『和僑』2ちゃんねらーは日本ではなく中国の農村を選んだ

栗下 直也2012年12月20日 印刷向け表示
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和僑    農民、やくざ、風俗嬢。中国の夕闇に住む日本人
作者:安田 峰俊
出版社:角川書店(角川グループパブリッシング)
発売日:2012-12-15
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インターネット上の巨大掲示板『2ちゃんねる』に投稿されたスレッドの転載記事を著者が目にしたのは2011年夏。タイトルは「中国の田舎に住んでるけど質問ある?」。投稿者は雲南省の少数民族の女性と結婚して相手の実家に同居して農業を手がける日本人。虚実が入り交じるネット掲示板であることを知りつつも、著者は書き込みの生々しい情報に惹かれる。村では人さらいが出没したり、村人が盗賊になったり、近隣の村との抗争が起きたりと現代日本では想像できないようなエピソードが記される一方、現地でしか知りえない行政の話や自宅付近の撮影画像などがそこには投稿されていた。「彼はなぜ中国の農村に住む気になったのか」。著者はそれを知りたい一心で、投稿者の住所はもちろん、名前も話の真偽もわらぬまま中国に出向いてしまう。

正直、この道中記だけでも読み応えは十分なのだが、本書では謎の2ちゃねんねらーを探す旅を軸に彼のような「和僑」と呼ばれる人びとに迫っている。 和僑とは華僑をもじった造語で「海外に渡った日本人」という意味。今世紀に入ってから一部で使われ始めたという。本書では中国に住み人だけでなく、出稼ぎに行く人、留学生なども含めて中国に渡った人を指している。

実際、登場する和僑は多様だ。実生活ではお互いが決して交わらないであろう人々が並ぶ。海外に遠征して稼ぐ中年に差し掛かった風俗嬢、中国で組を立ち上げた老ヤクザ。決して中国色に染まらない大手企業の駐在員。バリバリの共産主義で日中友好に尽力するも、今は産経新聞を愛読する老婆。そして中国の片田舎に住む2ちゃんねらー。

まったくバラバラに映る彼らの人生模様を読むだけでも面白いのだが、彼らに共通項を見出す著者の推察が興味深い。彼らのいずれもから、日本では失われた光景が透けて見えてくると指摘する。風俗嬢は清楚で物わかりの良い「日本人女性」を武器に世界を文字通り股に掛ける。日本では法律で身動きが取れなくなったヤクザも中国では表社会との線引きが曖昧な境界にしっかりと根を張る。駐在員は専業主婦の妻と子を持ち家と会社をまじめに往復する。そして、戦後を彷彿とさせるかのような左翼思想を啓蒙する人びとの存在。意図的か無意識かは不明だが、異国の地で彼らは日本でよりも「日本人らしく」結果的に振る舞うことで自らの存在を保っている一面がある。

多くの和僑を取材しながら、著者は最後の最後で冒頭の謎の2ちゃんねらー「ヒロアキ」氏に辿りつく。名前や居住地を突き止め、中国人の妻に連絡先を聞き、電話するものの、一度は拒絶されながらも、何とか対面する。

現在36歳。18年前に中国を旅行中に中国人と交際して結婚を決意。子供は2人。いずれも中国籍。普段は農地を耕したり、雑貨屋を営みながら、大半はネットサーフィンで遊ぶ。年間の支出は12万円程度で現地の収入だけで生活していけるが、年末年始を挟み数ヶ月間、日本の実家の仕事を手伝うことで100万円程度の収入を得る。100万円とはいえ、年間支出の8倍超が毎年入ってくるのだから、子供の教育資金や老後の蓄えは十分だ。現在の夢は、中国の住居の近所の山に眠るとされる将軍の墓の財宝を見つけることとか。現状は「それなりに幸せ」という。

とはいえ、前述のように自宅近隣は人さらいや刃物を持った男達が抗争を繰り返すなど暴力漫画のような生活環境。安心安全な生活とは距離があるようにも映る。それでも、「中国は日本よりも自由で暮らしやすい」と語る。日本にも中国にも思い入れはないが、言論や思想の自由が制限されても、中国の方が自由だと繰り返す。社会の側があれこれとお節介を焼くことで、思考停止状態に陥りかねない日本社会より生き易いのだと。近年は、日中の政治問題に焦点があたりがちだが、ヒロアキ氏は「周囲の人間は思想や言論などより自分の健康や食べ物など身の回りの直接的な利害にしか興味がないのでは」と投げかける。そろどころか「中国国民という認識もあまりないのでは」と語る。そこからは我々が想起する「中国」とは異なる中国像が浮かび上がる。

「日本社会に順応できない人びと」。一昔前ならば、和僑の彼らをそう切り捨てるのは簡単だっただろう。ただ、日本ではかつて多くの人が疑わなかった、「今日より明日がよくなる」という大きな物語は成立しにくい。もはや順応する、共有する物語自体が存在せず、それぞれが自分の物語を用意するしかない。和僑という言葉が生まれるのも時代の必然だろう。本書に登場する大手企業の駐在員は頑なに中国の熱気に包まれることを拒むが、逆に言えば、彼らは日本の大きな物語を信じている数少ない存在なのかもしれない。大企業の未だに手厚い駐在員への福利厚生を命綱に日本では完全に崩れた会社共同体的なモデルを日本以上に体現する生活を送ることがそれを物語る。

著者は和僑を取材することで、矛盾と無秩序を内包したまま肥大する中国はもちろん、ここ二十年で急速に変貌する日本の姿を見事に浮き彫りにする。そして我々、個人がどのような物語を紡ぐかという自明だが、これまで大半の日本人が避けてきた問題を同時に突きつけている。

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