『江戸=東京の下町から』 -あたしの町のブリコラージュ

高村 和久2011年12月29日 印刷向け表示
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江戸=東京の下町から――生きられた記憶への旅
作者:川田 順造
出版社:岩波書店
発売日:2011-11-26
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2011年も、あと数日。年末の曲といえば?と訊かれても人それぞれだが、自分はユーミンの“A Happy New Year”が思い浮かぶ、そんな時代の人です。昨晩お会いしましょう。「第九」だったら誰しも異論がないだろう。不思議な日本の文化だ。年末恒例の「忠臣蔵」は、赤穂事件の討ち入りが12月14日だったことからテレビに登場するようになったらしい。本書によれば、将軍綱吉の政治に反感を持っていた下町の市民は、本所から泉岳寺に引き揚げる浪士達に喝采したという。事件については賛否両論だと思うが、GHQに禁止されていた数年間を除き、毎年どこかで『仮名手本忠臣蔵』が上演されているというから、それだけ衝撃的だったのだ。この他、本書に挙げられている下町の歳末イベントは、酉の市、羽子板市、歳の市、餅つき。戦前、川田さんの家では三俵分の餅をついたらしい。私も小さい頃には餅つきをした。四角い伸し餅の箱に入れていたということは、お餅的には伊豆は関東圏だろうか。

本所・深川は百万都市江戸の下町、奇矯な風来坊でも分け隔てなく受け容れ、住民の干渉が少ないコスモポリットな土地柄だった。平賀源内はここに住み、エレキテルの実験を人に見せたりした。幕府の隠密だった間宮林蔵は蛤町に住み、寒中でも単一枚に裸足、地図や天球儀地球儀に囲まれ、来客があるとロシアやフランスの酒でもてなした。松尾芭蕉はここから旅に出た。皆、職住一致の共同生活をしているが、職がばらばらであるために農村のようなしがらみがなく、それでいて、高潮・大火・地震などの厄災を前にした一蓮托生の意識が「なさけ」「義侠心」を醸成した。というのが著者の川田さんの認識だ。川田さん自身、小名木川沿いの米問屋から世界に出ていったコスモポリタンだ。アフリカとフランスで長らく文化人類学を研究してこられ、本書では、返す刀で日本を見た。江戸と東京は、少なくとも下町で連続している。そのありようを、時にパリとの比較を交え、下町に暮らす人々へのインタビューと下町の文化を通じて描いた本である。

江戸の下町は碁盤目に区切られた海辺の街だったので、海外から来た人は、川と橋、往来する和船を見てヴェネツィアを彷彿とした。深川からみれば川向うになる浅草には、歌舞伎や落語などの日常的なハレの舞台があった。終戦直後、小学校六年生の時、焼跡の東劇で川田さんは『助六』を観た。十一代目団十郎が海老蔵だった時代、一躍人気になった伝説の舞台だったそうで、それ以来海老蔵ファンになり、大学生時代には浅草の花川戸で聞き取り調査をした。生粋の下町ことばを録音できたそうだ、聞いてみたい。『助六』に通底するものとして、権勢を笠に着る無粋な人間を馬鹿にし、そのような人の頭に下駄を載せてしまうアウトローには讃辞を送る町人の感覚があるという。

川をめぐる話題としては「梅若伝説」も取り上げられる。隅田川畔で息絶える梅若が詠む歌

尋ね来て問はば答えよ都鳥 すみた川原の露と消えぬと

の「みやこどり」、初出は『伊勢物語』だ。下町に来た在原業平が「京にいない鳥」を見つけ、名前を船頭に聞いた時の歌

名にし負はば いざ事問はむ 都鳥 我が思ふ人は ありやなしやと

である。「いざ事問はむ」言問橋、言問団子、業平橋の由来になった話だが、本書は「で、結局、この都鳥ってなに?」と正体を追っていく。結論をここに書くのは野暮というものだろう。かわりに、さらりと権勢に一刺し、

東京「市」深川区生まれで、東京「都」が大嫌いな私には、あのコケットな水鳥が「トチョウ」だなんて、あの醜悪な建造物「都庁」とも混同されかねず残念でならない。

川と言えば、パリもセーヌ川の街だ。本書では、往来する船の変化を通じて、日本とフランスが比較される。一言でいえば、隅田川は激変したが、セーヌ川はそれほど変わらない。川田さんは、レヴィ=ストロース先生に小型和船による東京堀川巡りを提案した。先生が日本を過大評価している、と思っていたのだ。住吉神社の鰹塚、鯉の洗い、ドジョウ鍋、そして過剰開発された隅田川を観た後、レヴィ=ストロースは日本の読者へのメッセージとして下記のように述べた。

