『世界のしゃがみ方』-便所ナショナリズムをこえて

栗下 直也2015年09月30日 印刷向け表示
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世界のしゃがみ方: 和式/洋式トイレの謎を探る (平凡社新書)
作者:ヨコタ村上 孝之
出版社:平凡社
発売日:2015-09-17
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「小用も座ってしてください」。先日、親族宅でこのような張り紙を見て、怒りを爆発させた。なんで一般家庭にこんな張り紙があるんだ!馬鹿野郎、日本男児は立ってするんだよ!女性や外国人が座ってしても、俺は立つぞ、立つんだ。

本書を読むと、自分の認識が浅はかであったことを思い知る。立ってすることにこだわったことに対してではない。日本男児でなくても、ついこの間まで、女性ですら街中で立ちションをしていたのだ。「立ちションする日本人は公衆道徳が低い」と戦後真顔で論じられたこともあるらしいが、日本人どころか英国人もロシア人も立ちションするのである。

本書はロシア語圏の文学を専門にする著者が、ロシアで便器の使い方に悩んだことを端緒に世界を練り歩きトイレを比較考察した一冊だ。

我々はトイレの様式や使い方を時にナショナリズムとひもづけて論じてしまうが、立つか座るか和式(ユーラシア式)か洋式かと地域の関係性は非常に曖昧であることがわかる。

実際、ロシアには和式が多く見られるし、洋式なのに便座がない便器も少なくないという。当然、腰掛けられないわけだが、どのようにして使うのか。便器に背を向けてスクワット式でかがんで使うのだろうか。

さすがに不便だと思うのだが、笑い事ではない。ロシア人は腰掛けない。あくまでも、和式に乗るように、洋式の便器にしゃがむのだ。実際、便器の脇に踏ん張るための台が置かれたり、便器の両側に足を乗せる場所を取り入れたり「しゃがむ」工夫が凝らされた設計の便器も多い。洋式便器の上に和式に足を乗せてしゃがむとは。我々が二項対立でとらえがちな和式対洋式の姿はそこにはない。

実際、和式対洋式は神話にすぎないのかもしれない。洋式が明治期に日本に入ってきた当初も日本人は形ではなく水洗であることを洋式ととらえた。もちろん形の違いは明らかだが、腰掛けて使わずに、和式のように使えってしまえばいいとでも考えたのだろう。おもしろいことに外国人も和式に対する驚きは少なかったという。

世界中を巡り、トイレを見て、考えたことを書き連ねているので本書は小話も多い。旧ソ時代の共同住宅ではペーパーの代わりに新聞紙が使われていた。トイレは共同だが尻拭きの新聞紙は各人がトイレに用意していた。共産党幹部の顔写真をうっかり切り抜き忘れてしまうと、隣人に「あの家は大幹部の顔を尻拭きに使っている」とKGBに密告され、シベリア流しになってしまうこともあったとか。一方、ナチス政権下ではヒトラーの肖像がおまるの底に描かれた便器が発売されていたらしい。共産党幹部の顔で尻拭きして処罰される者もいれば、総統の顔めがけて勢いよく脱糞しても総統への心酔を示す行為と賞賛される者もいる。国は違えど不思議な話である。

偉人たちが使ったトイレも紹介している。松下村塾のトイレやチェ・ゲバラ、スターリンの使った便器まで写真付きで出てくる。伊藤博文や山県有朋やゲバラがいきみ、スターリンが次は誰を殺そうかと大放出しながらここで踏ん張っていたと考えると著者が指摘するように想像力はふくらむ。

それにしても日本人はトイレ話が好きだ。このような本を読んでいる私がいうまでもないが、関連書籍も他国に比べて圧倒的に多いという。著者は「トイレはそこであらゆる人が平等になる、民主主義的な空間である」と説く。アイドルも独裁者も経営者も便器の前では平等にいきむ。いきみまくって、糞をたれる。そして恍惚感と、達成感をえる。 

確かにトイレは思案する場所で会ったり、時にはいかがわしい行為が展開される場所だったりもする。だが、大概はしたいからするし、しなければいけないからする。僕らがトイレにしゃがむのには難しい理由はない。生存にとって不可欠な部分だからこそ、トイレは人を惹きつけるのである。

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