『精神病棟40年』-治療か、収容か。ある長期入院患者の告白

栗下 直也2012年02月20日 印刷向け表示
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精神病棟40年

精神病棟40年
  • 作者: 時東一郎,織田淳太郎
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2012/02/10

ここ数年、日本の精神医学の遅れを指摘する本が以前よりも目に付くようになってきた。その中に必ず出てくるのが長期の入院患者の存在だ。入院期間が半世紀近くに及ぶ人もいるという。そして、彼らの中には、一見、入院の必要性を感じさせない普通の人々も少なくないという指摘もある。果たして彼らはどのような経緯で今に至ったのか。何を考えているのか。状況を考えれば、この答えを見出すのは無理な話と思っていたが、今回紹介する本でその一端を垣間見ることができる。

本書の内容は入院歴が40年以上の時東一郎さん(仮名)の半生の振り返りで構成される。時東氏と同じ病院に体調不良で短期入院して知り合った、ノンフィクション作家の織田淳太郎氏が全体を構成している。精神医学の知識が無くても、織田氏の解説が適時入るため、精神病院を取り巻く問題を知ることができる内容になっている。

まず、簡単に、時東氏の略歴を紹介しよう。昭和26年2月22日生まれ。16歳のときに統合失調症を発症。同43年1月都内のS精神病院に収容。入退院を繰り返す。脱走を試みることも。同48年春、都内のM精神病院に強制転院。二度目の脱走が失敗に終わり、同年秋にF県のG精神病院に移送。以来、社会復帰はおろか、退院の機会さえ与えられず、40年近くを過ごす。病はすでに寛解しているが、一生を病院で過ごすことを決めている。

略歴を記されても「うーん」とうなるしかないかもしれないのでもう少し補足しよう。時東さん自身、発症前後の自分の状態を変だったと今は振り返っている。石原慎太郎に自作の詩を送りつけたり、自分の弟が浩宮様に似ているから、自分を皇室の親戚と思ったり、完全に躁状態だったという。入院するきっかけとなったのは時東氏が働いていた叔父の経営している飲食店での一件だ。本人は風邪薬の副作用と述懐しているが、ある日、ぺらぺら喋りまくったり、いきなり笑い出したりして、同僚の女性にみなの前で急に求婚したという。周囲が心配して、本人に無断で医者を呼びつけ、強烈な鎮静剤を打って入院である。それが40年超の入院の「始まり」であり、時東氏の病院外での生活の「おわり」である。

時東氏には何かしらの対応が必要だったのは確かだろう。ただ、不幸なことに時東氏が入院した当時、「治療」などというものは存在したかは怪しい。営利追及のため、あえて退院をさせないための方策をめぐらす経営者の存在。看護人による劇薬の投与や電気ショックが日常茶飯事だった恐怖。本書を読めば、入院は収容であり、治療は懲罰であったことが嫌というほどわかる。時東氏の入院とほぼ同時期に精神病院への潜入取材を敢行した朝日新聞記者の大熊一夫氏の『ルポ精神病棟』の内容と照らし合わせても、時東氏の述懐は大筋まちがいないのだろう。

時東氏の振り返りは主に発病して病院を転々とした10代半ばから20代前半までと、ここ数年の話が中心だ。話の内容の時期や客観的に自分の過去を振り返っていることからも、おそらくかなり前の段階で病状が寛解しているのは確かだろう。ただ、退院を目指している時もあったが、今は病院で穏やかに暮らすことを望んでいるという。

なぜそのような心境になったのか。本書を読む限り原因は2点だ。まずは22歳以降、長期入院したG病院の経営者の存在だ。院長には「入院者をいかに地域社会に戻すか」という視点は無かったという。医師のひとりが院長に長期入院者向けのグループホームの建設を進言するくだりがあるが、院長は「そんなものを作ってどうやって儲けろというのかね」と言い返す。実際、この院長は本書の中で社会的復帰を後押しするというより、つぶすための動きをしばしば見せている。ただ、これは何もG病院に限った話ではないのかもしれない。日本で「収容」が続いている裏づけとなるデータは本書でも示されている。09年の世界の精神科病床は約200万床でそのうち、日本は35万床。「日本だけ精神障害が多い」という理屈を述べたいならば別だが、実に世界の6分の1も占めるのはあまりにもいびつだろう。

2点目は保護者の問題だ。現在の制度では、精神障害者の責任は行政が保護者に丸投げしているのが実情だ。そのため、周囲が「治ったといわれても退院して、なにかしでかしたら」と懸念し、退院に積極的にならないという。その気持ちはわからなくもない。私やあなたがが保護者であったら果たしてどうするだろうか。悩む人も少なくないはずだ。精神病院において、治療の必要はないが、生活の基盤が整っていないため退院できない「社会的入院者」の数は国内20万人に達するとも言われていることも保護者制度が一因だろう。

時東氏自身、幼少期に実母が死去し、継母との関係が悪いことも影響してか、実父も定期的に面会に訪れていたが、退院に積極的ではなかったようだ。だが、保護者として身元を引き受けないにしても唯一の社会とのつながりである肉親からもあまりにも阻害されている入院患者の現実が本書からは浮かび上がる。時東氏は実父が死んだときにはすでに病状は安定していたが、「周囲の目がある」と葬式にも呼ばれず、死後、3ヶ月経って知らされる。父亡き後、保護者になった弟の結婚も知らされなかった。「無縁社会」という言葉が最近はあちらこちらで聞こえるが、無縁社会からも捨てられた人々がいるのだ。時東氏は織田氏の支えもあり、40年ぶりに故郷の土を踏んだ。事前に連絡した親類からは再会を避けられながらも40年間願い続けた実母の墓参りだけは達成した。時東氏は「俺を生んでくれてありがとう。まっとうに生きていきます」とだけ墓前で伝えたという。

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ルポ・精神病棟 (朝日文庫 お 2-1)

ルポ・精神病棟 (朝日文庫 お 2-1)
  • 作者: 大熊一夫
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 1981/08
朝日新聞の記者がアル中患者になりすまし、精神病院に入院。院内の虐待などの実態を明らかにした。取材時は昭和45(1970)年。時東氏の入院時期とほぼ同時期だ。00年代の人気漫画の『ブラックジャックによろしく』に似たような話(潜入入院する記者)があるが、おそらく大熊氏の話を題材にしているのだろう。
狂気と犯罪 (講談社プラスアルファ新書)

狂気と犯罪 (講談社プラスアルファ新書)
  • 作者: 芹沢一也
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/01/21
精神病院は精神障害者や知的障害者だけを対象にしてこなかった。特に戦後復興期や東京オリンピックなど時代の転換期はアル中や路上生活者までをも対象にした「収容施設」の面が強かった。本書では日本の精神医学が精神病者をいかに隔離してきたかを紐解いている。
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