暗闇という根源的未知に命を懸けた大探検記『極夜行』

仲野 徹2018年03月27日 印刷向け表示
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極夜行
作者:角幡 唯介
出版社:文藝春秋
発売日:2018-02-09
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人生には勝負を懸けた旅をしなければならない時がある。

探検家・角幡唯介が、「そのときまでに得られた思考や認識をすべて注ぎ込み、それまでの自分自身を旅というかたちで問う」た大探検記である。

準備に四年をかけ、四ヶ月以上の間、真冬の北極圏を一人で歩く探検。それは極夜の暗闇の中である。極夜、聞き慣れない言葉であるが、白夜の逆といえばわかりやすい。太陽が顔を出さない暗闇の中を行こうというのである。

地味といえば地味である。なにしろ暗闇だ。探検記とはいえ、ビジュアル的に面白くなさそうだ。じつは、本を読む前にはそう思っていた。しかし、読み進めるにつれ、それは、延々と続く暗闇というものをイメージできていなかったがための誤解であったことを思い知らされていく。

角幡によると、未知には表面的未知と根源的未知がある。たとえば現代における未踏峰の登頂は表面的未知だという。登山という行為が確立されたジャンルであること、そして、未踏峰とはいえ、その周辺はすべて既知に取り囲まれていること、がその理由である。確かにそうだ。それに対して、次の理由から、極夜を一人で行くのは根源的な未知であるという。

その行為をとりまく全体状況そのもの、世界そのものが未知であることをいう。自然環境も状況も方法論も洞察の対象もすべてが開かれていない、その位相空間そのものが未知な場合だ。つまり私たちが普段暮らしているシステムの外側にある世界。

そのような「人間社会のシステムの外側に出る活動」に自らを置く「勝負を懸けた旅」の全記録である。面白くないはずがない。

GPSを持たずに行くというのも、人現社会のシステムから抜け出るためだ。角幡のナビゲーションシステムは、コンパスと天測-月と星の動き-のみである。正確な天測をおこなうには六分儀が必要で、命綱ともいうべききわめて大事な道具なので、特別に開発してもらって持参した。しかし、なんと、旅の序盤にあった猛烈な嵐で失ってしまう。以後、頼りになるのは地図とコンパス、そして、天体の目測のみである。予定以上に壮絶な状況を余儀なくされたのだ。

重い荷物を積んだ橇を二台引っ張っていく。助けになるのは愛犬・ウヤミリックだ。犬は、橇引きだけではなく、極夜の白熊対策としても絶対に必要なのである。それに、暗闇での孤独の中、話し相手、より正確には話しかける相手、としても重要な存在だ。

探検についての考察は、先に紹介した文章にもあるとおり、相当に哲学的だ。それに、角幡の思考は詩的でもある。考える時間はくさるほどある。見えるものは星ばかり。ベガは美しくも恐ろしい女王、カペラは政治権力者である男の王。そして、北極星=ポラリス神は「時間と空間を越えた天球の軸であり、生と死の無情を超越した永遠の存在であり、神なのであった。」など、頭の中で銀河絵物語が展開される。

闇によって視覚情報が奪われることで、己の存在基盤が揺るがされる感じ。普段の生活で無意識に享受しているがっちりとした揺るぎない世界から浮遊し、漂流している感じ。それらの感じから感じられる命の儚さや心もとなさ。ここにこそ極夜世界の本質はあるのかもしれない。

極夜では、距離の感覚も、地面が登っているのか下っているのかも、よくわからないという。人間社会のシステムの中で視覚がいかに重要な位置を占めているのか、我々は気づいていないのだろう。そんな中、月は別格の存在だ。極夜の中、視覚を支えるのは月とヘッドライトの光しかないのだから、当然である。その月の光に照らされ、楽園のように見える世界があった。しかし、みかけだけの楽園をさまよい、その現実の厳しさを体験し、大事な月にも毒づく。

月のやり口はまるで夜の店の女と同じだった。さらに具体的にいえば、私が十年前に通った群馬県太田市のクラブOのナンバーワン・キャストAと同じだった。

から始まり、えらく詳細に、いかに月が夜の女と似ているかが綴られる。この本が素晴らしく面白いのは、哲学的、詩的であると同時に、独特のユーモアあふれる内容が盛り込まれ、それらが三位一体になっているところだ。

いちばん笑えたのは、犬の人糞好きについてのくだりである。犬は人糞が好きらしい。もちろんウヤミリックも例外ではない。極寒の中、ホカホカの食べ物なのだから、出たての人糞は特に好物らしい。新鮮な人糞を食べさせようとした角幡は、ウヤミリックの前で糞をひいる。待ちきれないウヤミリックは角幡の菊門をめざし…。この話はここまででやめておく。

猛烈な嵐にあい六分儀をなくしながらも、地図とコンパスだけで、神業のようにデポ地-食料や燃料を前もって蓄えておいた場所-に到着する。その時、角幡は思った。「今回の俺は冴えている。」と。しかし、そこからは「極夜が俺を殺しにかかっている」としか思えない過酷な状況が待ち受けていた。探検とは、人間社会のシステムから脱するだけではなく、命を賭けた闘いに挑むということでもあるのだ。

犬は、橇引き、白熊番だけでなく、いざとなった時には食料にもなる。食料が尽きかけた時、角幡は、自分の糞をうれしそうに食べたウヤミリックをどうしたのか。そして、ラスト、村を出発してから78日目、四ヶ月ぶりに太陽を見た角幡は何を思ったか。それは読んでのお楽しみだ。

『空白の五マイル』以来、次々と快作をものにしてきた角幡だが、『極夜行』は文句なしの最高傑作だ。そして、角幡にとっての最高傑作であるだけではなく、現代の探検記としても最高の一冊であると断言したい。
 

角幡の本はどれも面白いが、開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞をトリプル受賞したこの一冊をあげておきたい。
 

地図のない場所で眠りたい (講談社文庫)
作者:高野 秀行
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早稲田大学・探検部の先輩である高野秀行との対談。角幡さんって、こんな人なんやぁ~感がわきでる一冊。
 

間違う力 (角川新書)
作者:高野 秀行
出版社:KADOKAWA
発売日:2018-03-09
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その高野秀行さんの十箇条からなる人生訓。いやぁ、勉強になりました。とはいえ、あんまり真似できそうにありませんけど。

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