『いま、希望を語ろう 末期がんの若き医師が家族と見つけた「生きる意味」』 訳者あとがき by 田中 文

早川書房2016年11月09日 印刷向け表示
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いま、希望を語ろう 末期がんの若き医師が家族と見つけた「生きる意味」
作者:ポール カラニシ 翻訳:田中 文
出版社:早川書房
発売日:2016-11-09
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2014年1月、《ニューヨーク・タイムズ》紙に「私にはあとどれくらいの時間が残されているのだろう」と題したエッセイが載った。執筆者はエッセイのなかで、自らの末期がんを告白しており、余命が不確かななかでどう生きたらいいかわからずに葛藤しながらも、やがて前を向き、仕事に復帰する決意をするまでの経緯が綴られていた。その執筆者とは、スタンフォード大学で脳神経外科のレジデントをつとめる、36歳のポール・カラニシだった。

エッセイの最後はこんなふうに締めくくられている。

がんと診断されてからちょうど8カ月が経った。体力はずいぶん回復した。治療の効果があって、がんは縮小してきている。私は徐々に仕事に復帰している......以前よりも執筆がはかどっているし、より多くを見て、より多くを感じている。毎朝、5時30分に目覚まし時計が鳴ると、私の体は死から甦る。隣には妻が寝ていて、私はまた思う。「続けられない」でも1分後には手術着を着て、手術室に向かっている。私は生きている。「続けよう」

エッセイの評判はすぐに口コミで広がり、カラニシ医師のもとには共感や感動、そして感謝を伝える何千通ものEメールが届いた。その後、彼はNBCテレビの取材を受けていて、インタビューの様子は NBC Bay Area のHPで見ることができる。画面に映る白衣姿の彼は知的な表情を浮かべ、穏やかな口調でインタビューに答えている。「自分の個人的な体験がこれほど多くの人の共感を呼んだことは驚きでしたし、そしてまた、すばらしい経験でした」と語るその姿は、末期の病におかされているとは思えないほどに健康そうだ。

しかし、がんはしだいに彼の体を蝕んでいき、エッセイが掲載されてから約14カ月後の2015年3月9日、ポール ・カラニシは37年の生涯を閉じた。彼はエッセイのなかで執筆に触れているが、そのとき彼が書いていたのが、医師として、そして患者として死すべき定めに向き合った経験についての回想録である本書『いま、希望を語ろう(原題 When Breath Becomes Air)』であり、上記のエッセイも一部改変されて収められている。

彼の死後、2016年1月に本書が出版されると、驚異的な売り上げを記録し、有名紙誌で絶賛され、現在もベストセラーランキングの上位に居坐っている。Amazon.com には2016年10月現在、4500を超えるレビューがついているが、そのほとんどが5つ星であり、それらひとつひとつを読むだけで、人々の心がいかに揺 さぶられたかが伝わってくる。

本書のプロローグは、著者が一連のCT画像を見ている場面から始まる。彼の訓練された目は、腫瘍が肺全体に広がり、脊椎が変形し、肝臓の一様全体ががんに取って代わられているという所見を見逃すことはない。診断は明らかだった。全身に転移したがん。似たような画像ならこれまでにいくつも見てきたが、今回の症例はいつもとちがっていた。それは彼自身の画像だった。

「すべてを手にした男」という言葉は、36歳のポール・カラニシのためにあるはずだった。彼はもうすぐ研修を終え、脳神経外科の教授という夢の仕事を手に入れるはずだった。内科医の美しい妻ルーシーとのあいだに子供をもうけ、思い描いていたとおりの家庭生活を始めるはずだった。彼は書いている。「36歳にして、私は山の頂にたどり着いていた。......そこからは約束の地が見えた」でも今では、末期の病だけでなく、アイデンティティの危機にも直面していた。自分が医師として働いていた病院で、いきなり医師の立場から末期患者の立場へと突き落とされた、途方もない苦痛に満ちた瞬間を彼はこう描いている。

初対面の若い看護師が顔をのぞかせた。
「もうすぐ先生がいらっしゃいます」
その言葉とともに、私が思い描いていた未来が、あと少しで実現するところだった未来が、長年の努力の集大成が消滅した。

