『名もなき人たちのテーブル』 by 出口 治明

出口 治明2013年10月22日 印刷向け表示
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名もなき人たちのテーブル
作者:マイケル・オンダーチェ
出版社:作品社
発売日:2013-08-27
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9部門のアカデミー賞を受賞した名画「イングリッシュ・ペイシェント」の原作者であるオンダーチェの新作なら、これはもう読むしかあるまい。そう思って手に取ったが、想像を遥かに超える素晴らしい佳品で、すっかり嬉しくなってしまった。

スリランカに住む11歳の少年マイナが、たった1人で大型客船オロンセイ号に乗って、母の待つ英国へ3週間の船旅をする。この小説は、成長して作家になったマイナが、この船旅を回想して書いた、という体裁を取っている。したがって、59章に綴られたこの美しい物語は、現在と過去とが絶妙に交錯しながら、オロンセイ号と共に歩んでいくことになる。

マイナは9人の76番テーブルで食事をとるように指示される。このテーブルは、船長のテーブルから遠く離されており、いわゆるキャッツ・テーブル(原題。もっとも優遇されない立場)である。しかし、ここには、マイナと同じ年頃の2人の男の子がいた。病弱で物静かなラマディンと、暴れん坊で活発なカシウスである。3人はすぐに仲良しになる。

キャッツ・テーブルの大人も、夫々に陰影が深い。鳩を連れたミス・ラスケティ、ジャズピアニストのマザッパ、植物学者のダニエルズ、等々。こうした人生の機微をわきまえた優しい大人達に庇護されて、3人の少年は、3週間の船旅の間に少しずつ大人に向けて脱皮をしていくのだ。ある意味では、この物語は、「朗読者」のような、一種の少年の通過儀礼の物語として読めないことはない。

しかし、そこはオンダーチェである。オロンセイ号の船上では、多彩で魅力的な乗客が次々と事件を起こす。美しいマイナの年上の従姉エミリー、旅芸人のハイデラバード・マインド、文学者のフォンセカ、耳の不自由な少女アスンタ、護送中の囚人ニーマイヤー等、役者には事欠かない。例えば、アスンタとニーマイヤーの事件は、ある意味、あまりにも鮮烈で、読者は一度読んだら決して忘れることはできないだろう。成人したマイナは、若くして死んだラマディンの妹マッシと結婚するが、ほどなくして別れ、淡い恋心を抱いていたエミリーと再会する。そして、カシウスとの再会を求めて、この物語を書く。

このように読み進めていくうちに、読者はマイナの人生は、実は21日間の船旅の間に完結してしまったのではないか、という幻惑にとらわれる。人間は、誰しも、かけがえのない無垢な少年(少女)時代に様々な人生を見て(経験して)、凝縮した一生を生き、そのセピア色の残光の中で、残りの人生を全うするのではないか、という考え方は、あながち間違いではないのではないだろうか。

本職が詩人であるオンダーチェの文章は、よく彫琢されていて、静謐で本当に美しい。加えて、そのまま映画の脚本になってしまうように、各々のシーンが、またものの見事に切り取られていて、脳裏に忘れ得ぬ像を結ぶのだ。例えば、テオ・アンゲロプロスや、マノエル・ド・オリヴェイラが、この稀有な物語を映画化すれば、と考えただけでもゾクッとする。傑作だ。

出口 治明

ライフネット生命保険 代表取締役会長。詳しくはこちら

*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。

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