ある時は自然を、ある時は人間を優先し、人間のために必要なら自然を犠牲にする権利を自らに与えるのも、おそらく自然と人間の間に截然とした区別が存在しないことによって説明されるのかもしれません。自然と人間は、気脈を通じ合った仲間同士なのですから。

日本人の自然に対する「甘え」と、「ダブル・スタンダードの使い分け」を見出した洞察である。欧米の相対化された自然に対して、日本では、自らを含んだ総体として自然が位置づけられている。別途、川田さんはパリとの共通点も指摘する。パリで夏の間は店を仕舞うアイスクリーム屋と、両国で川開きの間はお休みを頂く芸者、どちらも大量生産とか薄利多売を嫌う「意気」の感覚だ。

これに加えて江戸には「行動文化」がある、というのが江戸町人研究者の西山松之助さんの意見だ。下町の人々は反体制に向かわず、きわめて多彩な自己解放のパターンを創案して精神的な開放を得た。川田さんは、その顕著な例として歌川広重の『名所江戸百景』の四季を挙げる。その中でも最も下町文化が感じられるのは『深川洲崎十万坪』と『猿わか町よるの景』だという。

『深川州崎十万坪』

『深川洲崎十万坪』

お上の政策で深川沖にごみ捨て埋立地が出来た後、そこに神仏を普請し、盛り場を作り、金魚や魚を養殖した。マイナスをプラスに変える、偉大なる楽天と痩せ我慢だ。

『猿わか町よるの景』

『猿わか町よるの景』

こちらは、風紀取締りと贅沢の禁止を掲げた水野忠邦が失脚した後、安政の大地震の5ヶ月後には、早くも森田座、市村座、中村座と芝居茶屋が再建された様子。

遊芸、物見遊山、縁日、花見、伊勢参り、様々な四季の遊びに殺到する江戸の人達に、現実主義かつ享楽主義を見出した。川田さん自身、戦時中うっかり軍歌を口ずさみ、母親に「うちじゃ、そんなこと教えていないよ」と厳しく叱られたそうだ。醒めた目線と享楽主義、痩せ我慢の思想が、人が入れ替わっても街に通底している。アフリカで文字を持たない部族の研究をしてきた川田さんらしい「野生」へ向かう思考だ。きっと今でも街は江戸を憶えている。2011年末、ノートパソコンでネットに繋ぐあたしは、炬燵で蜜柑。ユーミンを思い出すあたしが聞くのは、火の用心の拍子木の音。


明治の東京写真 新橋・赤坂・浅草
作者:石黒 敬章
出版社:角川学芸出版
発売日:2011-05-27
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幕末から明治にかけての下町の様子を写真で見ることが出来て、とても参考になった本。木場、河岸という名前がふさわしい、のどかな風景にあこがれます。その一方で『レンズが撮らえた19世紀ヨーロッパ』をパラパラ見ると、欧米みたいに文明開化したい!と思った人の気持ちが、ちょっとだけわかる気がします。

レヴィ=ストロース伝
作者:ドニ・ベルトレ
出版社:講談社
発売日:2011-12-21
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2009年に亡くなったレヴィ=ストロース先生の評伝が出ました。まだ読み始めたばかり、冬休みにじっくり読もうと思います。隅田川巡りの感想も書かれています。

東京がかつての江戸をより以上の敬愛の念をもって思い出せば、住民とすべての人間に計り知れない恩恵となるだろう。
江戸の縁起物――浅草仲見世助六物語
作者:木村 吉隆
出版社:亜紀書房
発売日:2011-12-20
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慶応2年創業、浅草の仲見世にある江戸趣味小玩具店「助六」の代表的商品を200点ご紹介。個人的にはピカチュウのぬいぐるみと一緒に玄関に飾ってみたい。

才輝礼讃 - 38のyumiyoriな話
作者:松任谷 由実
出版社:中央公論新社
発売日:2011-11-10
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ユーミン様も対談本を出されていました。爆笑問題、談志師匠、トチョウの石原さんなどなど、パラパラ読めて楽しい本です。

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