『耳鼻削ぎの日本史』”やさしさ”から”見せしめ”まで

麻木 久仁子2015年06月24日 印刷向け表示
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耳鼻削ぎの日本史 (歴史新書y)
作者:清水 克行
出版社:洋泉社
発売日:2015-06-04
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“耳鼻削ぎ”とは穏やかではない。というか、野蛮。現代人はそう感じるだろう。日本の歴史上で耳や鼻を削ぐといえば、戦国時代の話かな。敵の首をいくつとったか戦功を証明するのに、首だと持って帰るには重いから耳。いや耳だと左右二つ削いで数をごまかせるので鼻になったんだっけ。いやはや、戦国時代は血腥い…。

著者は日本各地の“耳塚”“鼻塚”を訪ね歩き調査する。無惨に討たれた武士たちの耳や鼻が何百と葬られたというのなら、さぞや怨念が染み付いているだろう、怨霊話もあるだろう。耳や鼻を削ぐという行為の意味もみえてくるだろう、と思いきや。
なぜかどこへいっても「耳の神様が耳の聞こえをよくしてくださるところ」という話ばかりだったのだという。

私は日本中の耳塚・鼻塚を訪ねてまわり〜(中略)けっきょくのところ、どこの耳塚・鼻塚からも不気味な怨霊譚が聞かれることはなかった。それどころか〜(中略)土地の人から愛され、ご利益を信じられている耳塚はほかにも確認することができた。おどろおどろしげな耳鼻削ぎの伝承とは対照的な、霊験あらたかな耳塚への地域の人たちの思い。このギャップは、いったいどう考えればよいのだろうか?

じつは民俗学の二大巨頭、柳田国男と南方熊楠は、この件について正反対の意見を持ち、その論争ゆえに絶縁状態になったほどだという。日本社会に耳鼻削ぎなどという「いたって惨酷なる風習」があったことを認めるか否か。

柳田が耳や鼻を削ぐ行為に神や精霊への生贄の文化を見いだそうとしたのに対し、南方は膨大な文献資料をもとに残虐な風習の存在を主張、ふたりの見解は歩み寄るところはなかったようだ。

はたして過去の日本社会において耳鼻削ぎという習俗はどんな場面で行われていたのか。当時の人々がその行為にどんな意味を託していたのか。それを探ることで、日本社会の身体観や刑罰観の来歴をみつめなおそうというのが著者のねらいだ。

中世における刑罰としての耳鼻削ぎの事例を追うと、意外なことにおもに女性に対する刑罰であることが見えてくるという。死刑にするのはしのびないが、放免するわけにもいかない、罪一等減じるときにくだされたのが耳鼻削ぎだったというのだ。人の命がいともたやすく失われる時代の、ある種の「やさしさ」としての耳鼻削ぎである。だが、なぜ足でも腕でも指でもなく、耳や鼻なのだろう。本書はそれを探ることで、中世の人々が人間の肉体のどの部分に何をシンボライズさせていたかを浮き彫りにする。

一方、時代が下り近世の初期の耳鼻削ぎには、見せしめとしての要素が強くなる。「罪一等減じる=人命救済」から、「耳鼻を削いだ上で処刑する」形にかわってくるのだ。死刑をより残酷な形でおこなうことで人々をふるえあがらせ、それによって治安を維持する。中世から近世にかけて、耳鼻削ぎの「価値観」が変容するのである。

その中世と近世の価値観の変容をつなぐのが戦国時代の耳鼻削ぎのありようである。刑罰としてではなく、戦功を証明するためのものとしての戦場の耳鼻削ぎだ。戦=大量殺戮となった時代、全国に急速にこの風習が広がる。それが空前の規模でおこなわれたのが、豊臣秀吉の朝鮮出兵時だった。

秀吉の朝鮮出兵をどう評価するかについては、昨今様々な意見がある。当時においてはそれなりの勝算があったのではないかとするものや、現代の倫理的価値観で侵略行為と決めつけることに対する異議などである。

が、本書で「朝鮮出兵時の耳鼻削ぎ」の顛末をみると、そこには常軌を逸した風景がみえてくる。それは第二次朝鮮出兵・慶長の役の記録である。

戦国時代には戦闘地域の住人を拉致して売りとばす「人取り」という行為が一般的に行われていたのだそうだ。望ましい行為とはいえないが、そうした「戦利品」をむげに禁じても戦意があがらない。ここで秀吉は念の入った指示を出す。集めた鼻が枡一升分になったものから住民の生け捕りを認める、というのである。

出兵した大名たちは、鼻削ぎに奔走する。なにしろ鼻があればよいのだから、非戦闘員である女子供も捕まえて、鼻だけいただくということも横行したようだ。そんなありさまでは、討ち死にした味方の鼻でさえ数に入っていなかったといえるだろうか、などと想像したくなる。それらの鼻は秀吉の軍目付によりきっちり勘定され、各大名家に受取状が発給されている。それらを集計すると、吉川家18350、鍋島家5444、黒田家8187、といった具合に、端数まで記録されている。

武士の戦いにおいてもっとも大切なのは戦功であり、耳鼻削ぎはあくまでその結果を示すためのものだったはずだが、慶長の役においては鼻を削ぐことが目的化した。膨大な数の人の鼻を日本まで送り、かつそれをひとつひとつ数えては帳面に書き付ける場面を想像しながら、「手段と目的がひっくりかえるとき、人も、集団も、正気を失うのかもしれない」と思わされる。これからさき、この国に耳鼻削ぎの風習が蘇ることはないだろうが、手段と目的が倒錯しておこる狂気は、形をかえて、何度でも起こるものだろう。

さて、耳鼻削ぎの風習は日本のみにあったわけではない。中国と朝鮮半島の王朝以外の前近代のユーラシア大陸ではあちこちでみられる、普遍的な習俗だともいえるのだそうだ。ならば日本はいつ、どういう経過をたどって耳鼻削ぎから「卒業」できたのかも興味深く、これも本書で考察されている。

“耳鼻削ぎ”という一見グロテスクな言葉をキーワードにしながら、その時代の空気と、そこに生きる人々の価値観を実感させてくれる一冊である。

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