『ささやかな知のロウソク ドーキンス自伝2 科学に捧げた半生』 訳者あとがき by 垂水 雄二

早川書房2017年02月25日 印刷向け表示
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ささやかな知のロウソク―ドーキンス自伝2―:科学に捧げた半生
作者:リチャード・ ドーキンス 翻訳:垂水 雄二
出版社:早川書房
発売日:2017-02-23
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このドーキンス自伝の第2巻は、精神の形成史を語った第1巻とはちがって、さまざまな活動を通 じて出会った人々との交友録が中心になっている。登場する絢爛豪華な顔ぶれとの交流を読みながら、 同世代の人間として、その住む世界のあまりの違いように圧倒される。

なによりも、英国を中心とした欧米には、現在でも「知的エリート社会」が厳然として存在するということを、いまさらながら思い知らされた。それは単に学者の世界だけの話ではなく、実業家、政治家、芸術家、宗教家、メディア関係者をすべて含む大きなサークルが形成されているのだ。「宮廷サロン」の伝統が今も生きているのだろう。

そうした伝統のなかで、すぐれた経営者がすぐれた教養人であることがわかる。ドーキンスに講座を寄付したチャールズ・シモニーを初めとして、ネイサン・ミアヴォルドやビル・ゲイツなどのIT界の大物たちの言動や、見識、知的好奇心は、彼らがまぎれもなく、すぐれた知識人・教養人であることを示している。それに引き比べて、日本における同業者たちは、もちろん例外はあるのだろうけれど、おしなべて、金儲け以外のことについての関心は薄いように感じられる。余談ながら、トランプ大統領以後の世界で、こうした社会が存続しうるのかどうか、少なからぬ不安はある。

世界のトップクラスの有名人がつぎつぎとドーキンスの人生と交錯するさまは、あまりにも眩しく、 クラクラしてしまう。途方もない自慢話を聞かされているようで、ウンザリする人がいるかもしれないが、少なくともドーキンスの愛読者にとっては、面白く読めるはずだ。随所に、著名人にまつわる、ちょっとどころではない、いい話が出てきて、腹を抱えたり、苦笑いしたり、あるいは涙腺を刺激されることになるのは請け合える。

とくに、終わりの方の章(「編み上げた本の糸をほぐす」)で、自らの著作と活動を通じて、「利己的な遺伝子」、「延長された表現型」、「ミーム」などのキー概念がどのようにして生まれ、発展していったか、種明かししているのは読み応えがある。ドーキンス風の表現をすれば、彼の脳内のミーム進化史と呼べるもので、彼の思考の過程を知るすぐれた手がかりを与えてくれる。

それぞれの著作にかかわるドーキンスの思い出は、翻訳者としての私の思い出と重なるところがあって、感慨深いのだが、全体を通じてもっとも強い印象を受けたのは、現在の(3番目の)妻、ララの献身ぶりである。単に夫に仕える妻というのではなく、いわば同志として、自らの世界をもちながら、ドーキンスの活動に協力している。ドーキンスの書き方のせいかもしれないが、先妻とその娘 (父親はドーキンス)ジュリエットとのあいだに深い友情を築き、先妻の最後を看取る姿から、彼女の温かい人格がおのずと伝わってくる。

* * *

この本には、編集者とのかかわりについて書かれた章(「出版社を得るものは恵みを得る」)があるので、それにならって、翻訳者としての私とドーキンスのかかわりについて簡単に述べておきたい。

研究者としての自分の能力に見切りを付けて、私は出版界に身を投じたのだが、最初に携わった仕事は小さな出版社での編集であった。そこでは、主として生物学関係の翻訳出版を手がけたが、なかでも動物行動学関係の書籍が多かった。ちょうど、コンラート・ローレンツ、ニコ・ティンバーゲン、 カール・フォン・フリッシュの3人がノーベル賞を受賞したこともあって、動物行動学が脚光を浴びていた時代だった。言うまでもないことだが、ドーキンスはこの動物行動学の後継者で、ティンバーゲンの弟子として、研究生活を始めている。

私は、ローレンツやティンバーゲンの著作の翻訳出版をいくつか手がけたのだが、そうした本の翻訳者として、当時東京農工大学の教授(のちに京大教授、滋賀県立大学学長などを歴任)だった日高 敏隆さん(あえて先生とは呼ばない)にお世話になった。ご存じのように日高さんは、ローレンツやデズモンド・モリスに始まり、ドーキンスに至るまで、つねに世界の動物学の最先端情報を日本に紹介してきた、すぐれた啓蒙家であった。私は日高さんの直接の弟子ではなく、あくまで編集者と著者の関係だったが、どういうわけか、気が合い、なにかと目をかけていただいた。私が最初の出版社を辞めたときには、次の出版社を紹介するという労をとってくださった。

その頃、編集者仲間から、翻訳を引き受けてくれないかという話がちょくちょくあり、編集稼業のかたわら、1年に1冊ほど翻訳の仕事を引き受けていた。しかしそれはあくまで、副業としてだった。

ところが、1990年代に、本書にも触れられているように、ドーキンスの『利己的な遺伝子』の増補版が出て、新たな2章が追加された。この本の最初の版の売れ行きがよかったので、版元としては、大急ぎで増補版を出したいという意向があり、日高さんがその追加の2章の翻訳者として私を推薦してくれたのだ。質はともかくスピードには自信があったので、引き受け、無事に出版に至った。 この本は、原著出版30周年記念にさらなる増補改訂を加えて刊行され、現在も、この分野のベストセラーの地位を保っている。

この本の翻訳者の一人に付け加えていただいたおかげで、翻訳者としての知名度が一気に上がり、 ありがたいことに、その後のドーキンスの著作の翻訳の多くが私のところにまわってくるようになった。それ以外の翻訳の仕事の依頼も順調に続いたので、やがてフリーの翻訳者として、自立できるようになった。私が担当したドーキンス本は、『遺伝子の川』、『悪魔に仕える牧師』、『祖先の物語』、『神は妄想である』、『進化の存在証明』、『好奇心の赴くままに』、そして本書である。半分以上を訳していることになるが、私にとっては幸運だったが、読者にとっても幸運だったかどうかは保証の限りではない。

* * *

ドーキンスの文章は、非常に端正なものだと思うが、表現に工夫を凝らしているので、翻訳者には 手強いところがある。月並みな表現を潔しとしないため、ふつうの辞書には載っていないような単語や成句を使うことがよくある。それよりも厄介なのは、古典文学、詩歌、聖書からの引用が頻繁になされ、時には、なんの注記もなしに地の文に紛れ込んでいるときがある。翻訳者は教養を問われることになり、その典拠を探すのに追われるのだ。

インターネットが普及する以前には、最後に公共図書館に籠もって、そういう典拠探しに時間をかけたものだが、活字だけでの検索には限界がある。幸い、現在では、信じられないような検索能力をもつ Googleがあり、詩の一節でも容易に探しだすことができる。手間さえかければ、出典を見つけるのはむずかしくないというのは、翻訳者にとってはまことにありがたい。

また、出典がわかっても詩の翻訳はむずかしく、理科系の人間としてはたいへんな難事業である。 本書でも、最後を締めくくるドーキンス自身の二行連句は、見事な脚韻を踏んでいるのだが、訳者の力量では、それをふさわしい日本語に置き換えるのは不可能だった。読者の寛恕をたまわりたい。

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