こうして締めくくられたプロローグの続きは、本書の後半、第二部に書かれている。でもその前にまずは第一部で、私たちは病気になる前の彼の人生を辿ることになる。

アリゾナ州の小さな町キングマンでの少年時代を経て、スタンフォード大学で英文学の学士号と修士号、そしてヒト生物学の学士号を取得し、ケンブリッジ大学で医学の歴史と哲学を学んだあと、イェール大学メディカル・スクールでの医学生時代を経て、志の高い脳神経外科のレジデントであるポールへと続く旅だ。 

医師の父を持ちながらも、文学に魅せられ、医師にはならないと思っていた青年がなぜ、医師を志すようになり、最終的に、医学の分野のなかでも最も過酷といっていい脳神経外科にたどり着いたのか。そこには、死について理解したいという彼の一貫した欲求があった。彼は思う。脳神経外科という分野こそが人生の意味と死への最も直接的な対峙をもたらすにちがいない、と。そして実際にレジデントとなった彼を待っていたのは、想像を絶するほど過酷な日々だった。

第一部は、ナイーブな文学青年が脳神経外科医となり、さまざまな患者との出会いをとおして、医師として、人間として成長する物語であり、理想と現実、患者への共感と医師としての客観とのあいだで揺れ動く心理や、人生の意味についての考察が、著者らしい言葉で丁寧に語られる。さまざまなエピソードを交えながら臨場感たっぷりに描かれる医学実習や脳神経外科の研修生活は、それだけでひとつの読み物としての魅力をそなえている。

第二部はがんの診断から治療、仕事への復帰、がんの再燃、そして、父親となるまでが綴られている。

末期がんを患っていることが判明してしばらくのあいだは、残された時間がわからないという不確かさが彼を無気力し、何をしようとしても、死の影がその意味を覆い隠しているように感じられた。でもやがて彼は、死を待つのはやめにして、生きることに集中しようと決意する。 妻と話し合って子供を持つことに決め、懸命なリハビリを続けて仕事に復帰する。幸いなことに、分子標的治療が功を奏して体力も回復し、やがて全盛期と同じスピードで手術ができるようになり、長期生存を夢見はじめたころに待っていたのは、がんの再燃という残酷な現実だった。しかし、彼が歩みを止めることはなかった。事実を静かに受け容れ、家族の愛に包まれながら、最期まで歩きつづける。「カメのようにとぼとぼ」。でも、確かな足跡を残して。

著者は本書を完成させる前にこの世を去った。しかし、妻のルーシーが彼からバトンを受け取り、この上もなく美しいエピローグを書いて、本書を完成させている。エピローグには彼の最後の数日と、緩和ケアへの移行、そして死について書かれているとともに、著者の人となりや、家族との関係、そしてなによりも、生まれたばかりの娘と過ごしたかけがえのない時間について、彼を支え、励まし、ともに闘い、泣いた妻の視点から情感豊かに語られる。著者の魅力や人間味が余すところなく伝わってくるこのエピローグを最初にお読みになることも、ぜひお勧めしたいと思う。

この本を初めて読んだときの胸の震えが忘れられない。読んでいるといつのまにか涙があふれてきた。先が気になってページを繰る手が止まらなかったのだが、それと同時に、ページの残りが少なくなるのが残念で、最後には、親しい友人を失ったような気がした。とはいえ、本書はけっして感傷的には書かれていない。著者はそのときどきの自分の心を客観的に見つめて、どこまでも率直に言葉に表している。患者としての自分の心の動きを、医師としての彼と、そして哲学的思考の持ち主である彼が記録しているのだ。それは深い洞察に満ちた、ときに詩的で美しい言葉であり、そのひとつひとつが読む者の心を打つ。

仕事でお馴染みだった死が、今では私のもとへ個別に訪れていた。私は今、ついに死と正面から向き合っていたが、それのどこにも見覚えはなかった。私は交差点に立っていた。長年のあいだ自分が治療してきた数え切れないほどの患者の足跡が、そこから見えるはずだった。それを辿っていけばいいはずだった。だがまるで、見覚えのある足跡を砂嵐が残らず消してしまったかのように、見えるのはただ、なんの道しるべもない、荒涼とした、ぎらぎら光る白い砂漠だけだった。

