『河北新報のいちばん長い日』-号外の向こう側

高村 和久2011年11月19日 印刷向け表示
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河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙
作者:河北新報社
出版社:文藝春秋
発売日:2011-10-27
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「よく壊れないでいてくれた。津波と火事に耐え、みんなの命を守ってくれた」

気仙沼に急行した丹野さんは、泥が流れ込んだ総局ビルの前で涙した。

「何やってんだ、俺。最低…」

ヘリからシャッターを切ることしかできない門田さんは、自分を呪った。

「奥さん落ち着いて。とにかく落ち着いて。」

販売部長の荒さんは、自分も取り乱しそうになるのを抑えて呼びかけた。

「ならこのまま吹きこめ」「えっ?」「いいから見たまま話せ」

南三陸町役場にいた渡辺さんは、携帯電話越しに記事を伝えた。

あの日、私は、パソコンでNHKのインターネット放送をずっと見ていた。

その小さい窓の、向こう側で起きていたこと。

自らも被災者となった河北新報の社員が、サーバー倒壊の危機を乗り越え一日も途切れず新聞を送り届けた記録だ。三週間、会社に連泊した人がいた。不眠不休で炊き出しをした人がいた。家を流された人がいた。片道2時間歩いて出社する人がいた。避難所から出勤した人がいた。配達準備中に津波に遭って亡くなった方がいた。

だからこそ、自分が選択した行動は正しかったのかと、次々と判断を迫られる中で自問する。被災者に何と声をかければよかったのか。怒らせてしまった。自分は寄り添うことができているのか。「死者」と書かず「犠牲」とした表現は正しかったか。一時避難した自分は、記者の使命を果たしているのか。そもそも、今まで地震の備えの呼びかけは十分だったのか。もっとできたのではないか。

「生きてほしい」

社説担当の鈴木さんは書いた。一向に筆が進まず、何を書くべきか自問自答し、沿岸部の人の顔が浮かんだ。

「この紙面を避難所で手にしている人も、寒風の中、首を長くして救助を待つ人も絶対にあきらめないで」

3月11日、夜10時頃に出た号外は、避難所で飛ぶようにさばけた。

3月14日、安否不明だった女川販売所の阿部さんは、生存を報告した後に言った。

「店はやられたが、配達はできる」

制作、輸送、配達、社員皆の奮闘により、全てのインフラが停止した被災地に新聞が行き渡った。その新聞はニュースであると共に、励ましでもあっただろう。

支援は北海道から、沖縄から、やってきた。小学三年生からの応援メッセージだ。

「お金や食べ物だけじゃなくて元気も分けてあげたいです」

震災を経験した新潟、神戸からやってきた。河北新報の社員が言う。

「今後もし他社が被災したら、今回わが社が助けてもらったように迅速に必要な物資を送り届けたい」

アルバイトをしていた中国人留学生は、空港行きのバスに乗らずに編集局に戻ってきた。

「列に立ってバスを待っていた時、送ってくれた河北の方々の顔を思い出しました。」

そして私はと言えば、あの日、ノートパソコンでテレビの臨時配信をずっと見ていた。気仙沼が燃えている映像を見た。そしてオロオロして、ツイッターに「。。。宮城がんばれ」と書きこんだ。そのつぶやきは、100人くらいの、たぶん被災地にいなかった人たちに届いた。

でも、その夜、河北新報は避難所に号外を届けていたのだ。河北新報があってよかった。この本で詳細がわかってよかった。

再生へ 心一つに

現在の標語だ。よかったら、心一つにと言う時、自分も入れて下さい。それから、知り合いもたくさんいます。さっきの沖縄の小学生のように。

もうすぐ、2度目の雪の季節が来る。

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