『コーランには本当は何が書かれていたか?』 訳者あとがき

文藝春秋2015年11月20日 印刷向け表示
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イスラムを深く知るためには、「コーラン」を避けて通ることができない。ジハードで死ぬと、楽園の72人の乙女という報酬があると書かれているのは本当か? そして過激派たちによってどのように曲解され、利用されてきたのか? 今あらためて問われる、コーランに書かれている内容の本質。(HONZ編集部)

コーランには本当は何が書かれていたか?
作者:カーラ パワー 翻訳:秋山 淑子
出版社:文藝春秋
発売日:2015-09-28
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本書はカーラ・パワー(Carla Power)著If the Oceans Were Ink――An Unlikely Friendship and a Journey to the Heart of the Quran(『たとえ海がインクであっても――奇妙な友情とコーランの心髄への旅』)(2015年 ヘンリーホルト刊)の邦訳です。

副題にある「奇妙な友情」とは、著者である気鋭のアメリカ人女性ジャーナリスト、カーラ・パワーと、本書における彼女の対話の相手、イスラム学者のモハンマド・アクラム・ナドウィー師との友情を意味します。つまり本書は、フェミニズムに傾倒し、宗教にほとんど縁のない行動派のアメリカ人女性と、女性に対して厳しいとも差別的とも言われるイスラム教の厳格な聖典解釈者とが、意外にも意気投合しながら、いっしょにコーランを読むという、たいへん刺激的な内容の本です。

著者のカーラ・パワー
©Jamie Smith Photography.

著者カーラ・パワーは1966年生まれ。母ヘレンは女性学者、父リチャードは法学者です。カーラの子供時代、ミズーリ州セントルイスに暮らす一家は、父の意向によりしばしばテヘラン、カブール、デリー、カイロといった中東・南アジアの諸都市に長期滞在しました。それゆえ彼女は中東地域の文化に自然な親近感をもっています。こうした経験を下敷きに、長じて中東専門のジャーナリストとなった彼女は、「タイム」、「ニューズウィーク」、「ニューヨークタイムズマガジン」などに記事を書いています。現在は夫と二人の娘とともにロンドンに暮らしています。
カーラの宗教的背景を理解する上で大事なのは、彼女が形式上ユダヤ教徒に属すると同時に、実質的な信仰をもっていないということです。父はクエーカー(キリスト教プロテスタントの一派)、母はユダヤ教徒、カーラと弟も、母方の宗教を継ぐというユダヤ教の規定によりユダヤ教徒なのですが、一家は誰ひとり信仰に熱心ではありません。この点、「無宗教」を自任する普通の日本人とそれほど変わらないと言えます。

さて、カーラがイスラム古典の研究者であり信徒の指導も行なうアクラム師と知り合ったのは、20年以上前のことでした。彼女が90年代前半にオックスフォード・イスラム研究センターで働いたとき、アクラムは同僚の研究員でした。

ムハンマド・アクラム・ナドウィー師は1963年、インド、ウッタルプラデシュ州の僻村に生まれました。州都ラクナウのマドラサ(イスラム学校)、ナドワー・ウラマーで学び(「ナドウィー」はここの卒業生の誇り高き称号です)、1991年にイスラム研究センターの特別研究員となりました。本書執筆時点で、妻と娘たちとともにオックスフォードに暮らしています。

ムハンマド・アクラム・ナドウィー師 © Cambridge Islamic College

アクラムの最大の業績は、イスラムの古典時代における9000人にのぼる女性学者たちの活動の掘り起こしで、十年の歳月を費やした研究内容が全40巻分のデータとして蓄積されているそうです。英文によるその学術的梗概がAl-Muhaddhithat—The Women Scholars in Islam(『ムハッディサート――イスラムの女性ハディース学者たち』)として2007年に出版されました(2013年に改訂版が出ています。なお、邦訳は未刊)。

アクラムがイスラム世界の女性史の専門家であるだけに、本書のトピックの多くは女性問題をめぐるものです。たとえばイスラム教国の多くの女性は髪を各種のベールで覆います。しかしアクラム師は自分の娘たちに伝統的なベールの着用を強要しません。娘の一人が思春期の思いつきのためか、ニカーブ(目のところだけスリットの入った、頭部全体を覆う被り物)を着けて登校しようとしたときも、本当に自分の意思でそうしているのかどうかわかるまで、学校へ送っていく車を発進させませんでした。フランスのイスラム教徒がスカーフ着用規制問題で動揺していますが、アクラムの教理的見解では、スカーフなどにこだわる必要はないのだそうです。

なぜでしょうか? ムハンマド時代のイスラム女性は今日よりはるかに自由に行動的に振る舞っていました。そしてアクラムによれば、ベールなどの布よりも信仰の実質のほうが大事なのです。今日、女性のベールはイスラム教徒のアイデンティティのしるしとして使われていますが、彼はアイデンティティにこだわる発想そのものがイスラム的ではないと言います。