でもやがて、彼はこの交差点から歩きだす。それは簡単なことではなかったのだが、その際に彼の導き手となってくれた人がいた。主治医で腫瘍医のエマだ。ここでは、エマについて触れたいと思う。

本書を訳しながら、私たちのアイデンティティとは、この先も長く生きられるという見通しとどれほど密接に結びついているのかを痛感させられた。そうした見通しが突然なくなったとき、おまけに、自分にあと何年、何カ月、残されているかわからくなってしまっとき、彼はアイデンティティの危機に陥った。「一日一日を大切に過ごせばいいのだということはわかっていても......その一日をどう過ごせばいいのだ?」そんなとき、彼を導いてくれたのがエマだった。エマは統計学的数値には絶対に触れようとせず、そのかわりに、手術なんてもう二度とできないと思っていた彼に、手術をすることも可能なんだと、自分にとって何がいちばん大切か見つけなければならないと繰り返し言ってくれた。彼は書いている。「エマは私にかつてのアイデンティティを取り戻してくれたわけではなかった。新しいアイデンティティをつくり出す能力を守ってくれたのだ」そうしたエマの姿勢は、末期の病を患い、道に迷っている患者と医師のかかわり方について多くを教えてくれる。

「末期がんというのは、死を理解したいと願いつづけてきた若者にとっての完璧な贈り物ではないのか?」著者は自らの運命について、皮肉めかしてそう書いている。でも、彼が自己憐憫に陥ることはなかった。自分に突きつけられた死を、目をそらすことなく吟味し、死と格闘し、 そして、死を受け容れた。病気のそれぞれの段階で目標を変えながら、最期まで希望を(まちがいなく希望と呼べるものを)持って、精いっぱい生きた。痛みと闘いながら手術をこなし、がんが進行して手術ができなくなると、今度はこの本の執筆に集中した。まさしく、残されたエネルギーの最後の一滴を絞って、本書は書かれたのだ。正直、読みながら何度も、そんなにがんばらなくても......と声をかけたくなった。でも彼にとって、「奮闘しない命を描くことは、縞模様のない虎を描くのと同じ」であり、「最も楽な死が必ずしも最良の死では」なかった。思うに、奮闘することは彼にとって、自分の生き方を貫くことであり、人生の物語の著者でありつづけることだったのだろう。

本書は娘ケイディに捧げられている。子供を持つかどうか、夫婦はずいぶん迷った。夫は妻を気遣い、妻は夫を気遣った。子供と別れなければならないせいで、死ぬのがもっと辛くなるのでは? という妻の心配に対して、著者はこう答える。「だとしたら、すばらしいじゃないか」著者らしい言葉である。ケイディが生まれたのは、著者が化学療法の副作用で体調を崩して入院したあと、退院して数日が経ったときのことだった。骨と皮ばかりの体で生まれたばかりの赤ん坊を抱いたときの喜びがどれほどのものだったか。衰えゆく自分のそばで、毎日すくすくと育っていく娘の姿が、彼にどれほどの喜びを与えたか。この本を残すことで、娘がいずれ自分という人間を知ってくれるという思いとともに、彼は残りの日々を過ごすことができた。そして第二部の最後は、著者から娘に宛てた感動的なメッセージで締めくくられている。それが、ポール・カラニシがこの世に残した最後の言葉となった。

ルーシーが記しているとおり、彼は人々に死を理解してほしいと、そして、自らの死すべき定めに向き合ってほしいと願って本書を書いた。第二部の冒頭には、モンテーニュの『エセー』からの引用──人に死ぬことを教えることは生きることを教えることであろう──があるが、彼はまさしく、死にゆく自分について書くことで、私たちに生きることを教えてくれたのだ。そして、最期まで希望を持って人生を完結させることは可能なのだ、と。ひとりでも多くの方が、彼から特別なメッセージを受け取ってくれることを願う。

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