体は星くずで出来ている──『スプーンと元素周期表』

冬木 糸一2015年10月25日 印刷向け表示
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スプーンと元素周期表 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
作者:サム・キーン 翻訳:松井 信彦
出版社:早川書房
発売日:2015-10-06
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学生時代に元素周期表を見せられて「この対応を覚えるのだ」と言われた時程の絶望はなかなか味わえるものではない。水平りーべ僕の船などと語呂の合わせ方も多くのパターンが編み出されたが逆にいえばそれぐらい覚えることが困難であり「hが水素で……hが2つにoが1つでh2o、つまり水か……って水は水やないかい! 何がh2oじゃボケ! いったい……いったいなぜこんなものを覚えなければならないのか……」と呪ってもそれから逃れられるわけではなかった。

そのまま理不尽さに納得できず、化学憎むべししのまま日々を過ごしてきてしまった人もいるのではないかと思う──というより僕がそんな人間だったのだが、本書を読んでその印象が一変することになった。これはなんて洗練されたシンプルでエレガントな表であろう。そして、表が埋まっていく過程には、化学者、物理学者、探検家など多くの人びとのドラマが詰まっているのだろうかと。本書は化学記号を覚えるのではなく元素周期表を読み解いていくことで、化学によって何が、どこまで考えられるのかを、想像を広げられるのかを教えてくれる。

たとえば、地球外生命体にはどのような形態がありえるのか? ケイ素生物が異星生物として有望だと言われ、たびたびSF作品に出演しているのはなぜなのだろう? この地球もさまざまな元素の集合住宅だが、そもそもどのようにして集まって、生まれ得たのか? 宇宙における原初の瞬間には元素もなかったはずだが、どのようにして元素が生まれてきたのか? こうした問いかけはそのまま宇宙論に繋がり、原子が生まれたその瞬間の物語から、宇宙を彩るさまざまな惑星へと発展していくまでの壮大な宇宙史にまでつながっていってみせる。

宇宙物理学者の故カール・セーガンは私たちの構成要素が根本的には、かつて超新星があらゆる方向に元素を吹き飛ばした結果であることを表して「私たちはみんな星くず」といったが、つまり本書は宇宙のそもそもまで遡った、壮大で、コンパクトで、エレガントな人類史なのである。

周期表には、あの多様な原子がどこでつくられたのか、どの原子が分解あるいは変化して別の原子になるかなどにかんするあらゆる類の捜査情報が記号化されていることがわかる。原子は化学的な反応で結びついてたとえば生物という動的な系を作りもするのだが、周期表を見ればそのやり方が予測できるし、さらには、どんな非道な元素の面々が生物を困らせるか、あるいは死に至らしめるかさえ予測できる。

最もシンプルなレイヤーでは、周期表はこの宇宙に存在するあらゆる物質の一覧となり、別のレイヤーでは原子の起源の物語となり、発見した科学者の物語となり、社会の、果てには宇宙の起源へと至る、さまざまな複雑さの階層において驚きと魅力にあふれた物語となり得る。 本書は全5部にわたって、元素周期表のそもそもの成り立ち、元素になる前、原子の誕生から芸術や政治と元素の関わりを洗い出していくので、軽くではあるが全体的に紹介していこう。

ケイ素生物の存在可能性について

第1部で語られていくのはオリエンテーションだ。何が炭素を炭素たらしめているのか、原子は手持ちの電子をエネルギー準位の低い内側から埋めたのち、足りないものを盗む、共有する、あるいは手放すことによって複雑な化合物と化していくが、こうした基礎知識はのちにやってくるもっと面白いことへの基盤にあたる。たとえば、地球に存在する生物が基本的に炭素生物であるのは、アミノ酸の幹にある炭素原子が持つ結合しやすい性質の為だ。

