究極の私ノンフィクション『セラピスト』

仲野 徹2014年02月14日 印刷向け表示
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セラピスト
作者:最相 葉月
出版社:新潮社
発売日:2014-01-31
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最相葉月さん、やっぱりうまい。いまさらながら感じ入った。『絶対音感』以来、大ファンなのである。こういうのは言い続けているといいことがある。一年半ほど前、元阪大総長である鷲田清一先生が最相さんと対談された時、ファンであることをご存じであった鷲田先生が、その後の食事に誘ってくださった。(対談録はこちら:pdf

対談は『わが心の町 大阪君のこと』というエッセイの話からはじめられた。無名であったといっていいころの堺雅人と、いまはどうしているのか真中瞳で『ココニイルコト』という映画になった名エッセイである。次に鷲田先生が尋ねられたのが、どうして、絶対音感や、東大応援団、青いバラ、生命倫理、星新一など、脈絡がないほどにいろいろなテーマ、それも、誰も論じていないテーマに挑んでいかれるのか、ということであった。

私自分の仕事をそんな風に褒められることが無かったので、本当にすごくここに座りづらいんですけど。』とすこし照れながらうけておられた最相さん。最後には、『本当に自分が気になることをやってきただけなんですけどね。あまりそんな戦略的なことはないんですよ。だからこの辺でいいじゃないですか、私の話は。』とあいなった。しかし、この話題は、食事の時にもまだ続けられた。興味のおもむくままに、ということだったけれど、誰もが聞きたい質問だろう。

その最相さん、今回は心理療法である。本の帯にあるように、河合隼雄と中井久夫という二人の偉大な『セラピスト』が主人公だ。臨床心理学をすこしでも知っている人には説明する必要のない二人である。河合隼雄は、ユング派を日本に紹介した心理療法の大家で、後に文化庁長官もつとめられた知の巨人である。

もう一人の中井久夫は、神戸大学医学部精神科の教授をつとめた精神医学の泰斗。いろいろな著作で知られる人であるが、なによりも阪神大震災における活動など、その論理的でやさしいまなざしがきわだつ先生である。完全に文系医学者だとばかり思っていたが、若いころウイルス学の研究をしておられたことをはじめて知った。すぐれた精神性の下に流れる科学的思考が中井らしさを形作っているのかと腑に落ちた。

はじまりはいきなりのトップギア。『逐語録(上)』と題されたセクションでは、最相さんが中井久夫の心理分析をうけるシーンが詳細に描かれる。そして第一章は、河合と中井の二人と関係が深い、芦屋箱庭療法研究所・木村晴子による箱庭療法の話である。

箱庭療法というのは、『Sandspiel Therapie(砂遊び療法)』にヒントを得た河合が、改良したかたちで日本に広げた心理療法である。クライエントに自由に箱庭を作ってもらって、その非言語的表現をくみとりながら心理療法をおこなっていく、という方法だ。第一章では、二人のクライエント、そんなことが可能なのかと思えるが、途中失明者の箱庭療法、と、90回にもわたって同じ箱庭しか作らなかった少年、のケースが紹介される。

タイトルが『セラピスト』であるし、こういうように心理療法の話が進められていくのか、と思ったのは早計であった。いちばん大きな流れは、心理療法というものが、GHQによるカウンセリング制度の導入などからはじまり、日本にどのようにして取り入れられていったのか、という話である。

しかし、それだけではない。先に述べたような、最相さんのカウンセリングや、何人ものクライエントの話が散りばめられていく。もちろん、河合と中井の関係も。丹波出身の河合隼雄は、なんと男7人兄弟の6番目であり、動物学者として名をはせた河合雅雄は二つ上の兄という名門家系だ。統合失調症(当時は精神分裂病)の箱庭解読に悩んでいた中井は、隼雄の末弟である逸雄と京都大学医学部で同級だったこともあり、河合に多くを学ぶようになる。

