『新宿歌舞伎町滅亡記』人の海で溺れて。

鰐部 祥平2013年05月16日 印刷向け表示
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新宿歌舞伎町滅亡記
作者:梅崎 良
出版社:左右社
発売日:2013-04-26
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夜の帳が下りるころ、この街には欲望が渦巻く。新宿歌舞伎町のコマ劇場。その前にあるコマ広場を定点観測地として著者は取材を始める。取材は1999年からスタートする。1999年といえば、私はまだ不良の世界に片足を突っ込んでいた時期だ。場所は違えども、ここに登場する若者たちが無軌道に漂流する姿は決して他人事で済まされる話ではないのである。

この街には様々な若者が集う。ボサボサの髪をふり乱し、目を血走らせ「こんな街、ぶっ壊せ」と叫びながら歩く少女やノーパンでブリッジを始める少女。その奇行や目の表情には明らかに薬物の影響がみられる。携帯がまだそこまで普及していなかった時代だ。電話ボックスには大勢のギャルが陣取り電話をかけまくる。かつて一世を風靡したテレクラ。そんな電話ボックスの一つに立て籠もり、リストカットする女性もいる。ホストとそれに群がる女性たちの束の間の恋愛ゲーム。泥酔者とハイエナのようなスリ。散切り頭の男たちは裸になりタトゥーを見せびらかす。そして彼らにまとわりつく、艶めかしい服装のコギャル。きらびやかに着飾り、性を商品化する中学生のギャバクラ嬢。

行き場のない者たちの一部はそのまま若年層ホームレスへと転落していく。本書の中心は次第にこの若いホームレスたちに移っていく。著者の観察ではホームレスは大まかに3段階に分けることができるという。

① 定職はあるが、住む家がない人

② 無職だが、捨て本拾いなどで日々の生活をしのぐことができる。異臭などはなく一般人でも付き合うことができる人。

③ 職を探す気もなく、もはや異臭も気にしない。一般人がつきあうのは難しい人。

貴史、ポン吉、加藤君、山ちゃん。Hな男。Xな男。彼らは著者が特に親しくなった若きホームレスたち。貴史は崩壊した家庭とサラ金から逃げ出しホームレスへと転落する。ポン吉は人の懐に飛び込むのが上手く、常に誰かに食事をおごってもらうことができる。その証拠にホームレスという状況にありながらメタボリックな体型だ。加藤君はパソコン検定1級保持者。パチスロで生計をたてている。いちど眠ると36時間眠り続ける。山ちゃんは美人ニューハーフの弟がおり、兄思いの弟から、差し入れをよくもらっている。Hな男は痴漢の常習犯。中毒患者のように痴漢がやめられない。Xな男は本物の薬物中毒者。普段は人がいいが、妄想が酷いときは周りに暴力をふるう。

彼らは著者の取材する長い時間のなかで、次第に下のレイヤーへと落ちていく。時には、そこから抜け出そうと努力はしてみるものの、いったん転げ落ちた人生に歯止めをかけるのは難しい。加藤君は強盗に身をやつし、ポン吉はホームレス仲間を食い物のするような小悪党へと変貌する。貴史はヤクザになる。だが元来、性根がない男だ。組織への服従が一般社会よりも要求されるヤクザの世界で踏ん張れるはずもなく、組からも逃げ出し、追い込みをかけられる。

彼らの無軌道ぶりとロジックの欠落した思考には読んでいて戸惑う人もいるだろう。しかし、貧困や家庭崩壊のせいで、傷つき人格に歪みを生じてしまった若者は、思考より感情を優先させ、忍耐より一時の快楽と逃避を常に希求する。だが、逃げた先に安住の地があるわけもなく、その先にあるのはより狭く、より逃げ場のない袋小路だけだ。それがわかっていても現実と戦い、居場所を自ら作り出せない若者たちの姿がそこにある。「歌舞伎町は地獄だね」との言葉が表すように、彼らは次第に人生の清算を迫られるようになっていく。

この街は日本最大の歓楽街。多くの人々が行き交うその光景は人の海のようだ。しかし大勢の人に囲まれながら、そこには確かに孤独が存在する。社会からつまはじきにされ、行き場をなくし彷徨う人々の集まる街。地回りヤクザに将来の進路を相談する女子高生は、周りに人生の悩みを相談する大人がいないのであろうか。文化大革命を生きぬいた中国人の東さんは、毎夜この街をパトロールし、泥酔者から財布を抜き取る犯罪「マグロ」に目を光らせる。なぜ、祖国から遠く離れた日本で、若くもない彼が危険な犯罪者と一人対峙しているのだろうか。どんな人生が彼に存在しているのか。

著者は東さんとともに捕り物にも参加する。女性に痴漢をはたらき、財布を盗んだ大男を捕まえたのだ。この時、暴れる男を取り押さえるのに更に3人が加勢した。被害者は風俗嬢。加害者はホームレス。暴れる犯人を取り押さえた3人はヤクザという、いかにも歌舞伎町らしい展開だ。東さんはこのような経験を通じ、彷徨う魂たちの灯明たらんとしているのかもしれない。

本書の著者、梅﨑良は写真家である。歌舞伎町の世相を写真で発表するつもりが、取材対象者に犯罪を行っているものが多いため、顔を発表することができなくなってしまった。そこで、文章で表現することにしたという。ゆえに文章もプロの作家のようにこなれてはいない。またノンフィクション作家のように対象者の人生や思考に深く切り込む記述もない。ただ、若者たちと会話をし、食事を共に食べ、写真をとる。そしてその経験を淡々と綴った作品だ。感動をさそうような記述もない。そこにあるのは、「はみ出し者」達のへの素直な驚きと、ごく普通の大人のリアクションだ。だがそれ故に、行間から微かに聞こえてくるのだ。若者たちの苦痛と滅亡へと続く自虐的な叫び声が。そしてその中に、かつての私自身の姿を見るのだ。

2013年の現在、コマ劇場はもう存在しない。コマ広場も閉鎖されている。しかし、この街に集い、狂乱を演じる「はみだし者」は今も後を絶たない。人の海に漂う孤独な魂は、今日も一時の快楽を求め街を漂流し続けているのであろう。そしてその姿は日本全国の繁華街で見ることのできる世界でもある。関わるのには覚悟がいる。お勧めはできない。だが、横目でその姿を眺めてみる必要はあるかもしれない。同時代を生きる大人として。

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