まっとうな未来を生きるための科学的思考 『進化を飛躍させる新しい主役』

土屋 敦2012年11月13日 印刷向け表示
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地味な本である。しかし、ひとつのささやかな研究が、「進化を飛躍させる新しい主役」という、進化論を覆すような刺激的な仮説に至る過程には、科学的思考の基本が詰まっている。岩波ジュニア新書の一冊だが、はじめて科学に触れる少年少女はもちろん、私を含め、日々、科学的思考を身につけたい大人にぜひ読んでほしい。日常生活で思い込みや迷信から開放され、まっとうな問題解決への道筋を付けられるようになるはずである。

著者の研究は、「モンシロチョウのオスはどうやってメスを探すのか?」という素朴な疑問から始まる。そして最初の実験は、夏休みの自由研究でも可能であろう、モンシロチョウのオスとメスの標本をキャベツ畑に置き、オスは本当に雌雄を区別できるのかを確かめる、というものだ。オスがメスだけに集まることがわかると、今度は胴体と翅を切り離して、どちらに集まるかを確認する。さらにオスにメスの翅を貼り付けて、キャベツ畑に飛ばすと、オスが次々に集まってくることから、オスは、胴体は関係なく、翅だけで雌雄を判断していることを明らかにする。

続く疑問は、見た目の変わらないオスとメスの翅をオスのモンシロチョウはどうやって区別しているのか? ということ。オスはメスに触れていないので、手触りや味で区別しているわけではない。切り取られた翅に反応しているので音でもない。匂いか見た目か。切り取った翅をラップで覆って匂いを遮断した実験で、オスは見た目、つまり視覚でメスを見つけていることがわかった。では、今度は翅の形なのか斑紋なのか色なのか。翅を違う形に切り取った実験から、雌雄の区別には翅の色が大きな役割をしていることまでは明らかになる。

しかし、見た目の変わらない翅で、どうやって区別するのか? 順調だった実験はここで壁にぶち当たる。それを乗り越えたのは、著者が人間中心のものの見方をモンシロチョウを主体とした考え方に転換したからだ。人間には同じ色に見えるが、そもそも視覚器官が違うモンシロチョウには別の色に見えるのかもしれないーーいったん思いつけば、「なんだ、そんなことか」となるような話だが、実は案外むずかしい。仮説を立て、実験を繰り返しているとき、研究者は、いわば神の位置に立って、モンシロチョウという実験対象を見下ろして考えているからだ。

この視点の転換で、著者は、メスの翅が人間には見えない紫外色を発し、オスはその色に引き寄せられていることを突き止めるのである。仮説と実験を繰り返し、そして行き詰まり、視点をがらりと転換することで成功に至る。われわれの日々の仕事においても学ぶべきところは多いだろう。

さて、著者の研究はここで完了するはずだった。しかし、自然は著者に挑戦状を叩きつける。論文を発表後、その結論を危うくするさまざまな問題が出てくるのだ。例えば日陰と日向で翅の紫外色の見え方が違う。そもそもヨーロッパのモンシロチョウには紫外色がない。オスのモンシロチョウが別種のスジグロシロチョウを配偶者とみなす、などなど……。著者の頭は「なぜ、なぜ、なぜ」という疑問符でいっぱいになり、それを解決すべく、そのひとつひとつに対処してゆく。仮説を立てては検証し、その結果に基づきまた仮説を立てる。試行錯誤を繰り返し、世界中を飛び回って各地のモンシロチョウを集める。生きたモンシロチョウを持ち帰るべく、数日間滞在してチョウを捕まえては日本に帰る強行軍が続く。言うまでもなくモンシロチョウは害虫であるゆえ、申請と成田での検疫という煩雑な事務作業もある。過労で体調を崩しつつ、チョウを捕獲しては、調べ、実験を繰り返す。このときの著者の作業にこそ、科学、そして研究の本質があるように思う。

