『和の国富論』 神の見えざる手の前に

吉村 博光2016年07月09日 印刷向け表示
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和の国富論
作者:藻谷 浩介
出版社:新潮社
発売日:2016-04-22
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いまあえて、国富論。ただ本書は、“神の見えざる手”ではなく、アダムスミスがその前提とした「他者への同感」「自己規制」にフォーカスされている。いままさに限界に達しつつある薄っぺらな自由競争信仰を、乗り越えるためのヒントを提供した本だ。今回のイギリス国民投票は、他者に同感する能力の欠如によって、自由競争の勝者が敗者から手痛いしっぺ返しを食らったようにもみえる。そんな思いを私に抱かせた本書は、『デフレの正体』『里山資本主義』といった著者の作品同様、多くの示唆に富んだ現代人必読のテキストといえる。

本書に登場する対談相手は、いずれも特定分野の「現場」に身を置いて行動し、掘り下げと俯瞰を繰り返した結果、確固たる「智恵」を確立している、著者がいうところの“現智の人”である。内外価格差が存在しない厳しい市場下で収益を上げ続けている林業家、学級崩壊立て直し請負人と呼ばれた元教師など総勢6名。「現場」に根差して結果を出しつづけている方々だけに、自らの経験を、自らの言葉で語っていて実に爽快である。本書からまず、50年サイクルでの収益設計が必要な林業の現智の人、速水氏と藻谷氏とのやりとりを紹介したい。

速水 そう言えば、縁があって、トヨタ自動車が三重県に取得した1700ヘクタールの森林の管理もしているのですが、最初にトヨタの役員会で「50年山林再生計画」を提出したら、大揉めに揉めました。
藻谷 「50年後の責任を誰が取るんだ、ふざけんな!」みたいな(笑)。
速水 ええ(笑)。
藻谷 そもそも50年先なんか考えたら、自動車会社なんてやってられない。半世紀後にガソリンはあるのか、地球環境はどうなっているのかなんて考えていたら、「もうやめよう」ってなっちゃう(笑)。
速水 でも、担当役員の方が頑張ってくれて、無事通りました。おそらくトヨタ始まって以来の50年計画だろうと思いますけど(笑)。 ~本書第1章より

一般誌に連載された対談であるため、私のような専門外の人間にも読みやすい。スラスラと読み通した結果、林業、漁業、地域再生、教育、高齢者支援・・・様々なジャンルに関する新しい視座が得られる、価値ある本なのだ。そしてその視座の獲得によって、これまでの何倍も新聞を読むのが楽しくなる。例えば漁業なら、漁獲量が減ると毎度のように書き立てられる「漁業者の乱獲への批判」がウソっぱちだということに気づかされるのである。漁業の現智の人・濱田氏は、報道は最初から「答えありき」で記事がまとめられる傾向が強いとしたうえで、こう述べている。

濱田 日本近海では、明治期にはカツオがいっぱい獲れて、戦前はマグロがたくさん揚がり、戦後それがぱったりいなくなったと思ったら、今度はブリが大量に入って来たなどの変化が見られました。そこには漁獲の影響だけでは到底説明しきれない、ダイナミックな自然の変動があるわけです。  ~本書第2章より

濱田氏は、漁獲量制限自体に反対しているわけではなく、「漁師性悪説」とも言うべき都会のインテリ層の思い上がりがあるのではないかというのである。これはまさに、「他者への同感」の欠如ではないか。仮に獲りすぎたら獲れなくなるとしたら、その結果、一番困るのは漁師なのだ。長く生業を続けるために、漁業者同士でルールを作って資源管理をしている実態に目を向けることなく、上から目線で乱獲批判をするのは馬鹿げている。本書を読んで、中学の頃、生徒会室に流れていた空気を思い出した。

田舎から東京の中学に転校してきて、最初に感じたのが、優等生と劣等性の間にある見えない壁だった。新聞に載るような荒れた中学校だったからなのだろうか。優等生ばかり集まる生徒会室には、特殊な空気が流れていた。教育がテーマの第4章「学級崩壊」でリーダーが育つでも、「他者への同感」の必要性が述べられている。教育の現智の人・菊池氏いわく、教室のイメージは大体「二・六・二」だという。頑張る子が2割、普通の子が6割、だらんとしている子が2割なのだそうだ。そこで、下の2割を引き上げようとすると学級崩壊が起こるという。では、どうすれば良いのか。

菊池 それは上の8割の中から「スーパーA」、つまり他の仲間を引っ張りあげていけるスーパーエリートを出せばいいんです。観察していると、「八・二」まで持っていくと教室が安定した状態になり、自然と「スーパーA」が出てくる。そうすると、クラス全体のレベルが上がって、結果的に下の2割も引き上げられる。  ~本書第4章より

「スーパーA」というのは、「私、上の2割で勉強ができますが、何か?」というタイプではなく、クラス全員、一人も見捨てないといったタイプのリーダーである。みんなはどういう気持ちだろう・・・という他者理解、自分だけ突っ走っても・・・という自己規制。私はまったく忘れていたが、先日、中学の同級生から話をきいて、ハッとさせられた。当時私は、自宅でその同級生に勉強を教えていたそうだ。「先生の教え方よりもずっとわかりやすかったし、とても嬉しかった」という。もしかしたら、当時の私は「スーパーA」だったのだろうか。いまはただの飲んだくれだが、そうなる資質は誰にでもあるということなのかもしれない。

さて、最後にもう一つだけ本書にあるエピソードを紹介したい。地域再生の現智の人・清水氏は、岩手の田園地帯の駅前にある図書館兼公民館のような施設を運営している。その図書館に産地直売所を入れ、「農業支援図書館」というコンセプトで大盛況になっているそうだ。図書館で野菜を売れば人が集まるという単純な話ではないが、そこには「本好き」だけが集まって話し合うのとは全く違う発想や行動力がある。同感力と自己規制をもって、他分野に橋をかける存在が必要だとあらためて感じた。

神の見えざる手の前提となる諸要素が、本書には随所に散りばめられている。そしてそれを、著者は「和力」と概括し『和の国富論』という書名を選んだ。それは決して、日本人であることを賞揚する意図ではない。「和力」とは、狭い島々の中で多年ひしめきあってきた日本人が編み出した智恵や工夫や身のこなし方のことであり、それは、劇的に狭くなった地球上でこれからの人類に必要な力なのではないかという提言なのである。貧富の差が拡大し、資本主義は行き詰っている。しかし、勝者はそれを見て見ぬふりなのだ。生徒会室だけで全てが決まるような、政治状況だけはつくりたくない。もっとも、そこに同感力や自己規制があれば、話しは別なのだが。 

藻谷浩介対話集 しなやかな日本列島のつくりかた
作者:藻谷 浩介
出版社:新潮社
発売日:2014-03-18
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こちらは、今作同様、複数の対談が収められた前作。『デフレの正体』『里山資本主義』とあわせて、いま、あらためて読み返したい。

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