『動物が幸せを感じるとき』ーリアルで自在な動物行動学入門

土屋 敦2012年01月23日 印刷向け表示
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動物が幸せを感じるとき―新しい動物行動学でわかるアニマル・マインド
作者:テンプル・グランディン
出版社:NHK出版
発売日:2011-12-21
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著者は高機能自閉症であり、動物の気持ちがわかる、という特異な才能を持つ動物学者だ(本好きなら、オリヴァー・サックスの『火星の人類学者』で取り上げられたことを覚えているかも知れない)。本書と前著『動物感覚』はベストセラーとなり、一昨年には、彼女を取り上げたテレビ映画が作られ、エミー賞でテレビ映画部門の作品賞を受賞するなど、大きな話題となった。

『動物感覚』はとても面白かった。彼女自身の経験から発せられる言葉の数々に引きつけられたのと同時に、私にとって常識をくつがえすような興味深い動物行動学や心理学の研究が多数引用され、また文章が非常にわかりやすかったからだ。私がもしオールタイムベスト10を挙げるならおそらくこの本は必ず入れるだろう。

そして本書。タイトルを見たとき、前著ほどの面白さはないような気もしたのだが(ちなみに原著のタイトルを訳すと『動物がわれわれを人間にした』。こちらのほうがHONZ読者には響きそうだ。邦題は英国版『動物を幸せにする』に近い)、実際に読み始めると、前著同様、驚きがいっぱいで、また、この手の翻訳書としてはとにかく読みやすいゆえ、一気に読んでしまった。

例えば冒頭の「犬」の章。まず野生のオオカミは群れで生活しない、という近年の研究が示される。オオカミと言えば、もっとも強い「アルファ」を中心とした群れじゃないの? オオカミの群れの「アルファ」となって暮らすショーン・エリスは? イエローストーンに放たれたオオカミの群れ、ドルイド一族のドキュメンタリーはなんだったの? と疑問が湧き上がる。

この研究によれば、オオカミが群れを作るのは人工的に飼育されたときのみで、イエローストーンでも、当初、その人工的な群れの形が維持されていたに過ぎない。実際のオオカミは小さな家族単位で行動し、兄弟たちも互いの優位性を争うことはなく、また決して父親が家長的なリーダーであるわけでもない(多摩動物公園の「アルファ」がまったく奥さんオオカミに頭が上がらないのを何度も目の当たりしているのでこれは納得)。

そんな最新の研究を犬に当てはまれば、飼い主が犬に対して群れの長、アルファになれ、というアメリカ流の犬の飼い方も誤りとなる。しかし、実際にこのしつけ法は機能している。著者によれば、人間は群れにおける優位性を教えているつもりでも、実際には犬の「忍耐力」を鍛えているのだという。犬はオオカミの「幼形成熟」である。すなわち、成長しても子どものまま。社交的で好奇心旺盛、遊びが大好きだ。その代わり、忍耐力や服従心は持ちあわせていないゆえ、教えてやる必要がある。

ちなみに、最近の研究では、犬の外見はその形質をよく反映しているそうだ。オオカミに近い外見の犬ほど、オオカミに近い性質を持っている。逆に小型犬種は、より幼い子どものような性質を持つ。キャバリアやトイプーを赤ちゃんのように扱うのは、実はとても正しいやり方なのだ。

著者によれば、犬の攻撃性には二種類あって、ひとつは恐怖から来るもの。こちらはさして問題ないが、不安障害に起因する優位性攻撃は危険だという。オオカミは臆病な生きものだ。実は臆病さは遺伝上の優性形質である。臆病であることは、平和を保ち、種を繁栄させるために非常に重要なのだが、純血種の犬はそれを持ち合わせていないことも多い。優位性攻撃をする犬のふるまいは、強迫性障害に似ているという。加えて攻撃的な犬の尿を調べたところ、その多くからグルタミン、タウリン、アラニンなどの代謝異常が見つかっているそうだ。

ちなみに犬を飼う際、非常に実用的な子犬の選び方が本書には載っている。まず子犬を仰向けにして胸に手を載せる。子犬はやがて自分で起きようとするが、子犬が起き上がれない程度に力をかける。そのときの振る舞いで攻撃性や不安性がわかるという(どう振る舞う子犬がよいのかは、本書を手にとって読んでみて欲しい)

さて、ついつい犬のことばかり書いてしまったが、もちろん猫についてや、牛、豚、鶏などの畜産動物についても詳しく書かれており、それぞれ興味深い。そのなかでも野生動物に書かれた章は、彼女の考え方と魅力がよく出ている。