こういった実験の過程で面白いエピソードもある。著者の研究室に入ってきた廣田くんという大学院生が、オスのモンシロチョウがメスをどうやって探索するのか、それぞれの個体の行動を観察しようとする。著者自身は、識別のために翅に番号を書く、短いプラスチックの紐を付けるなどを試したが、オスを追いきれなかったり、紐が雑草に絡まるなどしてうまくにいかない。廣田くんは、ものすごく不器用だったため、最初からそんな細かい作業は諦め、モンシロチョウの翅全面を、赤やら青やらの油性マジックでベタベタと塗ってしまったのだ。

著者にとっては「雑すぎて試してみることもばかられる無茶な試み」だったが、しかし実際オスのチョウへの悪影響はなく、この大胆な荒業がうまく行く。そして1匹1匹のチョウの行動を厳密に観察するという、世界中で誰も実行したことがない困難な取り組みに乗り出すことができたのだ。

いい研究にはこうしたエピソードが付きものだと思う。現在山形大学准教授の「廣田くん」は、その不器用さが本で(そして当サイトによって何万もの人に)晒されていい迷惑かも知れないが、このエピソードひとつとっても、著者の研究と研究室の筋の良さを感じてしまう。

さて、著者にとってもっとも大きな課題は、前述した、オスのモンシロチョウが別種のスジグロシロチョウを配偶者とみなす、ということである。これについて、著者はついに大胆な仮説を持つに至る。すなわち、異種間の交雑が動物の飛躍的進化をもたらした、というものだ。小さな変異が積み重なってひとつの新種が生まれるには、数千年から10万年、あるいはそれ以上かかるというが、異種間の交雑なら、一瞬で「新たな種の萌芽」が生まれるという。種を越えてセックスを試みようとする超発展家のオスを、著者は「パイオニア雄」と命名しているが、彼らが「超高速の飛躍的進化のエンジン」である可能性があるのだ。

実際にそれを証明するような現象も見られるという。例えばアフリカのヴィクトリア湖などに生息するシクリットという魚は、過去1万2000年あまりの間に、一種のシクリットから数百種に分岐して進化したことがDNA解析によって明らかになっている。最速25年で新種が一種生まれていることになり、これは従来の説による進化の速度の100倍から1万倍である。

もちろん、「パイオニア雄」はいまだ大胆な仮説である。加えて別の問題も出てくる。種間交雑が可能なら、つまり結婚して子どもを作れるなら、それは、その2種が別種ではなく単なる亜種なのではないか、ということになり、種の分類に新たな視点をもたらすことになるのだ。

しかし、著者は「信じがたい仮説」と受け取られる可能性が大きい、と思いつつ、これを提起した。

“仮説の重要な科学的価値の一つは、それがじっさいに正しい仮説であったかどうかというよりも、どれだけ多くの研究者に駆り立て、結果的にどれだけその分野の研究を推進することに寄与したか、という点にあると思っているからです。”

多くの研究者は自分の発表が間違っていることを恐れるものである。それだけに、著者の心意気は素晴らしいと思う。

本書は単に、モンシロチョウの研究者がモンシロチョウのことを書いた本、とも言えるだろう。しかしそのなかには、まっとうな未来を生きるうえでの科学的思考が(研究者の悩みや逡巡、失敗を含めて)詰まっているのだ。息子が小学校高学年になったら手渡したい本である。

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素数ゼミの謎
作者:吉村 仁
出版社:文藝春秋
発売日:2005-07-12
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吉村仁氏も「種分化の歴史から見た種間交雑」という研究をまとめているそうだ。とりあえず、歴史的名著と言ってもよい、この本を。こちらも息子に渡したい本。

代替医療のトリック
作者:サイモン シン
出版社:新潮社
発売日:2010-01
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私はこの本で学んだのは代替医療のインチキというより、「自分が思いたいと思うことを証明しようとしてしまう」人間の性と、それを排除するための、科学における基本的な姿勢だ。日常生活においても、ニュースや誰かの言葉に潜むバイアスや誤りを見抜く力がつき、エビデンスや検証に対する意識が高まるだろう。仲野徹によれば、サイモン・シンはこの本をめぐる訴訟に追われているそうだが、早く新作が読みたいものだ。

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