『どうすれば「人」を創れるか アンドロイドになった私』文庫解説 by 平田オリザ

新潮文庫2014年11月15日 印刷向け表示
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どうすれば「人」を創れるか: アンドロイドになった私 (新潮文庫)
作者:石黒 浩
出版社:新潮社
発売日:2014-10-28
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本文中にあるように、私と石黒浩氏は、この6年間、ロボット演劇プロジェクトを通じて密接に付き合い、すでに5本の作品を創り、国内外をともに旅してきた。とりあえず、その経緯を簡単に記しておく。

2007年、私が阪大に移って2年目の夏、とあるシンポジウムの控え室で、鷲田清一総長(当時)と雑談をしている最中に、「そろそろ大学にも慣れてきたでしょう。何か他にやってみたいことがありますか?」と聞かれ、私は即座に「ロボットと演劇を創りたいんですが」と答えた。もともと阪大に移るにあたって、石黒先生のことは知識としては知っていたし、できることなら一緒に仕事がしてみたいと周囲には話をしていた。

鷲田さんは、さっそく手ずから段取りを付けてくれて、その翌週には、石黒先生と、その同僚の浅田稔先生の研究室に伺うことになった。私が最初にお二人にした質問は、「私がプロジェクトに加わると、皆さんの創ったロボットを、いま持っている技術以上に有能に見せることができてしまいますが、それをやってもいいですか?」という点だった。通常の科学の世界で無前提にそれを行えば「捏造」のそしりを免れない。ところが浅田先生は即答で、「望むところです」とお答えになった。

いまから思えば、この浅田先生の回答に、すべての鍵があった。その後、私と石黒先生は、驚異的なスピードでロボット演劇プロジェクトを進展させていくのだが、その成功の理由の第一は、二人の関心が「どう見せるか」にあったからだ。私は常々、「俳優の内面はよく分からない。分からなくても、俳優をリアルに見せることはできる」と言ってきた。石黒浩のコペルニクス的転回もここにあった。彼は、それまでのロボット工学者が、闇雲にロボットを(工学的に)人間に近づけようとしてきたのに対して、いったい人間が人間らしく見えるというのはどういうことか、それはどういう要素に拠っているのかというところから、ロボットの研究、開発を進めてきた。

これも本文中にあるように、石黒先生はすでに、「ロボット演劇」に取り組んでいたので、まずその授業内容などを見せていただき、改善できる部分を私の側から提案した。ある一場面を私が演出し、プログラミングをし直したとき、石黒研究室のロボットの動きは、そこにいる誰もがため息をつくほどにリアルになった。それはそうだろう。いままで誰も、ロボットを「演出する」などとは考えていなかったのだから。もっと厳密に言えば、石黒浩以外の研究者は「演出しないでもリアルになるロボット」を目ざしていた。しかし人間が教育を受けて人間らしくなるように、ロボットも誰かから「人間らしさ」とは何かを教えてもらわない限り、永遠に、人間らしくはならない。

二人がタッグを組み始めた当初の石黒先生の口癖は、「平田オリザは先に答えを知っている。だから君たち(若手研究者)は、もう研究はしないで解析だけすればいい」というものだった。実際、石黒研では、何故私が演出をするとロボットがリアルになるのかを解析し、パラメーター化(数値化)して、特許も出願しているらしい。あまり、お金にはならない特許のようだが。

もともと、「ロボット」という言葉は、1920年に、チェコの劇作家カレル・チャペックが書いた『R. U. R.』という戯曲の中に登場するのが最初である。ことほど左様に、ロボットと演劇は、元来、親和性があると私は考えている。

しかし、ロボットはこれまで、博覧会や科学館でしか見られない「展示」の対象だった。工学研究者たちは、そこでは、技術を誇示しようとする。ただ、技術の誇示に対して、一般市民は感心はするが感動はしない。私たちは人々を感動させるロボットの「見せ方」を考えようと話し合い、プロジェクトを進めた。

2008年11月、世界初の本格的ロボット演劇『働く私』を大阪大学構内で上演。この舞台は、ロボット二体と人間二人が出演する30分弱の作品だが、すでにロボット演劇の諸要素はすべて含まれており、後に国内外で上演を続けることになった。

この『働く私』を観た国立国際美術館館長建畠晢氏(当時)の依頼で、第二作として、本格的な長編作品『森の奥』を、2010年のあいちトリエンナーレ出品作品として制作することとなった。本書の中に出て来る最初のアンドロイド演劇『さようなら』制作の逸話は、このときのものである。

『さようなら』は、その後、あいちトリエンナーレで緊急上演を行い、そのまま世界に羽ばたく作品となった。

オーストリア・リンツでは、大聖堂のステンドグラスの下で上演を行った。タイ・バンコクでは、チュラロンコン大学との共催で、タイ語版の『さようなら』を制作し、三百人の劇場で10ステージの上演。半分以上のお客さんを帰す大盛況となった。地上波全局が取材に訪れ、全国紙3紙が一面で取りあげた。

