『なぜ、無実の医師が逮捕されたのか』 99.9%という有罪率の壁を乗り越えた刑事裁判

吉村 博光2016年10月09日 印刷向け表示
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10年ほど前に、業務上の過失により患者(妊産婦)を死亡させたとして逮捕された、産科医をめぐる刑事裁判「福島大野病院裁判」について、ご記憶の方も多いだろう。テレビカメラの前で医師が逮捕されるというショッキングな出来事から始まり、娘を亡くした父親視点のドキュメンタリー番組が作られるなど、報道は過熱した。裁判の結果、99%を超える刑事事件の有罪率の壁を乗り越え、医師は無罪となった。この本は、その弁護にあたった弁護士がまとめた記録である。

本書は、徹頭徹尾、以下の立場が貫かれている。

弁護団は、決めていた。何があろうと、患者さん家族の如何なる言葉にも反論しない。そのご心中を察すれば、まして、生まれた時に、その母はいない子のことを思うからである。
裁判は闘いである。しかし、ご遺族と闘うのではない。検察との闘いでしかない。~本書より

判決後、医師は「患者さんの期待や要望に応えることが出来なかったことは、医療者の良心としてお詫びするしかない」と語ったそうだ。また、この本で著者は「この10年間、事件を通じて学ぶことの連続だった」と書いている。題名にある通り、本書は「なぜ、無実の医師が逮捕されたのか」について見解を示し、現在の制度への問題提起をおこなった本である。医療裁判は、いつ誰が当事者になってもおかしくない。今回のように、患者にとっても医師にとっても不幸な事態が起きないようにするために何をすべきなのか、本書は、その課題をあぶりだしている。

もしもあなたが、ある分野の専門家として善良なる意志で仕事に取り組んだ結果、不慮の出来事によって裁かれてしまうリスクがあるとしたら、最善の努力ができるだろうか。医師逮捕の衝撃的な映像をみて、心が折れ、職を辞した医師もいたと聞く。全国の医師たちを「次に逮捕されるのは自分かもしれない」「彼が裁かれるなら医療は崩壊する」と震撼させた事実は重い。それによって、医師不足が進んだり医療行為そのものが萎縮することになり、助かったはずの命が助からなくなる可能性があるのである。

この裁判の判決文に「医療行為が身体に対する侵襲行為を伴うものである以上、患者の生命や身体に対する危険性があることは自明であるし、そもそも医療行為の結果を正確に予測することは困難である」とある。たしかに医師たちの仕事は、大きなリスクをかかえている。しかし、どの分野の専門家においても、少なからずリスクはある。専門家の側からの見解は、裁判の場でどれだけ理解してもらえるのか。どれだけ敬意を払ってもらえるのか。これは、全力で仕事に取り組む全ての人にとって重大な問題に違いない。

一読して私は、「本書には、全ての読者を最後のページまで導く力がある」と感じた。とにかく、読み応えがあるのである。検察側の視点も忘れずに読もうと何度も自分に言い聞かせながら、著者とともに一喜一憂しつつ一気に読んだ。何より、医療裁判の裏側が手に取るようにわかって為になった。読む前は、遺族に悲痛な思いをさせるかもしれない本書を、出す意味があるのかと疑問を抱いた。しかし読んでみて、著者が本書を出した意図がよくわかった。遺族も、現行制度の被害者なのだ。その被害者を増やさないために書いたのである。特に初公判時に起こった次のエピソードを読んだとき、私はその意を強くし、ページをめくる手を一気に速めた。

起訴状はふつう検事によってたんたんと読み上げられ、被告人と弁護人は黙って聞いている。それが起訴状朗読だが、この日は前代未聞の波乱が起こった。検察官は手元の起訴状の写しにある「臍帯(さいたい)をけん引して……」の下りで、「ジンタイをけんいんして……」と読み上げたのだ。
条件反射のように「異議あり」と手を挙げていた。
「ただいまの起訴状は、被告人・弁護人らが受領している起訴状とは異なる」~本書より

公判の席で、本件の重要な医療行為である「臍帯牽引」を「ジンタイけんいん」と読んでしまうことが、単なる「誤読」で済まされないものであることは、本書を読むと理解できる。そもそも弁護側は、裁判にあたって、圧倒的に不利な立場に立たされていて、公判までに想像を絶するような努力を重ねてきたのである。本件の端緒となった事故調査委員会報告書を公表した後に病院側は遺族に謝罪し、医師は県の懲戒処分を受けている。その状況は、医師に責があることを示しているし、逮捕後、被疑者は警察施設に勾留されていて、カルテなどの資料も警察に押収されているため、状況を覆す材料も乏しい闘いなのである。

その不利をはねかえすためには、手間と時間をかけて、綿密な調査をするしかない。著者は協力者を集め、全国を飛び回って、その道の権威の意見を集める絶え間ない努力を続けてきた。弁護依頼の電話を受けてから、全力で有罪率の壁に挑んできた様子が本書では描かれている。一方で検察側は、臍帯をジンタイと読む体たらくなのだ。事故調査委員会の報告書のうえに胡坐をかき、本件の理解に必要な専門知識を学ぶことさえ軽んじていることを如実に表す出来事である。私は、初公判のこのエピソードにゴクリと唾をのんだ。ここで手術から判決までの大まかな経過をまとめておきたい。

平成16年12月 手術
平成17年3月 事故調査委員会報告書公表
平成18年2月 逮捕・勾留
平成18年3月 起訴
平成19年1月 初公判
平成20年8月 無罪判決

大きなポイントになったのは、手術の3か月後に公表された「事故調査委員会報告書」だった。報告書について、本書には次のような記述がある。「事故調査委員会の委員たちは、なんとか遺族に補償が出るように、過失ありきとも読めるように、書かねばならない状況に追い込まれた可能性がある。賠償保険だから、なんらかの医療側の過失、がなくてはならない訳だ。」警察はそこに書かれていることをもとに業務上の過失を主張し、医師は逮捕され、結果として、遺族にも悲痛な思いを与えることになった。

裁判の経緯をまとめた第2章の後に、第3章“大野病院裁判の意味”が続く。その中で著者は「医療事故調査委員会が犯した罪は深く重い」と断じる。そして、本件以外の様々な事故調査委員会の悪しき事例を挙げ、冤罪につながりやすい日本の刑事手続きの問題点について触れている。国際的に日本の刑事手続きが時代遅れだと指摘されている状況を紹介し、医療に限らず、専門家領域の事件における被疑者の意見はリスペクトをもって傾聴すべきだと主張する。安易な報道に流されやすい我々にとっても、耳が痛いところである。

私も大野病院裁判の初期報道に踊らされた一人だ。一般的に医療不信は根強く、医師を悪者にする報道は世間に浸透しやすい。医師無罪の報道より、逮捕された医師の映像のほうが早く広がる。そこに、過失ありきで書かれた事故調査報告書があれば、今回のような不幸な状況はすぐに作られてしまう。実際にその後も同様の裁判が後を絶たないようだ。著者はその状況を改めるため、必死で伝えようとしているのだ。拡散力の高い凡百の医療批判の記事よりも、はるかに意義深い本である。

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