中井の方法は、やはり非言語的な意識を表出させるものであるが、箱庭作りではなく、川、山、田、道、というように、順に描かせていく『風景構成法』である。最相さんがどんな絵を描いていくか、そして、中井が最相さんの前で何を描いたか、も、ナンバリングされた章とは別だてになっている『逐語録(中、下)』で紹介されていく。絵そのものとともに。

鷲田先生には『「聴く」ことの力』という本がある。タイトルを阿川佐和子のベストセラー『聞く力』にぱくられたのではないかと冗談をおっしゃる鷲田先生であるが、いかに『聞く』ということが重要かを説くこの本は名著の誉れが高い。『セラピスト』を読むと、心理療法も、聞くこと、クライエントの沈黙にまで耳を傾けるように聞くこと、が何よりも重要であることが実によくわかる。

心理的に病んだ患者が増えているのに、その治療に従事する人はおいついておらず、ゆっくりと『聞く』ことが難しくなってきているという。そして、心理に問題をかかえる人たちの傾向も変わってきているという。ひとつの例として、社会における共同体が崩壊することによって、対人恐怖が減少していることがあげられている。ほかにも、かつて問題視された『境界例』というパーソナリティー障害が減少し、『発達障害』が増えていることが紹介されている。

隼雄の息子にして弟子である、京都大学・こころの未来研究センター教授・河合俊雄は、発達障害もそろそろ時代遅れになるのではないかという。『発達障害に代わって何が流行し始めているのでしょうか。』という問いに『それはまだわからない。だいたい、あとになってわかるんです。それをいち早く捉えるのがわれわれセラピストの仕事ともいえますが。』と答えている。セラピストは個人だけではなく、社会も相手にする仕事なのだ。

鷲田先生は対談で、最相さんのノンフィクションに対する姿勢を見る人であり、アテンドするというか、マラソンで伴走者のような見ることとか、じっと横から見ていることとか、或いは伴走する、いろんな物の横についてる、黙って、しかもじっと待ってる。』と評しておられる。この本ではそれどころではない。最相さんは、臨床心理学を学ぶ大学院にまで通われたのである。

実に多岐にわたる内容が込められている。ともすれば、ばらばらになってしまいそうだが、さすがは最相さん、じつに流れよく構成されている。いやはや、やっぱり違うのである。膨大な一次資料にあたっておられることがよくわかる。中井については本人に、河合については、その人をよく知る人に、さらに、多くの関係者へのインタビューがおこなわれている。

けっして淡々とした本ではない。最相さんの肉声が聞こえてくるような私ノンフィクションになっている。だからレビューのタイトルを『究極の私ノンフィクション』とした。なぜ『究極の』とつけたかは、『セラピスト』を読み終えた時、きっとあなたにもわかるはずだ。 
 

「聴く」ことの力―臨床哲学試論
作者:鷲田 清一
出版社:阪急コミュニケーションズ
発売日:1999-06-30
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 鷲田先生の代表作。と、いっていいと思う本。
 

魂にメスはいらない ユング心理学講義 (講談社プラスアルファ文庫)
作者:河合 隼雄
出版社:講談社
発売日:1993-09-07
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 ロングセラーです。河合隼雄と谷川俊太郎の対談、というだけでそそられるでしょう。
 

心理療法序説
作者:河合 隼雄
出版社:岩波書店
発売日:1992-02-20
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 これもロングセラー。河合隼雄が定年退官を記念して上梓した一冊。この本を読んでから、しばらくの間、心理学の本を読み続ける、というほど、どっぷり浸ってしまった思い出の一冊。
 

あのころの未来―星新一の預言 (新潮文庫)
作者:最相 葉月
出版社:新潮社
発売日:2005-08-28
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 大好きな一作。星新一のショート・ショートを、現在的な視点から見直す。でも絶版です。最相さんレベルでも絶版が多いのには驚きです。

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ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
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