そうだ、京都、まわろう。『京都の平熱』

足立 真穂2013年06月11日 印刷向け表示
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京都の平熱――哲学者の都市案内 (講談社学術文庫)
作者:鷲田 清一
出版社:講談社
発売日:2013-04-11
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バスに乗ってまわると、京都はいいよ。

友人にそう教えてもらったことがある。歩くには広すぎる。地下鉄では、景色も見えないし、寄り道もしにくい。タクシーでは、お財布具合もあるけれど、運転手さんに気を遣ってしまうしね。バスだと、勝手に動いてくれる割には、自由でしょう?

友人はそんなことを言っていたが、本数も多い京都の市バスは確かに便利だ。そんな背景もあるのか、本書の案内人、鷲田先生(なんとなく、先生と呼ぶのがしっくりとくる)は、206番のバスに私たちを乗せる。

京都駅から、七条通を東進、東大路を祗園へ、岡崎、百万遍を通り、高野を経て北山通を、下鴨、紫野へと西に進み、千本通を下がり、大宮通へ、そして島原や西本願寺を越えたところで再び駅へ、とぐるり京都の街の中心部を東回りで周回するバス。地区ごとにブーッと押してバスを降り、ああだこうだとおっしゃるエッセイの体裁なのである。

京都を案内する本は数多い。が、哲学者が、バスに乗って、街をぷらぷら回遊する類のものは、そうそうないように思う。それを可能にするのもまた、京都なわけだが、さて?

「西本願寺と島原。その隙間が放課後の場所だった」という、寺社仏閣と遊郭に囲まれて育った粋な案内人、自称“ずぶずぶの京都生活者”を先頭に、それじゃあ、まわってみましょうか。

終点まで一周しても、大人220円。まず京都駅前を起点としてこのぐるり旅は始まるのだが、駅を出発して右折したとたんにさっそく始まるのは、ラーメン談義だ。第一章にあたる「東へ」の文章4ページ目にして、「ラーメン文化」なる小見出しが来るのだ。界隈にある「中華そば専門・新福菜館」と「ラーメン専門店・本家第一旭」の紹介から、京都ラーメン全般に話が及び……と、大通りを行くと見せかけて、隘路にすっと姿を消されるすばらしき迷走ぶり。頭も足も胃袋もフル回転だ。

もちろん、話は食べ物にとどまらない。身体論を土台にしてのファッション研究で知られる先生ならではの京都「着倒れ」論や、「共同性」や「まち」について考え抜かれているからこその祗園の話など、わくわくしながらページをめくるたびに、バス散歩の旅は進む。折々に挟まれるモノクロの写真は、場の空気をつかんで映像化する達人、鈴木理策さんの手によるもの。読者のイメージは膨らんでいく。

散歩をしながら、先生はおもしろ話を次々に繰り出してゆかれる。

たとえば、京都の名物といわれる「大文字焼き」についての“いたずら伝説”には、大いに笑った――ちなみに、京都のひとは「大文字焼き」と呼ばれることを嫌うそうだ。お盆に還ってきた祖先の霊を「送る」行事だから「送り火」と呼ぶのだとのこと。豆知識が増えるのも本書の特徴といえようか――。

なんでも、京都は基本的には学生に甘い街だそうなのだが、これにはさすがに怒るだろうという一件だ。とある年の8月16日の送り火の際、前夜に京大の大学生複数が大文字山に登り、茂みに影をひそめていたそうな。そして、送り火当夜、午後8時に「大」の字点灯。と同時に、京大生たちは、持ち込んだ懐中電灯をいっせいに点けた。もちろん、祖先の霊を送るべく、人々は漆黒の闇の中に浮かび上がるはずのものを嬉々として見上げたそうだ。

そう、「犬」の文字を……。

話は変わるが、鷲田先生は、関西大学や大阪大学の教壇に立たれたあと、大阪大学の総長まで務められた、いわば大学の人だ。なのだが、「この本は、家元とお寺と「京料理」、それと大学についてはいっさいふれないというポリシーで書いているが、ほんの一言だけ大学について語らせていただきたい」とおっしゃる箇所に出くわす。伝説として、耳に届いてきた言葉があるというのだ。なんだろう? 姿勢を正した。

「桑原武夫先生の「おもろい」という一言だ。「頭がいい」でも「できる」でもなく、「おもろい」。これが桑原先生の最上級の褒め言葉だったというのだ。(中略)。これまでの通説やそれらが依拠している基盤そのものを揺るがし、くつがえす徴候を見てとったときに発せられる言葉だ。「頭がいい」や「できる」はいま流通している基準のなかで測られた評価でしかない。とんでもないことを言いだすやつを放逐したり、飼い慣らしたりするのではなく、野放しのままにしてくれる場所、それがここにあるとおもった。」(ここ=京都)

読んで私は膝を打った。「京都学派」と呼ばれる、学問集団が在る。桑原武夫もそのひとりだが、同時期に綺羅星のごとき才能が現れ、切磋琢磨したのだ。なぜ京都ではそういうグループが生まれ育つのか、どんな環境がそうさせるのか昔から不思議だったのだが、そのひとつの答えを見つけたような気がした。なんとなく考えていたことを、言葉にしてすっきりさせてくれたような感覚。これぞ京都を味わいたくなる、大きな理由かもしれない。

ふと思い出すのは、ノーベル賞のときの山中伸弥さんのスピーチだ。受賞の知らせをうけたときに、自宅で洗濯機の調子を見ていたとのユニークなエピソードを話されていた。わざわざそれを言ったのは、この「おもろい」を目指されてのことだったのか? もしかすると、この「おもろい」を野放しにしてくれる社会かどうかを、確認されていたのかもしれない。田中真紀子文部科学相(当時)が、洗濯機を贈るといい出したときに反発を覚える人が多かったのも、この「おもろい」を壊す無粋さにげんなりしたのだと思う。

と、書くとそれこそ無粋になっていくのでそろそろやめるが、この「おもろい」の京都での発信源を丁寧に教えてくれるのが、普段使いのこの本、『平熱の京都』だ。だからか、この本の読後感は、山中さんのスピーチで笑った後の感触にどうも似ている。

バス散歩のかたちをとったのは、「おもろい」が、道のりをいっしょに歩いてまさに空気に触れないと伝わらないものだからなのだろう。空から一望に俯瞰してこうだと決め付けるのではなく、「この店がよい」と点と線だけを追いかけるのでもなく、街の狭い小道を歩きながら「ああだこうだ」とおしゃべりしてくれるからこそ、わかることが、きっとあるのだ。

そうそう、最後にひとつ。「送り火」の「大」の字については「犬」以外にもうひとつ京都のひとを怒らせた“事件”が本書では紹介されている。なんと「大」そのものを消してしまったのだという。

さて、京都の学生さんたちは、どうやって消したのでしょう――? 

答えは、散歩の途中に。

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