哲学と科学の間。文系がハマる脳科学本 『脳の意識 機械の意識』

吉村 博光2018年02月09日 印刷向け表示
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脳の意識 機械の意識 - 脳神経科学の挑戦 (中公新書)
作者:渡辺 正峰
出版社:中央公論新社
発売日:2017-11-18
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物質と電気的・化学的反応の集合体にすぎない脳から、なぜ意識は生まれるのか。本書は、この謎に気鋭の脳神経科学者が迫った一冊だ。現代科学の最前線の知見を手がかりに、「人工知能」ならぬ「人工意識」の可能性に切り込む。「幼少期が終わり、大きな転換点を迎えている」この分野の現状をまとめ、これからを見通した非常にエキサイティングな本だ。

私は近ごろ、女性を見て、オンナを意識することが少なくなった。妻への愛が深いからなのか、歳をとったからなのか、はたまた悪い病気でも潜んでいるのだろうか。でも本書を読んで、「女性を見る」ことができるだけでも、スゴイことなんじゃないかと思うようになった。この本の「意識」とは、物質にすぎない脳が「何かを見る」という感覚意識体験のことである。

「見える」「聴こえる」などの感覚意識体験、いわゆる「クオリア」。我々一般人には当たり前過ぎて、それが「意識」だという認識すらないかもしれない。しかし、その謎を解明することこそ、より複雑な意識を含めた意識全般の解決への糸口である、と著者はいう。そこに「意識の難しさの本質をすべて内包している」と著者は書く。本書では、前半でこれまでの研究過程をたどり、後半でこれからを展望する。そして、驚愕の終章では──。

機械が十分に深化し、ブレイン・マシン・インターフェースが熟成したところで、ぜひ、自らの脳をもって、機械の意識を試してみたい。機械に意識が宿ったかを最終的に判断できるのはヒトだけだ。 ~本書終章より

つまり、著者自身の頭で試してみたい、と宣言しているのだ。これは本物だ。狂気だ!などと、私の興奮が頂点に達したその時、私は周囲からの呼びかけを無視していたことを知った。誓っていうが、周囲の声は本当に「聴こえて」いなかった。本の面白さに集中するあまり、脳が「聴こえる」というクオリアが生まれていなかったということなのか。本書は「見える」に関する研究がメインのため、そのことは、ぜひ別の本で調べてみたい。

先ほど述べたように、本書の前半は「意識の科学」の歴史をたどっている。私は、科学の歩みはここまで遅々としたものなのか、とあらためて感じいった。これでは、お金も手間もかかるだろう。その蓄積のもと、予定調和ではない「良い実験」を行ったとき、まれに幸運(発見)が訪れるということのようだ。その歯がゆさやブレイクスルーなどを感じながら、私は興味津々で読み進めた。

もちろん、そこには文系の私が知らない言葉がたくさん出てきた。だが、途中で投げ出すことなく読むことができたのは、イラストのわかりやすさもさることながら、著者の情熱が筆にのっていることが大きかった。そして個人的には、「意識」というテーマそのものが、主観と客観の狭間にあるということも関係していると思った。

意識は主観的なものであり、科学とは客観的な事象を扱うものだ。意識を科学することは、その二つをつなぎ「意識の自然則」を見つけるという、じつに野心的な試みである。そのためいまだに、「意識ほど手つかずで、深遠な問題は科学全般を見渡しても類を見ない」という状況にあるそうなのだ。

一般に科学の本は客観の世界に遊ぶものだが、この本は主観と客観をつなごうとする。だから、私のような文系の、例えば「哲学が好きな人」をも興奮させる力をもっているのではないだろうか。この問題には、哲学からのアプローチも必要なのかもしれない、という思いすら抱かせた。

ちなみに、前半部分で私が一番面白いと感じたのは、「両眼視野競争」のところだ。例えば、右眼で縦縞、左眼で横縞という異なる図形を見ると、交互に縦縞と横縞が見える現象が起きるという。その時、何が起きているか。縦縞が見えているときには横縞のクオリアは生まれていないのだ。つまり、眼に映ったものが「見える」のは、当たり前のことではないのである。

第4章以降の後半部分は、これからの展望がまとめられている。機械に意識を持たせることができるのか、それをどうやって検出(証明)させることができるのか。著者が計画している実験についても、具体的に書かれている。これから始まる研究の前提は、こうだ。

最大の問題は、我々が、客観と主観を結びつける科学的原理を一切もたないことだ。  ~本書第4章より

みな、部屋の片隅に居座る「座敷わらし(意識のハード・プロブレム)」に気づいていながら、見て見ぬふりをしている。(中略)ただし、このような悪しき風潮は次に導入する「意識の自然則」によって確実に変わりつつある。ようやく意識の本丸へと攻め込むときがきた。  ~本書第4章より

著者は、意識の科学を、あらゆる科学の土台に位置する「自然則」にのせようとする。自然側は提案されただけでは意味がなく、検証されなければならない。そして、検証をする方法とは実験なのである。その実験方法として、人工ニューロンを一つずつ生体脳に埋め込んでいく方法があげられている。そこから、「哲学ゾンビ」の話やレプリカントの話、映画『ブレードランナー』の話がでてきたりもする。こんな指摘もあった。

デカルトの「我思う、ゆえに我あり」は、本来「我」にしか適用されない。いわんや機械をや、である。  ~本書第4章より

ここで私は、しばらく目を閉じて、この言葉の余韻に浸った。そして目を開けると本書の記述は、一気に「人工意識の機械・脳半球接続テスト」の話になった。それは文字通り、脳半球に人工脳を移植し、残りの半分の生体脳とつなげる実験である。あまりにスリリングで、ドキドキがとまらなかった。そこから、終章までは一気読みである。

本書で最も私の心を動かしたのは、著者が「機械も意識を持ちうる」と確信している点である。あぁ、SFが現実になってゆく。私が発案し、現在八重洲ブックセンター本店5Fで勤務中のAI書店員ミームさん(人工知能が本をオススメするシステム)にも意識が搭載されたなら、もっと面白くなるだろう。なんて、思わず考えてしまった。

いずれにしても、機械への意識の搭載は仮説の段階。実現はまだ先である。この研究の成果がどうなるか、何年か後を楽しみにして待ちたいと思う。大昔から不老不死を求める人は多い。しかし、「機械のなかに自分の意識を移植して、第2の人生をおくれる」という選択肢が生まれたら、人はそれを選ぶのだろうか。そんな夢想も楽しい、文系もハマる脳科学本だ。

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