『異端の統計学 ベイズ』 “信念”を数字に

2013年10月29日 印刷向け表示
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
異端の統計学 ベイズ

作者:シャロン・バーチュ マグレイン
出版社:草思社
発売日:2013-10-23
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂

本書は、「ベイズ統計」の歴史について述べた本だ。「ベイズの法則」は、迷惑メールの振り分けや商品のおすすめ表示などの様々な分野に応用されている手法である。本書はそれを、このように説明する。

ベイズの法則は、一見ごく単純な定理だ。

いわく、「何かに関する最初の考えを、新たに得られた客観的情報に基づいて更新すると、それまでとは異なった、より質の高い意見が得られる」

この定理を支持する人からすれば、これは「経験から学ぶ」ということをエレガントに表現したものに他ならない。

この法則がキリスト教長老派のベイズ牧師によって発見されたのは古く、1740年代である。ヒュームの懐疑主義が神のデザインに疑義を申し立てた時代に発見された、起きた結果から原因を推測する手法であった。以来現在に至るまで、この法則は数奇な遍歴をたどる。本書の原題は“TheTheory That Would Not Die”、200年の不遇の時を生き延びた理論の歴史である。

なぜ、ベイズの理論は認められなかったのか。ベイズから理論を引き継いだラプラスが死後に批判にさらされたことも、当初の原因の一つであったかもしれない。しかし、もっと本質的な問題が理論そのものにあった。

上に述べたように、ベイズの法則は、とある事態が発生する「確率」を計算するが、それは「最初の考え(事前確率)」に、「客観的情報」による更新を加える形で計算される。この「事前確率」の与え方が、じつは決められておらず、主観的に与えることが出来、それに応じて、最終的に得られる確率が異なってくる。これが問題となった。

近代科学には正確さと客観性が要求される。主観によって結果の値が異なる理論は、科学ではない。ベイズの理論は、繰り返し実験を行って仮説を検定する「頻度主義」に攻撃され、統計学の世界で異端となった。それでも異分野での応用が秘かに続いたのは、運命だったか、それとも、ベイズの底力だろうか。異分野とは、たとえば軍事だ。

第2次大戦中、チャーチルが心底恐ろしいと感じたのはただ1つ、ドイツの潜水艦ユーボートがもたらした危機であった。ユーボートはイギリスへの供給路を狙い、連合国の船は2780隻撃沈され、5万人を超す商船員が亡くなった。

潜水艦は命令を受けずに海に出て、その後に無線で指令を受け取る。この指令は「エニグマ」という機械で暗号化されていた。これを破るためにイギリスの数学者チューリングが持ちだしたのがベイズであった。チューリングは「ボンブ」と呼ばれる機械をつくり、エニグマを解読する。本書で描かれる暗号解読の物語はそれだけで一冊になりそうな内容であるが、戦後、そこで使われたベイズ理論は超機密扱いとなり、表舞台に姿を現すことはなかった。

1966年にスペインのパロマロス沖で米軍機同士が衝突し、水素爆弾4発が落下するというとんでもない事故が発生した時には、行方不明になった1発の水爆の捜査にベイズの法則が用いられた。「見つからなかった時の理由づけ」にしたい軍と、ベイズ理論で本気で探しに行く数学者が本書において対照的に描写される。世界中に広まるニュース、遠巻きに見守る共産圏。苛立つジョンソン大統領の「確率がどうのこうのという話はどうでもいい」というコメントは目に浮かぶようである。事の成り行きは意外なものであった。

軍事への応用以外にも、ベイズ理論は保険の計算や肺がんとタバコの関係、大統領選挙の予想等に適用され、学問的にタブー視されながらも細い活路を見出していく。ビジネスの世界では、「ディシジョン・ツリー」等の形をとって応用された。ベイズが利用されたことには理由があった。統計学の主流である「頻度派」の理論では「繰り返し実験」が必須だが、現実の場面ではそのような実験はできない。ベイズなら「1回こっきり」の事柄の発生確率を予想することができた。さらには「今まで起きたことがないこと」の確率を計算することが可能であった。これらは「意思決定」のツールとして決定的に重要な特徴である。ベイズ統計は、科学としては批判を受けたが実用的だった。ベイズは、スリーマイルやスペースシャトルの事故率を予想し、捕鯨禁止の効果を説明した。

ベイズ統計が最終的にブレークスルーしたのは、1980年代、「ギブズサンプリング」や「マルコフ連鎖モンテカルロ法(MCMC)」などの数値計算を行う事ができるようになってからであった。MCMCを知ったベイズ派の人達は「途方もない幅広さを知って、ショック状態に陥った」。発見されてから250年、懸案が遂に解決され、パラダイムシフトが起きた。コンピューターの反復運用が数式にとって代わり、シミュレーションによって現実の問題を解くことができるようになった。「客観的データ」という「アドバイザー」に次々に会う事によって成長し、最終的に「たぶんこうだと思います」と答えを出す統計的手法の誕生である。

将来についてはどうだろう。著者は、脳がベイズ的な思考で知識を獲得していることを挙げ、コンピューターも、やがて脳に近い理解力を備える日が来るだろうかと問う。ベイズ派にとって「確率とは、信念の尺度である」。コンピューターもやがて「信念」を持つ日が来るだろうか?その時人間だけが持っているものは、何かをやりたいという志向性や、低い確率を選ぶ勇気ということになるだろうか。

 

統計学が最強の学問である

作者:西内 啓
出版社:ダイヤモンド社
発売日:2013-01-25
  • Amazon
  • Amazon Kindle
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂

ということはベイズ統計は最強中の最強でしょうか。

鈴木葉月のレビューはこちら

機械より人間らしくなれるか?: AIとの対話が、人間でいることの意味を教えてくれる

作者:ブライアン クリスチャン
出版社:草思社
発売日:2012-05-24
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂

“チューリングテスト”なるテストがあります。内藤順のレビューはこちら

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • HonyzClub

『決定版-HONZが選んだノンフィクション』発売されました!