アクラムは預言者ムハンマドが神から啓示を受けたという7世紀のアラビア半島の歴史を踏まえて、厳格にコーランを読もうとする立場をとっています。この点で、彼は通常のイスラム主義者よりもずっと保守的で「原理主義」的なのですが、こうした姿勢ゆえに、かえって女性を抑制する伝統的慣行のほとんどに同調しないのです。慣習はイスラムではない――。伝統的慣習の多くは、イスラム教がその誕生以降アジア各地に広まる間に徐々に地域の慣習を吸収してできあがったアマルガムだと彼は言います。

イスラム世界は聖典コーランへの尊崇に見られるように、物事の「原点」「起源」というものを非常に大切にします。したがって、聖典や古典的伝承についての学者の見解は、社会全体に大きな影響力をもちます。イスラム世界においては、西洋の影響を受けたフェミニズムの立場から女性解放を論じるよりも、アクラム師のような古典主義の立場から、今日のイスラム教徒の慣行には根拠がないと呼び掛けるほうが、よほどインパクトがあると言われています。

本書は、コーランのメッセージの本質を、女性や家族の問題からジハードや政治の問題まで、現代イスラム社会の慣行と対照させながら明らかにしていくものです。邦訳タイトル『コーランには本当は何が書かれていたか?』は、こうした意図を汲んでいます。原題『たとえ海がインクであっても』は、そのままでは意味がよくわからないかもしれませんが、これはコーラン第18章109節の「たとえ海がわが主の御言葉のためのインクであるとしても、わが主の御言葉が尽きる前に海は尽きたであろう」に基づいています。この章句は、コーランの言葉の汲めど尽きせぬ豊かさを言い表したものであり、「コーランには本当は何が書かれていたか?」の探究が、どこまでもどこまでも続く豊かな旅路であることの暗示ともなっています。

実際、アクラムもカーラも粘り強い思考の持ち主です。本書の土台となった、(2012年晩秋から翌年の夏ごろまでの)一年近くにわたるコーラン講読の勉強会を通じて、二人はさまざまな点で合意しますが、ときには鋭い対立も起こりました。たとえば、イスラム社会には今日でも幼児結婚の慣習が残っていますが、これは現代の人権保護の見地から鋭く批判されており、当然カーラも批判的立場に立っています。ここで問題となるのは、預言者ムハンマドのもとに9歳の少女アーイシャが嫁いだという歴史的範例があることです。幼くして嫁ぐというのは過去にはどの社会でも行なわれていた習慣ですが、歴史を相対化して乗り越えるべきだとするカーラと、あくまでそれを宗教的範例と考えるアクラムの思考は平行線をたどります。同様に、同性愛をめぐっても、性を生殖と捉える保守的なアクラムと性の多様性を認めるべきとするカーラは対立を続けます。

アクラムによって説得されないとき、カーラは他の論者の議論に当たります。アクラムもまたそのような読解を奨励しました。彼の姿勢はどこまでも柔軟です。たとえば幼児結婚問題をめぐっては、彼は学生たちと討議を重ね、歴史の事例から新たな根拠を見出して、結局、これを批判する立場に転じました。こういったあたり、アクラムには自己の権威や面子に対するこだわりがまったくありません。いついかなるときも飄々としているアクラム師の姿勢がどこかしら禅者の姿を思わせると感じる方もいるかもしれません。本書は私たちに、ニュースになりやすい政治的イスラムとは異なる、裾野の広いイスラム観を与えてくれます。

本書の翻訳はとにかく楽しい作業でした。何よりもそれは、カーラの文章がすばらしいからです。人物や情景の観察が鋭く、描写が的確で美しい。語り口にユーモアが溢れています。カーラの描くアクラムはとても魅力的な人物です。アクラムとカーラのやりとりは、ときに上質のコントのようです。この声で、この口調で――。私はネット上で二人の講演やインタビューの動画を見ながら、実際の対話を想像して楽しみました。すべてが実話でありながら、カーラの筆はそれらを小説のように興味深く、また感動的に仕立てています。

とくに、死の問題を扱った第15章は悲痛で、読むたびに胸に迫ります。1993年にカーラの父が暴漢に襲われて急逝したとき、知り合って間もないアクラムが詩の詠唱で哀悼の意を表してくれました。カーラはそれに深く感じ入ります。このとき二人の間に友情の萌芽があったと、カーラは回想しています。そしてその20年後、二人は相前後して母親の死に見舞われました。「まるで私たちは、母親喪失という、国境を越えて蔓延する何か不条理な伝染病に罹ったみたいだった」とカーラは記しています。今やしっかりとした友情関係を築いた二人が互いを慰める言葉は、読む者の心をも震わす、慈しみに満ちたものに感じられます。

翻訳という仕事から離れ、純粋に読書の楽しみのために何度も読んでしまう一節を、私は本書の中に数多く見出しました。 

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