『ヒットの崩壊』聴取から体験へという大変化

2017年1月14日 印刷向け表示
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ヒットの崩壊 (講談社現代新書)

作者:柴 那典
出版社:講談社
発売日:2016-11-16
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ラジオ局のプログラムには音楽番組が欠かせない。「電リク」という言葉を最近は知らない人も増えたが、電話でリクエストを受け付ける番組が各局で当たり前のようにオンエアされていた時代があったし、ヒットチャートを紹介する番組はいまも健在だ。

僕自身もそういった音楽番組の制作に携わったことがある。あれはたぶん2000年前後くらいだったと思うが、ちょっとした異変を感じるようになった。電話オペレーターが全員女子大生アルバイトという番組を担当していたのだが、リスナーからのリクエスト曲を聞き取る際、彼女たちが曲名を知らないというケースが増えてきたのである。

リスナーからの電話を受けると、彼女たちはラジオネームや番組へのメッセージ、リクエスト曲のタイトルなどを聞き取ってシートに記入する。それがディレクターのもとに回ってくるのだが、そこにギョッとするような曲名が書かれているのである。

思い出すといまでも動揺を禁じえない迷作を挙げると、たとえば「覚せい剤の喫茶店」というのがあった(もちろん正しくはガロの「学生街の喫茶店」だ。たしかに喫茶店が取引現場になることもあるかもしれないが)。「白人は招くよ」も忘れ難い(これも正しくは「白銀は招くよ」。なんだか文脈によってはポリコレ的な炎上を招きそうでコワい)。

あまりにミスが頻発するので問い質してみたところ、知らない曲ばかりだという。だが決して彼女たちは音楽を聴かないわけではない。それぞれに大好きなアーティストもいるし、ライブにも足を運んでいる。つまり先行世代と聴取文化を共有していないだけなのだ。

一方、担当していた別のチャート番組では、また違った変化を感じていた。この手のチャート紹介番組では、チャートインした曲のおいしいところをカッコ良くつないだ素材(フラッシュという)をあらかじめ作っておくのだが、なんというかこの頃から音圧の高い曲が増えてきたのだ。昔の歌謡曲のノリでミキサーのフェーダーをあげているとVU計の針が振り切れてしまうような曲が多くなった。あまり専門的な話には立ち入らないが、メロディから音響へというか、シンプルから複雑化へというか、ヒット曲の音のつくりが明らかにそれまでとは変わったのである。

どうやらこの頃、リスナー側では聴取文化のある種の断絶が起きており(宮台真司が「社会の島宇宙化」と表現していたのを思い出す)、楽曲制作の側ではそれまでとは異質な曲づくりが行われるようになっていたようなのだ。

このように、仕事の現場でモヤモヤしたままになっていた疑問をすっきりと解消し、さらに何が問題なのかをクリアに解明してくれた素晴らしい一冊が、『ヒットの崩壊』柴那典(講談社現代新書)である。

紅白の出場歌手が発表されるときまって「年をとったせいか知らない歌手ばかりだよう」と嘆くおじさんやおばさんがいるが(注:我が家の会話ではない)、本書を読むと、歌手や曲名を知らないのは年齢のせいばかりではないことがわかる。なぜなら、もはやかつてのような「国民的ヒット曲」は生まれにくくなった(必要とされなくなった)からだ。

音楽を取り巻く環境にどのような構造変化が起きたか。本書では見事なまでに細大漏らさずそのポイントが押さえられているが、ここではもっとも大きな変化を挙げておこう。それは「聴取」から「体験」へという変化だ。

昨年だけでも、20周年を迎えたフジロックはじめ大小100以上もの音楽フェスが開催された。音楽はもはや聴くだけではなく、参加しその体験を共有しあうものへと変化した。もちろんフェスはロックだけにとどまらない。アニソンを歌うアーティストだけを集めたイベントで埼玉スーパーアリーナが3日間埋まるのもいまや見慣れた光景だし、テレビの音楽特番もフェスの要素を取り入れ大型化をたどる一方だ。

そういえばマドンナがワーナーとの関係を解消して世界最大の興行プロモーターのライブ・ネイションと1億2千万ドルという巨額の契約を結んだのが2007年のことだった。マドンナはその後、アルバムに関しては新たに別のレーベルと契約したけれど、その金額は3千万ドルと報じられている。つまりコンサートやグッズの販売などに比べ、アルバムが占める割合はわずか25%。マドンナはとっくに今の時代を予見していたのだ。

渡辺裕はかつて『聴衆の誕生 ポスト・モダンの音楽文化』(中公文庫)の中で、市民階級の勃興や消費文化の拡がりとともに近代的な聴衆が誕生したプロセスを描いてみせたが、いま起きているのは、この19世紀に勝るとも劣らない大変化ではないか。

音楽の受容形態が「聴取」から「体験」へと大きく変化したことで、コンテンツの創り手がより頭を悩ませるようになったのは、この「体験」の中身が極めて多様なことだろう。フェスで仲間たちと夜通し語らう「体験」もあれば、ソーシャルメディアで動画などを共有することで楽しむ「体験」もある。つまり何がきっかけになって、結果的にどんな「体験」がユーザーに刺さるかは誰にも予測できないのである。

ともあれ確実に言えるのは、主導権はいまやユーザーの側にあるということだ。メディアや一部の事務所の都合でヒットをゴリ押しできると思ったら大まちが……(まずい! 地雷を踏みそうになってるぞ! フェーダーを絞って、いったんここでCMです)

個人的な感覚に過ぎないかもしれないが、社会の変化がもっとも先駆けて現れるのが音楽の分野ではないかと感じている。だからこそ本書の汎用性は高い。ヒットの構造が変わったのは、音楽の分野だけではないはずだ。「物が売れない」と言われる時代だからこそ、広く読まれてほしい良書である。

聴衆の誕生 - ポスト・モダン時代の音楽文化 (中公文庫)

作者:渡辺 裕
出版社:中央公論新社
発売日:2012-02-23
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