『指揮権発動』検察の正義は失われたのか?

栗下 直也2013年05月10日 印刷向け表示
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指揮権発動 検察の正義は失われた
作者:小川敏夫
出版社:朝日新聞出版
発売日:2013-04-19
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「指揮権」。政治経済の教科書に出てくる「あれ」である。検察は独立性を保障されているが、法務大臣は個々の事案では検事総長を指揮できると検察庁法14条は規定している。過去に発動されたのは戦後一度のみ。1954年、世に言う「造船疑獄事件」で後の首相である佐藤栄作氏に対する逮捕状請求を当時の法務大臣が無期限に延期するように指揮した。その指揮権が実は50年以上の時を経て、昨年6月5日に発動される可能性があった。当時の法務大臣は野田佳彦首相(当時)に指揮権発動を打診、準備を整えていたが、指揮を決めていた一日前の4日に解職される。「本当かよ」と思われる人もいるだろうが、本当だ。本書の著者は当時の法務大臣である小川敏夫氏なのだから。

小川氏が指揮権発動を決意したのは「小沢事件」に関する虚偽の捜査報告書問題に対する検察の対応の稚拙さからだ。「小沢事件」とは政治家の小沢一郎氏の資金管理団体「陸山会」の土地取引を巡る政治資金収支報告書の虚偽記載問題だ。かつて新聞やテレビでも毎日のように報道されていただけに、この事件に詳しい人は当段落をすっ飛ばして貰ってもかまわない。問題にされた事象は04年の報告書に土地購入を計上せず、05年に取得したと誤って報告したというものである。形式犯であり、通常ならば修正報告で済む事案らしいが、検察は元秘書の石川知裕氏を逮捕した上での起訴と異例の厳しい対応を迫った。というのも、検察側としては、誤った記載は小沢氏が土地購入資金の出元を隠蔽するために偽装工作したのでは見立てたからだ。親玉である小沢氏の起訴に向けて取調べは続いたが、その後、検察は公判が維持できないと踏み、小沢氏を不起訴処分とした。だが、話は終わらず、市民で構成する検察審議会が二度に渡り起訴相当と議決する。その大きな判断材料となったのが、取り調べ検事が作成した捜査報告書だ。ところが、小沢氏の裁判の過程で石川氏の隠し録りにより、これがでたらめだらけの報告書と言うことが判明するから、事態は一変。焦った検察上層部は「担当検事の記憶違いで誤って報告書を書いた」というあり得ないような理由で決着を急いだが本書の著者の小川氏は「ベテラン検事がそんな間違いするか。許さん!」と指揮権発動を水面下で探るものの、解職されるに至るのである。

指揮権発動を検討するとは、どれほどでたらめだったのかが気になるところだろう。そこが本書の読みどころのひとつである。本書にはでたらめだらけの報告書、取り調べを一部隠し録りしたデータをテキスト化した文書の両方が掲載されており、読み比べられる。

もちろん、捜査報告書のずさんさは著者が本文内で端的に指摘しており、検察のめちゃくちゃな行動が白日のもとにさらされている。いずれの文書も読まなくても理解できるのだが、隠し撮りの文書は本書全316ページ中134ページもあるのだから嫌でもペラペラとめくりたくなる。私のような暇人にはたまらない。「検察は取調べ対象者からこのような誘導で言葉を引き出そうとしているのか」など敏腕検事の手の内を見られるだけで純粋に興味深い。ドラマ「HERO」の木村拓哉みたいな軽い検事はテレビだけかと思っていたけど、意外にフランクだし。「はっはっはー」とやたら笑うし。このやりとりを読むだけでも1890円を払う価値はある。

脱線したが、驚くべきなのはデタラメだらけの報告書の虚偽性だ。著者の指摘によれば、事実に基づかず作成された箇所は108行。報告書全体の8割に相当する。単語そのものは確かに発言記録としてあるが、全く異なる文脈で使用していたり、前後が矛盾なくつながるように、勝手に文章を作成してつなげたり、検事のクリエイティブな仕事ぶりに感心してしまう。スキルはフロッピーディスクの改ざんだけではないのである。また、本来、専門用語で作成するはずの報告書が簡易に書かれているのも興味深い。なぜか。検事出身の著者ならではの鋭い指摘が随所に見られ、頷かされる。

検察内部のパワーバランスや検察高官と著者のやりとりなど、事件を限りなく近くで見てきた著者だけに臨場感あふれる描写も多い。野田元首相との指揮権発動に関する会話も生々しい。指揮権と聞いて野田元首相が放った言葉は「50年ぐらい前に大騒ぎになったあれですか?」。やっぱり指揮権は「あれ」な存在なのである。

小沢氏の風貌からか、世間的にも小沢はクロのような風潮が強かった。この前も、新宿で仕事関係の人と飲んでいたら「小沢は絶対に悪いやつだ」と説かれた。確かにそう言われればそのような気はする。あんな風貌であのしゃべり方の上司がいたら出社拒否になるかもしれない。起訴されろと思うかもしれない。実際、こうした私のような市民感情を追い風に、狙いが大物政治家の小沢氏という背景も手伝って検察は自らの都合の良いストーリーに証言の断片をはめ込むという手法で無理を承知で見込みで突っ走ったわけだ。ストーリーに事実を当て込むのは検察並に得意とするマスコミを駆使して。今回は石川氏がテープを隠し撮りするというウルトラCで露見したが、さすがに対象が小沢氏だろうが、ヤクザだろうが報告書を捏造されては身震いしてしまう。著者は検察が本気になったらシロはクロくなるし、全てを闇に葬り去ることができることを示唆する。だからこそ声を上げたのだと。

残念であるとすれば、法務大臣の職を解かれたことの詳細については多くを語らないところか。ただ、舌鋒鋭い著者があえてそこに触れないところが、検察問題の根深さを逆に浮き彫りにしている。

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