『娼婦たちから見た日本』哀しみの黒いさざなみ

鰐部 祥平2014年09月08日 印刷向け表示
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娼婦たちから見た日本
作者:八木澤 高明
出版社:KADOKAWA/角川書店
発売日:2014-07-11
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娼婦。その存在はいつの時代も様々な点で男たちを惹きつけてきた。実直な青年と高級娼婦の愛を描いたデュマ・フィス著『椿姫』や映画『プリティーウーマン』などの作品に私も惹きつけられた。これらの作品に出てくる娼婦は、自堕落な生活を送りながらも本当は純真な心を奥底に秘めた哀れな社会の犠牲者として描かれていることが多い。

多かれ少なかれ、男というものは女性に対して神秘的なものを感じている。金銭の対価として、その美しい肉体を差し出す女性たちに男は下卑た視線を向けながらも、彼女たちがその神秘性と、可憐で清らかな心を失わずにいて欲しいと願っている。

だが、このような虚像をはぎ取った実際の娼婦とはどんな人々なのであろうか。本著は日本に関わる娼婦たちを日本国内に限らず、タイ、チリ、シンガポール、インドネシアと世界各地で取材した力作である。

単純に言ってしまえば、彼女たちが苦界に身を沈めたのは貧困のためだ。横浜の黄金町界隈で、たちんぼうしていたタイ人娼婦ユリは肺を悪くした高齢の父と産後の肥立ちの悪い妹を養うために日本で体を売る。同じくタイ人娼婦ワラポンはエイズに感染し、病気の末期には高熱で憔悴しきった体を引きずりながら新宿や横浜の界隈に立ち、仕送りを続けた。日本で命を引き取る瞬間までお金を送らねばと言い続けたという。「家族のため」それが彼女たちに共通する思いだ。娘を異国の地の男たちに差し出して、その金で暮らす親や兄弟とはどんな人々なのかと感じてしまう。むろんそれは私たちが恵まれた社会に生きているから感じることなのかもしれないが。

著者も気になったのであろう。ワラポンの実家を訪ねている。かなりの額を送金していたはずのワラポンの実家の中には、家財道具などがほとんど見られず、母親が極貧のままで暮らしていた。ワラポンが送った金はどうしたのかと著者が尋ねると「宝くじを買ってなくなったんだよ」と答えたという。娘が文字どおり命を削って仕送りしていた金は、ギャンブルに消えていたのだ。この言葉の中に貧困というものが抱える闇の深さがうかがえる。

著者は家族のために身を売る娼婦を訪ね、日本を飛び出し、東南アジア各地を巡る。それは明治、大正という時代に娼婦という方法で家族を養った、「からゆきさん」と呼ばれる日本人娼婦の足跡を訪ねる巡礼の旅でもあった。

明治、大正時代に海外で体を売り家族を支えたからゆきさんたちは、家族を支えるとともに貴重な外貨を日本にもたらしてくれる存在でもあった。日露戦争時には多くのからゆきさんが膨大な額の献金を日本政府におこなっている。現在の金額で100万円もの献金をする女性も少なくなかったという。しかし、日露戦争に勝利した日本が大国への道を歩み続ける中で、次第に彼女たちの存在は国家の恥としてとらえられ醜業婦と揶揄され始める。

日本政府も各地に根を張り生きる日本人娼婦を撲滅する政策をとる。貧しい農村部の経済格差の問題を改善することなく断行されたこれらの政策により、娼婦たちの多くが生きるすべを奪われ、東南アジアの闇の中に融けて行った。本著の目次にもあるように「国策に娼婦は殺された」のである。

この現象は今でも変わらない。著者が取材を始めた10年以上前に存在していた国内の売春街の多くが、今現在では壊滅したか風前の灯なのだ。横浜の黄金町、三重県の渡鹿野島、沖縄の真栄原、栄町、吉原、これらの街は繰り返される浄化作戦で廃れてしまった。そして、この浄化作戦の多くに地元の婦人会や女性の人権を叫ぶ人々が加わっていることが何とも皮肉だ。

売春は女性の人権侵害であり、男が彼女たちを搾取していることにも間違いはない。しかし、彼女たちに対しなんらセーフティーネットを設けることなく、一方的な正義感から行われる「浄化」という行為は、彼女たちから生きる術を奪っている。渡日のため数百万円の借金を背負った外国人娼婦が強制送還されたならば、その先にどんな生活が待っているのだろうか。

また、外国人娼婦だけではない。沖縄で子供を養うために身を売る日本人娼婦は「こっちは、パートに出ても時給六百三十円なんです」と語る。とても生活できる水準ではない。また「ここがなくなったら困るんです」とも呟く。売春は彼女にとって子を養う手段なのだ。たとえそれが後ろ指をさされる行為であったとしても。

彼女たちのような存在を抹殺しかねない「浄化」という言葉に著者は言い知れぬ怖さを感じるという。一方的な正義と一点の濁りも許さぬ清潔感は人を不寛容にし、人を殺す。

著者はさらに売春でジャパンドリームを掴んだ女性に取材を行う。覚えている人も多いであろう。アニータだ。

彼女は幼い娘の治療費を稼ぐため娼婦となる決意を胸に渡日。日本で、必死に稼ぎながら、生涯で最も深く愛することになる日本人男性と出会う。運送業をしている男性は経済的にあまり豊かではなく、アニータもスナックで働く。だがそれでも仕送りのお金が足りず、彼に内緒で売春を続けた。そんな時に出会ったのが千田だ。千田はアニータの状況に同情し、横領した公金、1千万円を彼女に贈る。アニータは決めた。お金のために愛を捨てることを。彼女は愛する男と別れ、千田と結婚する道を選んだ。そして家族を養う。

彼女は娼婦であったことも、千田を選んだことも後悔していないという。愛した彼への未練はどこかに残っているようだが、彼女は家族を養い、娘たちに同じ道を歩ませなくてすむだけの経済力を手に入れたのだ。

屈託なく著者の取材を受け入れ、著者に料理まで振る舞う彼女は、娼婦たちが夢見た成功を掴んだ。だが、アニータは苦界で成功を手にしたごく一握りの人間だ。多くの女性は闇社会に搾取され、病気に怯え、表の社会が掲げる正義のために苦しむ。娼婦たちは社会の歪をその華奢な体で受け止めながら必死に生きる名もなき人身御供なのだ。

娼婦たちの人生の哀しみが、私の心の奥底に黒いさざなみを発生させる。この波は国境や時間を超えて、いつまでもこの世界を覆い続けるであろう。答えなど見つからない問題だ。そして、彼女たちは今日も夜の街に立ち続ける。私にできることは、彼女たちを好奇の眼差しで見つめるのをやめることぐらいではないか。言い知れぬ虚脱感が読後に残った。

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さいごの色街飛田
作者:井上 理津子
出版社:筑摩書房
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