豚をめぐる冒険 『イベリコ豚を買いに』

足立 真穂2014年04月13日 印刷向け表示
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イベリコ豚を買いに
作者:野地 秩嘉
出版社:小学館
発売日:2014-03-31
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「イベリコ豚はスペインの黒豚だ」。ブッブー。「イベリコ豚はいつもどんぐりを食べている」。またまた、ブッブー。それじゃ、イベリコ豚ってなに? というわけで、実物を見たことのある日本人の紹介で、現地へと取材に……。

向かうはずなのだが、そうは問屋がおろさない。口蹄疫の発生である。そして、スペインへの取材がうまく行くようなら、この本はこれほど面白くはなかったに違いない。すべては「うまく行かない」から始まるのだ。最後にうまくいく仕事というのは、スタートがそんなものなのかもしれない。この本の場合は4年かかるわけだが。

著者の野地さんといえば、食にまつわる著作や充実した人物ルポルタージュなどで、定評のある書き手のひとり。私自身は『ビートルズを呼んだ男――伝説の呼び屋・永島達司の生涯』を読んで以来、新刊が出るのを楽しみにしている。さて、また新著を出されるとのこと、今度はなんだ? はい? 豚? 

だいたいが、イベリコ豚については、知ってはいても勘違いしている日本人が多いらしい。この誤解は、日本でBSEが出たころに、高級和牛に替わる食材として、イベリコ豚が日本に紹介されて認知された背景も関係しているようだが、私も、「どんぐりを食べているスペインの黒豚」だと思っていた。

まず、「どんぐり」問題を解決しよう。イベリコ豚と呼べるのは、50%以上純イベリコ種の血が入っているものだけ。やたらと数を増やさず、ローマ時代から続く血を守るために、生産者たちが厳しく他の種との掛け合わせを禁じたのだ。また、どんぐりを食べる種と食べない種があるとのこと。どんぐりを食べるのは純イベリコ種の「ベジョータ」という最高種のみ。この一頭を育てるために、1トン以上のどんぐりと、放牧用の2〜3ヘクタールの樫の森(イベリア半島中部から南部にのみ植生)が必要だというから驚いた。豚ありきではなく、逆に、その年ごとに、どんぐりの予想収穫量によって、放牧頭数を決めるそうだ。

どんぐりを食べないイベリコ豚とは、どんぐりの収穫量によって放牧に選別されなかった「セボ」(給餌する、の意)という、養豚されるものだ。また、デュロックという別の種との交雑種もイベリコ豚として認められており、これも穀物を与えて養豚する。ベジョータとセボ2種類を食べ比べると、ベジョータはナッツのような香ばしさがあるが、ほかはまったく違うそうで、味に大きな差がある。日本に出回っているのがどれか、言うまでもないだろう。

イベリコ豚は「黒豚」でもない。黒豚とは、バークシャー種のものだそうで、毛の色は黒だが、種が違う。おまけに、野地さんが時を経てやっとの思いで訪れたスペインの放牧場では、イベリコ豚が、サラブレッドと隣接した飼育場におり、野原を駆け回ってつやつやとした毛並みと美しさ、堂々とした態度において、馬たちを凌駕していたという。

話はそれるが、イベリコ豚は成育期間が長く、他の豚に比べて大きいらしい。体調は2メートルに満たないものの、体重が180キロから200キロあるというのだ。横綱白鵬は、身長が192センチ、体重155キロ弱だ。白鵬が手足をついた状態を想像してみよう。白鵬に30キロから50キロほど足してやっとイベリコ豚、というわけだ。そうとうな迫力である。

さあ、口蹄疫でイベリコ豚への出会いさえままならなくなった野地さんは、どうしたか。取材はできるのか?

その時だった。ふいに、直感した。
「そうか。そうだったのか」
「買えばいいんだ」と思った。

え、そうなる? 読者としては不意をつかれて笑ってしまうのだが、ご本人は至って真剣。取材する第三者から、購買者という当事者へ。この発想の転換が、どんどん思いがけない方向へエスカレートし、実現されていく過程がその後の物語。
買うまでの旅路は、のほほんと読んでいられるのだが、後半の「買ってから」は苦闘の連続で、意外にも手に汗握る展開だ。買った豚をどうするかについて、難問奇問が待ち構えているのだ。

そこからが本書の真骨頂となる。悩む自分へのダメ出しもあれば、さまざまな人との出会いや幸運もあり、挑戦と冒険の物語になっていくのだ。

詳細を書いてしまうと読む楽しみを半減させてしまうので触れるにとどめるが、例えば、自分の計画に引き込んだ仲間に対しての取り分や支払いについて、野地さんは悩む。お金のやりとりというのは、人間関係でいちばん難しいところだろう。仲間の貢献に対して数値で評価を下すということに、正解というものはない。
結局、イベリコ豚を、読みながら一緒に追いかけていたつもりが、いつのまにか「仕事とはなにか」の本質についても考えさせられているのであった。

冒頭にカラーで掲載されている、野原のイベリコ豚の写真を見るだけでも、この本を開く価値があると思う。なにしろ牛のような豚のような、やっぱり豚であり、その黒というよりグレーの毛並みの健やかで美しいことといったらない。イベリコ豚写真集があったら、私は買うと思う。きっと、美味しい豚は、美しいのだ。
 

飼い喰い――三匹の豚とわたし
作者:内澤 旬子
出版社:岩波書店
発売日:2012-02-23
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ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
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