLが消える」と言われる時代があった。トレンディドラマと呼ばれるものが全盛であった、つい20年ほど前のことである。
しかし、もっと時代を遡れば、街頭テレビに民衆が群がり、プロレスラーに声援を送っていた時代もあった。この時代は逆に、放映時間に家から人が消えたという時代であったことだろう。
今を起点に過去数十年を振り返るだけで、私たちが時間に感じる同時性というものが大きく変貌を遂げたということがよく分かる。その背景には、常に科学技術の進化というものが存在した。
本書で描かれているのは、さらに、そこからもう一歩奥へと踏み込んだ世界の話である。すなわち、科学技術の進化を生み出した背景に、どのような宇宙観の変化があったのかということだ。
ITが社会をどのように変えたか、その類の本を見かけることはよくあるのだが、宇宙科学ひいては宇宙観が我々の社会をどのように変えたか、そのような切り口で書かれた本は稀有なのではないかと思う。それを著者は、「時間」という補助線を巧みに使うことで見事に表現している。本書はそんな人間的時間と宇宙的時間、2つの時間をめぐる壮大な物語だ。
まず人間的時間、その歴史は「一瞬」というものが形成されるまでに、どれだけの時間を要したかということでもある。
はるか昔の原始共同体の時代、時間は共同体の内部に存在するものであった。同じ時間軸を共有し、儀式をとりおこない、共通の記憶とともに共同体の規範・伝統を継承する。それが、農耕を中心とした社会構造が作られるようになると、時間そのものが年ごとに再生されるようになっていく。
一日を明確に分割する単位がはじめて登場するのは、都市革命のころ。さらに産業革命の頃になると生産効率性を追求するために、分が時間的交換単位となり、時間は圧縮され抽象的なものになる。と同時に、かつて共同体の内側に埋め込まれていた時間は外側へと取り外され、客観的に計測可能な定規としての時間性を持つようになったのだ。
やがて地球の端から端までが電信線で結ばれるようになると、電気的に調整された新時代の時間は、1秒よりはるかに小さい区分へと変わっていく。
一方で宇宙的時間、その歴史は宇宙創造という「一瞬」をめぐる議論へと収斂されていく。
コペルニクス、ケプラー、ガリレオ。歴代の科学者たちは、先人の理論を覆しながら、一歩づつ時間を作りかえていった。決定的に大きな変化がおきるのは、ニュートンとアインシュタインの時代である。
ニュートンは絶対空間と絶対時間というものを定義することで、運動を定義するための枠組みを作ることに成功した。空間を絶対不変の箱のようなものだと考え、その中で起きる物理現象を考えたのである。それに対しアインシュタインは、空間そのものを研究対象とし、その歪みに着目することで新たな時間を生み出したのだ。
その後、アインシュタインの相対性理論から、量子力学や素粒子物理学の分野に至るまでの諸概念を総動員し、特異点としてのきわめて重要な「創造の瞬間」へと向かう。それが宇宙の始まり、創成だ。しかしその後、「創造の瞬間」という概念そのものも、揺らいでしまうことになってしまうのである。
この人間的時間と宇宙的時間という二つの時間。この両者がお互いに影響を及ぼし合う様こそが、本書の見所の一つでもある。その触媒となったのは、両者における物質的な関わりというものである。
物質的関わりとは、古くは手で粘土をこねたり、火のなかに鉄鉱石をくべたり、羊毛を木の枠に張って引き伸ばしたりすることを指している。これらは徐々に進化しながら、人々は新たな方法で物質世界と関わるようになっていく。その過程で、時間は欠かせない要素であったのだ。
その代表的なものが、機械式時計の導入である。これによりヨーロッパは1日の秩序を変え、やがて天空の新たな比喩を生んだ。労働者が、タイムレコーダーに支配された、効率的な生産のための新たな生活に入っていくにつれ、彼らの世界は、重力と運動の簡潔な法則に支配された軌道を惑星が規則的に動いていくという、新たな時計仕掛けの宇宙像を忠実に写すものとなったのだ。
それから何世紀も経ち、今度は蒸気機関が導入される。この出来事が産業革命という新たな時代の幕を開け、タイムカードに基づいた労働者の生活リズムを促した。それだけでなく、蒸気機関で駆動する機械から生まれた熱力学の科学は、エネルギー、エントロピーという概念を生み出し、宇宙論的思考を作りかえる独自の比喩や道具をも生み出したのである。
また20世紀の幕開け直前に、列車と電信線が登場したことも、長距離における同時性の新たな経験を作り出す。これらはまさに、アインシュタインの相対論の基礎となるものでもあった。
本書に流れる半分の時間、すなわち人間的時間を理解するのは多くの人にとって容易なことであるだろう。しかし残り半分の宇宙的時間の世界は、ハードルが高いと感じる方も多いかもしれない。実際に僕も、何カ所か理解のあやしいところがあった。
ただ、それでも僕がこの本をおススメしたいと思うのは、本書がその深淵なる宇宙の世界へと誘う力が非常に強いということにある。
過去5万年の文化の変化を思い返せば、デジタル技術などを通じて実現する人間的時間の変化は、宇宙的時間の変化を反映するということが予想出来る。宇宙観なるものが、戦略や戦術に落とし込まれテクノロジーへと変化するまでには時間を要するからである。この実態が宇宙的時間と人間的時間の時間軸をずらすことで、非常に良く見えてくるのだ。
例えば相対論物理学の世界。この世界において、同時性の基準はすべて座標系に依存する。ある二人が正確に同じ瞬間、同じ「現在」に生まれたという主張は、実際には、その時間の測定をおこなった人の基準座標系によって変わってくる。相対論では、同時性もまた局所的になるのだ。
これを、現在のネットのつながりが可能にした疑似同期や選択的同期という概念と照らし合わせながら考えてみると、実に良くイメージができ、なんだか分かったような気にもなる。そこに宇宙的時間と人間的時間の100年近いタイムラグが垣間見えるのだ。
もっと愚直に述べると、相対性理論という宇宙的時間が技術にまで落とし込まれたGPS、これを携帯電話に搭載することにより、超高精度の空間が超高精度の時間と織り合わされ、新たな人間的時間の構築が可能になったということである。
つまるところ、宇宙的な時間とは人間的な時間の未来を指しているとも考えられるのである。宇宙論は決して科学者たちだけのものではなく、我々の未来でもあるということだ。であるならば、はたして、ビッグバン理論以降の代替宇宙論とされる、ひも理論やブレーン宇宙論、多宇宙モデルといった新しい宇宙観は、われわれの社会にどのような形で再現されることになるのだろうか?
本書で描かれているのは、人間的時間に関する「瞬間」のヒストリー、そして宇宙的時間が投げかける未来の社会へのミステリー。読んでみたけど、よく分からなくってヒステリーっていうのだけは、ご勘弁を!
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宇宙はなぜこんなにうまくできているのか (知のトレッキング叢書)
- 作者: 村山 斉
- 出版社: 集英社インターナショナル
- 発売日: 2012/1/26
宇宙関連の領域に明るくない方には、副読本としてこの本がおススメ。宇宙の歴史から、最新の宇宙理論までが実に分かりやすく書かれている。
文化や社会の形態によって異なる時間の感覚と観念。これらを比較した古典的名著。時間意識というものが、どのように形成されたかが、丹念に分析されている。
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