彼女は、サヴァン(特定の分野で常人離れした天才性を発揮する人)だが、いうまでもなくそれだけで学者にはなれない。彼女がすごいのは、彼女自身の表現で言うところの「裏口」から研究者の道に入り、研究を重ね、論文を書き、業績を上げたまっとうな科学者であり、同時にリアルに動物の感覚がわかる天才で、また動物を愛しながらも、企業や畜産業界と提携し、牛や豚を不安や恐怖、パニックに陥らせない「と畜システム」の開発にかかわる現実主義者である、ということだ。

彼女は、同じ「裏口」から研究者となったチンパンジー研究の世界的権威ジェーン・グドールが、人類だけのものとされた道具使用をチンパンジーも行うことを発見したことや、松沢哲郎による、チンパンジーが人間以上に記憶力があることの発見、さらにはニコラ・クレイトンによる、ユーラシアカケスに「将来を見越して計画を立てる能力」やエピソード記憶があることの発見を紹介する。

いずれも人間を万物の長と考える尊大さに起因する思い込みや予断を覆す発見だ。そして、この3人の研究者がいずれも研究室だけでなくフィールド研究を熱心に行なっていたことを強調する。最近の動物学の研究は、個体数の幾何級数的増加、指数モデル、餌密度別の捕食者の反応曲線などの数理モデルを使ったものが非常に多いそうだ。それはそれで興味深いが、多くの研究者がフィールドに出て野生動物を実際に観察しないことを嘆くのだ。

観察を忘れたのは、研究者たちだけではない。最近の動物愛護運動についても、次のように語る。

世の中は変わった、動物を救いたい人は、かつては動物の行動を勉強したが、今日では法律の学校に行く。何もかもが法律家の手にかかったら、本物の動物は姿を見失ってしまう。

アメリカ動物愛護協会はアメリカ国内の馬の処分施設をすべて閉鎖させたが、その結果、アメリカの馬たちは長く苦しい旅路の末、メキシコで首の後ろを突き刺される、という残虐で苦痛を伴う方法で殺されることになったという。また、狩猟と営利目的の野生動物の飼育を禁止して以降、アフリカでは、国立公園以外での大型野生動物は6,7割も減ったそうだ。「人間の本性に反する法律を制定しても何にもならない」と彼女は言う。

「人は抽象化されるほど過激になる」と彼女は書いているが、まさに箴言だろう。前述したように、著者は、畜産動物がなるべく苦痛ない環境で過ごし、なるべくストレスなく殺されるための畜産システムを作った。そのことでおそらく彼女は過激な動物愛護活動家にかなり攻撃されたのではないか、と想像する。

しかし、彼女は活動家たちを強く非難したりはしない。「大会社は鋼鉄で活動家を熱」だという。熱で鋼鉄が柔らかくなったところを、鋼鉄をちょっと曲げて改革にとりかかることができると。実に柔軟で現実に即した考え方である。

著者は、「抽象化」の反対は、「複雑系を適切に管理する」ことだという。そのことを端的に表しているのは、彼女が教え子たちに語る実にシンプルな次の言葉だ。

「動物は意外なことをするものだ」

これはそのまま、「世界は意外なことに満ちている」と言い換えることもできると思う。予断や思想、偏見にに左右されない自在な精神と常に現実を見たうえでの臨機応変な行動。なんとまっとうな人なんだろう、と感心してしまう。そして彼女はこんなふうにも言っている。

自閉症の子は自分だけの狭い世界で生きている、と言われるが、普通の人のほうが言葉と意見という、自分だけの世界で生きているように思う。

まさに彼女の言うとおりだ。私も本書を手がかりに自分の「言葉と意見」の世界から飛び出したいと思う。

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)
作者:オリヴァー サックス
出版社:早川書房
発売日:2001-04
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テンプル・グランディンも登場する名著

動物感覚―アニマル・マインドを読み解く
作者:テンプル グランディン
出版社:日本放送出版協会
発売日:2006-05
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グランディンの本。これも面白くて読みやすい。

あなたの子どもには自然が足りない
作者:リチャード ルーブ
出版社:早川書房
発売日:2006-07
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本書のなかに登場。ウチの子には文明が足りないが。

人はなぜ失敗するのか
作者:ディートリッヒ デルナー
出版社:ミオシン出版
発売日:1999-07
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こちらも本書に登場する本

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