『全電源喪失の記憶 証言・福島第1原発 日本の命運を賭けた5日間』あのとき何があったのか 文庫解説 by 池上 彰

新潮文庫2018年03月10日 印刷向け表示
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あの日、自分はどこで何をしていたのか。みんなが語ることができる。それぞれの国の国民には、そんな共通の大事件や大ニュースがあるものです。

かつてアメリカでは、それはジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件でした。その後、2001年9月11日の同時多発テロになりました。

いま日本で共通の記憶は、2011年3月11日でしょう。東日本大震災の発生のとき、どこにいて、何をしていたのか。北海道や九州・沖縄の人にとってはテレビニュースで津波が押し寄せる映像を見たときの記憶が、いまも鮮明でしょう。

東日本では、いつ止むともわからない絶望的な長時間の揺れに脅えた時間だったことでしょう。
私はあの日、成田空港に着陸態勢に入っていた全日空機の中でした。アメリカ・ワシントンでの取材が終わって帰国するところだったのです。いったん着陸態勢に入ったものの、機は上空で周回を始めました。「大きな地震が発生し、空港が閉鎖になりましたので、しばらく上空で待機します」という機内アナウンスが流れます。

やがて、「目的地を変更して羽田空港に着陸します」とのこと。着陸した後、滑走路を出たところで待機。その間に機体が何度も大きく揺れます。余震でした。

やがて羽田空港を出ても、東京都内は大渋滞。混乱の中に巻き込まれました。

あのとき、福島の東京電力福島第1原子力発電所では、こんな人間ドラマが展開されていたのです。

実は当時の私は、数多くのテレビ出演に疲れ、3月いっぱいでレギュラー番組を全て降りると決めていました。そこに、この大地震。ジャーナリストとして、「では、さようなら」とはいきません。辞めるタイミングを逃してしまいました。

さらにテレビに出て来る専門家の解説を聞いているうちに居たたまれない思いに駆られます。原子力の専門家たちの言葉には専門用語が溢れるのですが、聞き手のキャスター、アナウンサーたちは、専門用語の意味を聞き返したり、わかりやすく言い換えたりすることなく、聞き流すだけ。「これではテレビの前の視聴者にはわからないよ」とひとりでテレビに突っ込みを入れるばかりでした。

私たちの世代が学校で習ったときの放射線の単位はキュリーでした。それが、いつの間にかベクレルやシーベルトという単位に変わっていました。

さらに格納容器に建屋という聞き慣れない言葉。免震重要棟やオフサイトセンター。初めて聞いた人が多かったはずです。

当時、視聴者は二重の不安を抱えていました。ひとつは、政府や原子力安全・保安院、東京電力の記者会見での内容が意味不明だったり、内容が薄かったり、相互の意思疎通ができていなかったりしたことです。いったい何が起きているのかわからないと、国民は不安になります。

二番目に、テレビで話す専門家の話の内容が理解できなかったことです。人は、理解できないと一層不安になるものです。

この本を読むと、当時は政府も原子力安全・保安院も、東京電力本店も、現場で何が起きているか把握できていなかったことがわかります。原子力の専門家だと思っていた原子力安全・保安院の院長が東京大学経済学部の卒業で、原子力の専門家ではなかったという描写には愕然とします。原発事故まで、日本の原子力行政は、こんなものだったのです。

あの事故から既に7年。どんな事故だったのか詳しくわからない若者も増えてきています。そこで、事故の経緯を簡単に振り返っておきましょう。

東北地方太平洋沖地震による被害の総体を東日本大震災と呼びます。最初の地震で、東京電力福島第1原子力発電所に電気を送る送電線が破壊されます。東京電力の発電所ですが、福島県は東北電力の管内。東北電力の送電線が破壊されたのです。

こういうときに備えて、原子力発電所には自家発電装置が備えられています。停電と同時に自家発電装置が起動します。

一方、原子力発電所の原子炉は、大地震の揺れを受けて運転を停止します。ここまでは順調でした。しかし、想定外の事態が起きます。地震で発生した大津波が防潮堤を越え、原発の敷地内に流れ込んだのです。濁流は原子炉建屋の中まで浸入。自家発電装置が水に浸(つ)かり、運転を停止します。

事故の後になって、大津波が防潮堤を越える危険性が指摘されていたことが判明しますが、東京電力は、そこまでの対策を取っていませんでした。「想定外」という言葉がしきりに発せられました。

さらに自家発電装置が地下に設置されていたことが、被害を食い止めることができない原因となりました。たとえ津波の濁流が敷地内に入ってきても、自家発電装置が高い場所に設置してあれば、全電源喪失には至らなかったでしょう。

