海鮮寿司とは違います 『旅する江戸前鮨』

吉村 博光2018年06月09日 印刷向け表示
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旅する江戸前鮨 「すし匠」中澤圭二の挑戦
作者:一志 治夫
出版社:文藝春秋
発売日:2018-04-12
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月に数回、私は本屋さんに足を運び、本を数冊買い、そこから一冊を選んでご紹介させていただいている。今回は『旅する江戸前鮨』である。どのように書けば、本書の良さを引き出すことができるのか。料理の仕方を様々に考えながら、鮨をにぎる。いや、文章を書く。何度も読み返しているうちに、本は手になじんでいく。

本書の定義によると、新鮮な魚を単に酢飯の上にのせて出すのが「海鮮寿司」だ。それに対して、魚に塩をあて昆布じめにしたり、漬けにしたり、煮付けたりする。シャリに合うように魚を手当てするのが「江戸前鮨」である。これを読むまで、私はこの違いを知らなかった。そして読んだ瞬間、とある鮨屋で食べたコハダの美味しさが蘇り、思わず腰が浮いた。

「あ、あれだ!」というわけである。これまで私が食べたコハダとは、明らかな違いがあったのだ。それでずっと記憶に残っていたのだが「あぁ、あれは江戸前鮨だったんだ」と合点がいったのである。今度その店に行ったら、ハマグリや穴子も頼んでみよう。懐を温かくして、できれば「お決まり」でやってみたいものである。

▲四ツ谷「すし匠」時代の中澤の握り(コハダ)
写真:古市和義

本書は、多くの食通たちを心酔させてきた四ツ谷「すし匠」の中澤圭二が、53歳でハワイに進出し地元の魚をつかって一流の鮨を握った記録である。著者は『狂気の左サイドバック』など、読み応えあるノンフィクションを数多くものしてきた一志治夫。中澤の店に通いつめているから、面白くないわけがない。さて、どんな順で料理されてくるのだろう。

【目次】
第1章 江戸前鮨との邂逅
第2章 江戸時代から昭和・平成の江戸前鮨へ
第3章 進化し続ける鮨屋
第4章 ハワイの魚介を追いかけて
第5章 ワイキキで江戸前鮨を
第6章 秋田「新政」とノースショア「波花」
第7章 世界で一番の江戸前鮨をめざして

まず冒頭で、江戸前鮨や「すし匠」と自身との出会いにふれ、中澤の人となりや略歴を幼少期のエピソードを交えて紹介。そして、江戸前鮨の発祥と発展、凌ぎあう名店のワザと想いを綴る。そうやって下地を作ったうえで、第4章以降の「ハワイでの挑戦」を読者に堪能してもらうという塩梅だ。よく練られたコース料理のようである。

握り鮨を考案した華屋與兵衛の時代から、戦前戦後の鮨文化を経て、近年の展開までを浮き彫りにした前半部分。江戸前鮨という食文化そのものに、ふれることができる。ウニのイチゴ煮に関する、中澤の発言を紹介したい。

「青森には、ウニを煮込むイチゴ煮の文化があります。それはやはり、生より旨い食べ方があると気づいた人がいて、やり始めたと思うんです。ムラサキウニには、独特の磯味があるんです。バフンウニに比べるとそれが気になるけれども、火をちょっと通すことで磯味がとれて甘みに変わる。欠点がなくなって、長所になるわけです」 ~本書より

 

▲四ツ谷「すし匠」時代の中澤のいちご蒸し
写真:古市和義

この他にも、サヨリ、キス、クルマエビなどなど、ネタの手当ての仕方が次々に紹介され腹がグウグウ鳴る。さらに、獅子文六、池波正太郎、尾崎士郎、丹羽文雄、北大路魯山人の鮨に関する文章が、次々に出てきて、江戸前鮨の文化の奥深さを堪能できる。

だが本書の中心は、薀蓄じゃない。ドラマだ。本書には、成熟した文化(江戸前鮨)が異質なもの(ハワイ)と出会って新しいものが生まれるときのダイナミズムがある。ビジネスでいえば、イノベーションという言葉になるのかもしれない。その点について、触れていきたい。

▲すし匠ワイキキのカウンターに立つ中澤圭二
写真:熊谷晃

ハワイやアメリカの魚を使って、一流の鮨を握る──。こう書いてしまえば非常にシンプルにきこえる。しかし、魚の種類、流通の問題・・・本書を読むと、その困難さがわかる。いくつもの難題に、200年の歴史をもつ江戸前鮨の技法で果敢に挑む。それは、素材の魅力を見極め、それを極限まで引き出そうという素材と職人との究極の闘いである。その模様が綴られている。

ハワイに入って最初に出会った魚がこのモイで、以来、中澤は、この白身魚をいかに攻略するかを考え続けてきた。塩、昆布、酢、酒粕、味噌と日本の調味料や食材をあて、味の変化を何回となく試した。この繊細な白身魚の一番の味の引き出し方、食べ方を考え試すことは職人にとっては胸躍る作業だった。そしてたどり着いたのが、「赤シャリ麴漬け」だったのだ。 ~本書より

 

▲すし匠ワイキキのモイの握り(白板昆布のせ)
写真:熊谷晃

モイは、かつてハワイの王様にも献上されていた、現地の人々には欠かせぬ高級魚だという。赤シャリの麴に漬けられたモイが、麴を落としたあと薄く切られ、赤シャリと合体する。その上には、甘酢に漬けられた白板昆布がのせられている。

赤シャリ、モイ、白板昆布。酸味、甘味、旨味。口に入れ咀嚼を始めた瞬間に酒粕、酢、昆布の味、少し雑味あるシャリ、まろやかで優しい舌触りのモイが一体化し、混ざり合い、やがて溶け合う。まさにハワイの風土と江戸前鮨の合体である。 ~本書より

この握りは、中澤が海を渡ったことで生まれた料理だ。モイは、現地では蒸して食べることが多いそうだ。中澤の鮨を食べた現地の日本人カメラマンは「ハワイの魚をここまで生かすというのが驚き」と、思わず漏らしたという。この他にも、中澤流の「ポキ(ハワイ伝統の魚介料理)」や、椰子の新芽を刻んだシャリをつめた「イカの印籠詰め」のハワイ版などが生まれている。

かつて歴史学者ヨハン・ホイジンガは、その著書『ホモ・ルーデンス』の中で「遊びこそが人間活動の本質である」と指摘し「功利的行為が遊戯的行為を圧する近代社会」に警鐘を鳴らした。功利を離れた中澤の挑戦は、文化を創る力をもった「遊び」であり、その引き算の美学は人間活動の本質に迫るものだ。勝負にこだわってルールを破る大人たちのニュースが溢れる昨今、中澤の純粋さに学ぶものは多いと感じた。

画像提供:文藝春秋 

魚へん漢字講座 (新潮文庫)
作者:江戸家 魚八
出版社:新潮社
発売日:2004-08-28
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全くもってどうでも良いことだが、私には「3歳の頃には、寿司屋の湯呑で魚へんの漢字を覚えていた」という、親戚の間では有名な逸話がある。事の真偽は定かではない。それに対して、本書は鉄板面白さを誇るロングセラー商品だ。例えば「鱸」は何と読むのか?美味しい調理の仕方も紹介されており、読み応えも十分。『旅する江戸前鮨』との併読をお薦めしたい。

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