私たちは次に、アンドロイドとロボットが共に出演するアンドロイド版『三人姉妹』、子ども向けロボット演劇『銀河鉄道の夜』を制作。これら5つの作品は、この5年間で15か国、国内外30都市以上を巡演してきた。

2014年の現時点では、新しいアンドロイドを使い、フランスのノルマンディ演劇祭からの依頼で、全編フランス語のアンドロイド版『変身』を制作中である。この作品には、フランスを代表する映画女優イレーヌ・ジャコブが出演する。

多くの公演では、上演のあとに私と石黒先生が舞台に上がって講演や質疑応答を行ってきた。その席で観客から必ず聞かれる質問の一つに、「アンドロイドはどこまで人間に近づけますか?」というものがある。石黒先生の答えは「私は工学者ですから、あなたが人間とは何かを定義してくれたら、その通りのロボットを作ります」というものだ。あるいは、機嫌のいいときには、「あなたは人間ですか?」と逆に客席に問いかけることもある。「あなたが人間かどうか私には分からない。切ってみなければ分からない。いや、切って飛び出してきた血も人工血液かもしれない」。

私に向けてのものでは、「何故ロボットで演劇をやろうと思ったのですか?」という質問もよく受ける。答えは簡単だ。「世界で初めてだから」。何をやっても世界で初めての素材が目の前に転がっていて、それに手を出さないとしたら、その人はもう芸術家ではないだろう。鷲田総長に、「ロボットと演劇を創りたい」と言ったときから、私はそのことだけを考えていた。

また、他に必ず出る質問の一つに、「ロボットはアドリブはできないでしょう」「ときどき間違えたりするのが人間の魅力なのではないですか?」といったものがある。ただ、私の演劇には普段からアドリブはないし、アドリブがいいことだとはちっとも思っていない。安定して最高の演技ができれば、それに越したことはない。「ときどき間違えるのが魅力」とも感じない。この質問にも石黒先生は、「その程度のことでよければ、技術的には可能です。ランダムに間違えるようにすればいい」と答えてくれる。

だが、一部の観客の中に、その答えでは納得しない人たちがいる。「いや、それでも人間が犯す間違いと、プログラミングされた間違いは違うでしょう」実際には、ロボットが何かを間違えたとして、それがプログラム上で仕組まれたものなのか、本当の故障なのか、見かけ上、誰にも判断はつかない。第一、そんなことが、本当に「魅力」なのか。しかし、ここまでくると、どう説明しても、その観客は納得しなくなる。人間がサルから進化したことを認めたくないある種の原理主義のように、ロボットと人間に実は大きな差など何もない(あるいは将来的には、その差がなくなってしまう)のだということを認めたくない人々が一定数いる。人間もまた、プログラムされた存在なのだということを理解できない層はもっといる。

思えば、私と石黒先生は、この6年間、そこと闘ってきたのだと思う。人間は絶対にロボットよりも優れているのだという過剰な人間中心主義。人間はすべて自立して行動しているのだという思い込み。ロボットに演劇をやらせるなんてけしからん、そんなものは演劇ではないという偏見。文楽は賞賛しても、ロボット演劇は見向きもしない保守性。

いや、私たちは、二人が出会う前から、お互いの領域で、そのことに関して孤独に闘ってきた。その孤独だった二人が、鷲田清一という不思議な哲学者によって引き合わされ、双方の孤独さをなめ合うように、1つのプロジェクトにのめり込んだ。

私は、石黒研の学生から、「どうしてあんなに、石黒先生と楽しそうに喋れるんですか?」とよく聞かれる。文中にもあるように、石黒先生は学生たちからは少し怖がられているようだ。「まぁ、僕は利害関係がないからね」といった感じで、笑ってごまかすのだが、事の本質は違う。私と石黒先生は、この深い孤独を共有している。未踏峰に挑む者の孤独は、他の研究者や学生が知識としては理解できたとしても、本当の意味では共有できない。私たちは、そのような太いザイルで結ばれている。

本書をすべて読めば判るように、石黒浩は、世間一般から見れば「変人」である。読者諸兄も、最初のうちは「まぁ、科学者っていうのはこんなものかな」と思っていても、第9章「人間がアンドロイドに近づく」のあたりまで来て、「やっぱり、この人、ちょっと変だ」と感じるのではないだろうか。私もそう思う。

石黒浩は、ある種の突出した才能を持った人間が皆そうであるように、傲慢で自己顕示欲が強く、尊大で、自信過剰で、大胆で、不器用で、冷静で、挑戦的で、真摯で、繊細で、謙虚で、臆病で、情熱的で、強欲だ。

人間は、間違えるから魅力的なのではない。よくわからないから魅力的なのだ。そして、その「よくわからない」という点において、人間もロボットも、そして演劇も等価である。その「わからなさ」の極北に、いま、石黒浩はいる。

(平成二十六年九月、劇作家・演出家)
  

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