電源を喪失したことで、原子炉内を冷却水が循環しなくなります。運転を停止しても、燃料棒は高熱を発しています。冷却し続けなくてはならないのですが、それが不可能になります。原子炉内に留まった水は高熱により沸騰。水蒸気となったために原子炉内の水量が減少。燃料棒はむき出しとなり、燃料棒を覆っているジルコニウム合金が高熱で溶けます。ここから水素が発生。水素が建屋内に充満し、酸素と触れて爆発。水素爆発です。これで建屋の屋根が吹き飛びました。
水素爆発の映像は福島中央テレビだけが放送しました。これが後に「他の放送局はパニックを防ぐために映像を使わなかったのではないか」という推測を呼ぶことになります。実際は、NHKも含め各放送局が原発を常に映し出すカメラを設置していましたが、最初の大地震でカメラが傾いたりして、原発を撮影できなくなっていたのです。

福島中央テレビは日本テレビ系列の地方局。爆発の映像は日本テレビ系列のネットワーク(NNN)によって全国に伝わりました。

このとき東京電力本店や政府は炉心溶融(メルトダウン)という言葉を頑として使おうとはしませんでしたが、実際には現場でこの言葉が飛び交っていたことがわかります。

当時、菅直人総理は、周囲の制止を振り切ってヘリコプターで現地に乗り込みます。このときの言動が、その後大きな問題になりますが、実際にはどんなやりとりがあったのかも、この書で明らかになります。指揮官はどうあるべきなのか。彼の言動から学べることもまた多いでしょう。
これ以降の経緯は本書の記述に譲りましょう。現場にいた人たちは、東日本が壊滅する事態すら覚悟していたことがわかります。共同通信の記者たちの綿密な取材によって、あのとき、現場で何が起きていたかが見事に再現されます。

事故の後、吉田所長は、政府による「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の聴取に応じますが、内容は非公開にするように依頼。内容はわからないままでした。
しかし、吉田所長が死去した翌年、朝日新聞が、吉田所長の「聴取結果書」(通称「吉田調書」)の内容を、「福島第1の所員、命令違反し撤退、吉田調書で判明」などと特ダネとして報じます。

しかし、共同通信など他の報道機関の報道により、この記述は事実と異なることを朝日新聞が認め、社長の謝罪に追い込まれます。

あのとき、実際はどのようなやりとりがあったのか。本書により、そのときの微妙なニュアンスも含めて明らかになります。これぞ調査報道の真骨頂でしょう。

本書の優れた点は、そればかりではありません。暴走を始めた原子炉に立ち向かう勇敢な人々だけでなく、恐怖に立ちすくむ人、現場に行くと手を挙げられなかった人など、いずれも実名で記されていることです。

あのとき恐怖に竦んで何もできなかった。現場から立ち去ってしまった。己の行動を恥じて沈黙するのは、人間として当然のことでしょう。それでも、自分の名前が報じられることを容認した人たちがいるのです。彼らが、いかに深い悔悟の念に駆られているかが推測できます。と同時に、共同通信の記者たちが、取材相手の信頼を勝ち得ていたこともわかります。記者には重い口を開いたのです。現場で何もできなかったという自分の行動を告白する。これもまた、勇気ある姿勢なのではないでしょうか。

当時、海外のメディアからは現場に残った作業員たちを「フクシマ50(フィフティ)」と称える報道がありました。称えられるのは当然ですが、現場に残った作業員たちが家族に電話をしたり、遺書を書いたりする場面が描かれます。嗚咽が聞こえていたとも記されています。事情を知らない外部から称えられても、人間のこと。勇敢に振舞えるわけはありません。心が締め付けられます。

このシーンの描写を読んだ人の多くが、「もし自分があそこにいたら、どのような行動に出ていただろうか」と自問するに違いありません。本書の筆致は、取材した共同通信の記者ひとりひとりも、同じように自問していたことをうかがわせます。

2013年9月、アルゼンチンのブエノスアイレスで開かれたIOC総会で、東京へのオリンピック誘致を呼びかけた安倍晋三総理は、「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています」(総理官邸の和訳より)と演説しました。英語では「アンダーコントロール」と表現されました。

実際は、その後も汚染水は増え続けています。また、ある程度の除染をしたものの、その後の処理の方針が定まらない水がタンクにたまり続けています。「アンダーコントロール」にはなっていないのです。

2014年3月、私も原発の敷地内に入り、防護服を着て、廃炉作業を取材しました。放射性物質を体内に取り込まないように厳重に防護されたつなぎの服装で歩き回ると、あまりの暑さに驚きます。3月でこれでは、真夏に作業する人たちは、どんなことになるのか考えただけで、頭が下がりました。

事故のとき家族や故郷のことを考えて必死で対策に取り組んだ人たち。そして、その後を引き継いだ人たち。その人たちの記憶もまた、蓄積されつつあるのです。

あのとき何があったのか。現場の人たちは、どんな思いで事に当たったのか。その記憶を忘れることなく継承していく。そのために本書の役割は大きいのです。

作業は、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催時も続いているのです。

(平成30年1月、ジャーナリスト) 

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