『フラクタリスト ―マンデルブロ自伝―』 "ラフネス"と共に

高村 和久2013年10月09日 印刷向け表示
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フラクタリスト――マンデルブロ自伝――
作者:ベノワ・B・マンデルブロ
出版社:早川書房
発売日:2013-09-20
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Romanesco_broccoli

部分と全体の相似が特徴的なロマネスコ。「フラクタル」と呼ばれるこのような繰り返し形状は、シダや雲、海岸線、北斎の浮世絵、銀河の密度、さらには金融市場の価格変動等にも見られる。これらを対象とする数学を見出したのが、著者のベノワ・マンデルブロだ。「フラクタル次元」という「ラフさ」を表す数値は、次元であるが、整数ではない値になり得る。例えば、下記の繰り返し手順で作られる「コッホ雪片」のフラクタル次元は、1.26186…となる。

KochFlake

今ではかなり一般的になった「フラクタル」という単語自体も、著者が1975年に考えたものだ。息子のラテン語辞典を引きながら、「割れた」「砕けた」という意味の「fructas」を参考にした。"ラフネス"を測りたいという昔からの志に、名前がついた瞬間である。

ポーランドで過ごした少年時代は動乱の時代だった。時は第2次大戦の直前、ユダヤ系のマンデルブロ家は、「生き延びた」という表現がまさに適切だろう。最終的に、家族は全てを捨ててフランスに脱出した。はじめはパリのスラム街で暮らし、ドイツ占領下となってからは、山間のテュールという町やリヨンで、名前を隠して過ごした。それでもマンデルブロは、その頃について、身の毛がよだつ時期と平穏に過ごした時期が交互に訪れたと書く。マンデルブロの父は、自分の人生は思い通りにならなかったが、子どもに精一杯のアドバイスを送りつづけた。亡くなった際には著者が想像した以上の弔問者が訪れ、彼らは、戦争の最中に子どものためなら自己を犠牲にすることもいとわないという親にたくさん会ったが、父ほどの人には会ったことが無いと言った。

少年マンデルブロは、遥か昔の天文学者ケプラーを目指した。変則的だと思われていた惑星軌道に法則を見出した彼のように、自然界に一般的に見られる「ラフネス」に共通する規則を発見したい。その後、数学、物理学、経済学、工学、言語学、さらには芸術まで、実際に多くの分野を渡り歩き、大きな功績を残したマンデルブロだが、魅了されていたのは、一貫して「ラフネスの秩序と美」であった。

視覚で考える著者らしく淡々と描かれる戦乱の時期は、その場の風景が思い浮かぶようだ。多くの幸運とサポートを受けて、マンデルブロは無事に大学に進学した。受験勉強の際には「どんな難しい数式も簡単な図形に変換できる」という特異な才能に目覚め、入試で抜群の成績をとった。ユダヤ系移民としてスラムで暮らす少年にとって、奇跡的なキャリアである。エコール・ノルマルに入学直後、数学者集団ブルバキの価値観が息苦しくなり、1日で退学してエコール・ポリテクニークに入りなおすという事件もあった。

その後の経歴も稀有としか言いようがない。大学卒業後に滞在したカリフォルニア工科大学では、デュルブリックが「分子生物学」という新しい学問領域を立ち上げていくのを目の当たりにした。帰国後はパリ大学で博士課程に進み、誰も見向きもしていなかった「単語の出現頻度」の研究をテーマに選び、ロングテール分布を発見した。後に、マンデルブロは「ロングテールの父」と呼ばれるようになる。博士論文の審査委員は物理学者のド・ブロイだった。その後、「グランドツアー」と称して各地でポスドクを転々とする。MITでは、文化人類学者のレヴィ=ストロースの紹介で言語学者のヤーコブソンチョムスキーと交流し、プリンストン大学ではフォン・ノイマンの最後のポスドク学生となった。帰国して教職についた後は、心理学者ピアジェにジュネーブに招かれ、その後、アナール学派の歴史学者ブローデルの研究グループに声をかけられた。もはや文系なのか理系なのかよくわからない。その後、奔放な志を追うには大学の仕事が窮屈になり、IBMの研究所に移る。

IBMの研究所には“奇人”や“風来坊”、“何かの過失か指導教官との対立などで経歴に傷がついた研究者”など、よその研究所との奪いあいにならないような人材がたくさん入ってきた。たとえばFORTRAN言語を作ったジョン・バッカスやRISC型コンピューター・アーキテクチャを考案したジョン・コック、走査型トンネル顕微鏡を作ったゲルト・ビーニッヒ、高温超電導を発見したアレックス・ミューラーなどのメンバーだ。自由な環境の中、マンデルブロは価格変動に関する研究を始め、ファイナンスの世界に参入した。マンデルブロのマルチフラクタルモデルは「外れ値(アウトライアー)」を良く表現し、ブラックショールズ式等が拠り所とする正規分布では表現できない、不連続な変動を説明した。ラフネスを表現する数学は、価格変動に当てはまったのだ。

そして1980年、ついに「マンデルブロ集合」を発見する。古生物学者のグールドと会っていた縁でハーバードに滞在することになり、学生時代からの課題に取り組んだことがきっかけとなった。

マンデルブロ集合は、下記のような極めて短い数式であらわされる。

zn+1 = zn2+c

z0 = 0

定数cを選び、最初のzを平面の原点とする。zをzの2乗で置き換えて定数cを加える。この操作を繰り返す。(zとcは複素数)

このシンプルな数式によって、拡大する度に新たな形が出現する、深淵で美しい画が表現される。

Mandelbrot set

マンデルブロは本書の最終校正の直前に亡くなった。本書は、奥さんの「感謝の言葉」で始まり、友人で同僚であるマイケル・フレイム教授の「あとがき」で終わる。

好奇心と情熱に従え-それがどこへ向かうにしても。新しい世界が見つかるか、それとも新しい雪片が見つかるか、それは大して重要ではない。フラクタルと同じように、人生も結果よりプロセスとしてとらえたほうが良く理解できる。
ベノワはよく言っていた。フラクタルは残った部分で定義することができるが、取り除かれた部分でも同じくらいうまく定義できると。ベノワの死は一つの穴を残した。彼の驚異的な好奇心、思いやり、友人に対する激しいまでの律儀さ、家族への限りない愛情…これらが夜空に消えた。それでももちろん、思い出は残り、膨大な業績も残る。

自らの家族について書いたマンデルブロ自身が、奥さんと、仕事を受け継いだ友人に描かれた。複雑性や再帰性を愛した著者にとって、最高の、最後の1ピースとなったのではないだろうか。


mandelbulberを使って作られた幻想的なフラクタルCG

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