炭素は最初のエネルギー準位に2個、外側のエネルギー準位に8個の電子を欲しがる。6番元素である炭素は、2個の電子がまず一つの順位を埋め、手持ちの4個を外側に埋めても残り4個の電子は他所から引っ張ってこなければならない。『四個見つけるのは大変なので、炭素が結合をつくる条件はかなり低く、事実上なんでもつかまえる。』この柔軟性が重要なのだ。

我々地球に存在する炭素生物とは別になぜケイ素生物が「有望」と見られているのかもこの基礎知識から理解できる。ケイ素は炭素より8多い14番元素だが、これまた2個が最初のエネルギー準位を満たし、次に8個が2番目を満たすので、あまりが炭素と同じく4になる。もっとも、それはケイ素生物の存在可能性を肯定するものではない。地球の生命は気軽に気体から炭素を出し入れするが、二酸化ケイ素が気体になるのは2230℃であり細胞呼吸のレベルになると固体を呼吸するのは現実的ではないから厳しくなってしまう。

私たちはみんな星くず

第2部は原子がどこでつくられたのかを辿る宇宙元素周期史だ! 当たり前だが、元々元素なんかなかった。じゃあどうやって生まれたんだろう? といえば、答えは一つではない。たとえば、水素で出来た恒星はすさまじい重力で核融合を続け何十億年も経った頃に水素が燃え尽きて、次にヘリウムを燃やし始めるが、そこではじめてヘリウム原子がくっついて偶数番元素ができたり、陽子や中性子が壊れてばらけて奇数番元素ができるようになるのである。

核融合で生み出せる元素には限度がある。鉄系の26個の陽子を揃えるには膨大な量のエネルギーを要するからだ。ならばそれらはどうやってうまれてくるのかといえば、ミニビッグバンから出来合いの状態で出てくるのである。燃え尽きた恒星はみずからの途方もない重力によって内向きに爆発し、中性子のほかはほとんど残らなくなった後、収縮の反動として今度は外向きに”半端ではない”爆発──を起こして、宇宙に新しい元素を撒き散らしていく。

元素一つ一つに誕生秘話があるのだ。

毒元素、政治、狂気

第3、4部は人類社会と元素周期表の、病や政治や芸術、貨幣といった物とのかかわり合いの物語。たとえば、イタイイタイ病はカドミウムの危険性が知られていなかったからこそ発生した病だった。亜鉛は必須ミネラルの一つだが、カドミウムは体内で亜鉛と作用して置き換わってしまう。その上カルシウムの吸収を妨げ、硫黄やカルシウムを体から追い出し、「触っただけで骨が折れる」程に悲惨な状態に人間を追い込む。カドミウムの元素周期表周囲には水銀、タリウム、鉛、ポロニウムが並んでいる。元素周期表には、毒の回廊が存在しているのだ。

元素科学のこれから

現在のところ発見・報告がなされているのは118番目までの元素になるが、実際にはそのずっと先を科学者は予測し、仮想元素として名前までつけている。それは自然界に存在しているのではなく、中性子をくっつけたり、原子を粒子加速器によって秒速3万キロなどという禿げ上がるような速度で金属の膜に叩きつけて反応させたりと無茶な実験を繰り返してつくらねばならない。そうした新元素は、既に知られている元素の単なる重いバージョンではなく、炭素やケイ素、鉛のようにまったく異なる性質を持って安定させられる可能性さえある!

おわりに

マイナな元素であっても、そこには思いもよらぬ性質とドラマがあることに何度も驚かされることになった。本書が何よりも素晴らしいのは、元素周期表に秘められた物語を丹念に理解していくことで、惑星の成り立ちや、架空の生命体の化学的にありえる形態などなど、シンプルな表から世界そのものへと様々なスケールで接合してくれる多様さと深さの奇跡的な両立にある。

ここには元素と記号を結びつけ単純に記憶させるような無味乾燥な学習はなく、ただただこの世界への驚きと喜びのに満ちている。ド直球でお薦めできる化学ポピュラー・サイエンス本だ。

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