『せいきの大問題 新股間若衆』 早く元気出して、あの笑顔を見せて

吉村 博光2017年06月15日 印刷向け表示
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せいきの大問題: 新股間若衆
作者:木下 直之
出版社:新潮社
発売日:2017-04-27
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公の場で「股間」という言葉を連呼するご無礼をお許しいただきたい。ただ何分、この本のテーマが「股間」なのだから仕方がない。できればレビューなど書かずにすませたかったのだが、面白かったのだから、これもまた(股?)仕方がない。著者は東大大学院教授で雑誌「芸術新潮」から生まれた本だから、最初は、私には難しすぎると思った。子供の図鑑のように図版だけ見ようと思っていた。ところが私は、一気読みしてしまったのである。

そこには、私が生来のダジャレ好きだというのも、大きく寄与している。本書の副題「新股間若衆」は、言うまでもなく「新古今和歌集」のもじりだ。馥郁たる芸術の香りを巧みにとりいれた、「本歌取り」ともいうべき効果を生んでいる。

最初にこの素敵なダジャレを目にしたとき、わが人生に大きな影を落とした、あるエピソードを想い出さずにはいられなかった。「新股間若衆」に対抗するわけではないが、薬師丸ひろ子のデビューアルバムは「古今集」という。当時、中学生だった私の仲間は、薬師丸派と原田(知世)派に分かれて、互いを口汚く罵り合っていた。

薬師丸派の領袖だった私に大きな痛手を与えたのが、偏差値の高い親友からの一言だった。「お前ら、股間集で元気を出してんじゃねぇ!」。そのアルバムには、竹内まりやが作った名曲「元気を出して」が収録されていたのである。私は今も、その時の心の痛みが忘れられない。しかし、だからといって、アルバムの価値を損なうものでは断じてない。

あぁ、いくらなんでも、そろそろ本題に入らなければなるまい。ただ、このテーマでは、脱線しがちになることもご理解いただきたい。誰しも、股間にまつわるエピソードの一つや二つはあるに違いない。そうなのだ。だからこそ、本書は面白くてたまらないのである。読み始めると、思いもよらず、股し間た(来し方)を振り返ることになってしまうのである。本書の冒頭では、まず「股間若衆」とは何かを国語辞典風に説明している。

①またぐらの表現に意を凝らした男性裸体像。日本では絵画よりも彫刻にすぐれた作品が多い。その名に反して若くはない者もけっこういる。②この謎に取り組んだ木下直之が新潮社から平成24年に刊行した本のタイトル。フンドシ好きの一部読者から熱烈な支持を得た。(以後、略)  ~本書より

謎の多い説明文ではある。しかしこの文章は、本書のテイストと「股間若衆」とは何かを見事に表現していると私は思った。まず、股間若衆とは男性裸体像のことである。そして、そこには彫刻だけでなく絵画も含まれていて、フンドシと浅からぬ縁があるということもわかる。私は西洋的な彫刻のみをイメージしていたので少し混乱したが、この説明を読んで著者の術中にはまり、本文に突入することになったのである。

最初の章「帰ってきた股間若衆」は、これだけで実に面白い読み物だ。これを読めば誰しも、自分も「若衆」について語れる人間になりたい、と思うに違いない。著者は告白する。雑誌「芸術新潮」で“曖昧模っ糊りのままでも、とろけた股間のままでもいいから”と寄稿をはじめたところ、若衆たちが日陰から出てきたという。長崎に前橋にロンドンに、若衆は帰ってきた。そしてどうやら、東大文化資源学研究室にも居ついているらしい。

次の章は、全国のそんな若衆を写真で紹介した「股間風土記」だ。ここで大いに脱力できる。そして、本書の核心ともいえる次章「日本美術の下半身」へと読者は誘われる。若衆を好んでつくる彫刻家・古賀忠雄の聖地・佐賀を著者が訪れ、若衆を眺めながら、アンデルセン童話の『裸の王様』を思い出す。そして「王様は裸だったのか」と疑問を持ち、古書店を回って『裸の王様』を買い集める。果たして、真相は──?

そしてついに話は、「せいきの大問題」、黒田清輝の腰巻事件に及ぶ。この事件は、黒田がパリから持ち帰った、裸体婦人像を展示したところ、猥褻であるという理由で警察が介入し、下半身部分が布で隠されたという日本美術史上名高い「世紀」の事件のことである。なお、本書によると黒田は「小さな考をして居る日本の小理屈先生方へ見せて一と笑ひ仕度候」と思ったそうだから、確信犯だったようである。

じつは私も、確信犯である。若衆を日陰から出したい。そう意気込んで、このレビューを書いている。黒田同様「小さな考をして、若衆に後ろ指をさして居る人」にわかってもらいたいのだ。「股間は文化」なのである。ローファー衆による「不倫は文化」よりも歴史は断然古く、しかも、若衆は基本的に裸足である。ぜひ、皆様には徹頭徹尾、誇りをもって本書を読んでもらいたい。

しかし、恥ずかしながら、私にはそれができなかった。はじめて本書を読んだ日、いきつけのカフェは混みあっていた。やむなく私は、キャリアウーマン風の女性とPTAの風紀委員的な年配の女性の間に座ることになった。表紙にイチジクの葉をまとった立派な若衆の絵があしらわれているのを知っていた私は、席を立つときは裏返そうと決めていた。

しかし、私がトイレから戻ったその時、テーブルの上に露出されているこの本の裏表紙を見て、私は愕然とした。「交わる男女の交接点が描かれた春画」が、そこにあったのである。一人だと思っていた風紀委員さんの向かいには仲間の女性が鎮座し、眉をひそめてこちらを見ていた。イヤらしいものに立ち向かおうとする殺気は、隣のキャリアウーマンにも伝播し、私はたちまち居場所を失った。とっさに本を隠したが、イラだちは隠せず、私は轟然と立ち上がった。

そして、何も語らず、次の店に向かうことにした。その時、私の脳内に流れたのが「早く元気出して、あの笑顔を見せて」という、古今集の薬師丸ひろ子の優しい歌声だったのである。そうだ、これは芸術の本なのだ。「股間は文化」だ。私は笑顔を取り戻し、その後は若衆のように堂々と、胸を張って読了することができた。

順番が逆になってしまったが、フンドシ好きに大評判だったという前作『股間若衆 男の裸は芸術か』を読むのが今は楽しみだ。前作の読者を意識したのか、『新股間若衆』も「ゆるふん」や「見せフン」などのフンドシネタに多くのページが割かれている。そこを読んで私は、卓球部の頃に流行った“あるサーブ”のことを思い出した。・・・もういいよ!また、脱線かい!
お後がよろしいようで。

股間若衆―男の裸は芸術か
作者:木下 直之
出版社:新潮社
発売日:2012-03-01
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