『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』 なぜ、ルネサンスが起きたのか?

村上 浩2012年12月12日 印刷向け表示
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一四一七年、その一冊がすべてを変えた
作者:スティーヴン グリーンブラット
出版社:柏書房
発売日:2012-11
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本書の主役である「すべてを変えた一冊」とは、地球が世界の中心ではないことを明らかにしたガリレオの『天文対話』でも、生命に進化という概念をもたらしたダーウィンの『種の起源』でもない。暗黒の中世に別れを告げ、大航海時代を迎えようとしていた1417年のヨーロッパで、その一冊は1人のブックハンターの手によって発見された。

その一冊とは、紀元前1世紀頃に著された『物の本質について』である。詩人であり、哲学者であったルクレティウスの手によるこの本は、古代ローマの同時代人にも受け入れられることなく、時の経過とともに忘れ去られていく。そのため、15世紀初めの頃には『物の本質について』は写本の一冊も見つけられない幻の書となっていた。この本が発見されなければ、ルネサンスの起こりはもっと遅れていたかもしれない。この本の価値に気づき、その内容を広めようとする人がいなければ、近代の姿は今とは大きく異なるものとなっていたかもしれない。

2012年のピュリッツァー賞を受賞した本書は、失われた『物の本質について』を探し求めるブックハンターの足跡を中心に物語られていく。そのハンターはどのようにしてこの本を発見したのか、『物の本質について』には何が書かれていたのか、そして、どのようにすべてを変えたのか。本書の物語は一冊の本を巡る冒険譚から、知の大転換点にまで広がりを見せる。

もちろん『物の本質について』は、その一冊だけですべてを変えたわけではない。どんな一冊にもそんな力はないだろう。しかし、この本がキリスト教的世界にどっぷり浸かっていた人々に、新たな世界を見せつけ、探究心を閉じ込めていた制約から逸脱するきっかけを与えたことは間違いない。アイザック・ニュートンも、レオナルド・ダ・ヴィンチも、この本が示した古代の自然哲学的思索に触れていた。その影響は科学者や芸術家にとどまらない。『君主論』のニッコロ・マキャベッリは、一冊丸ごと書き写した写本を残すほど、『物の本質について』を読み込んでいた。

ラテン語の散文詩である『物の本質について』の意味するところは、誕生から2000年が経過した現代の我々にとっては、驚くほど受け入れやすいものである。なぜならルクレティウスは、宇宙は無数の原子で構成され、神も造物主も存在しないと宣言しており、現代の科学的知見に符合する部分が多いからだ。彼はこの本で、快楽主義で知られるエピクロスの考えを広く伝えることを目指しており、禁欲的な自制を強要する宗教に疑義を呈している。この画期的なはずの一冊は大きな注目を集めることもなく、キリスト教が台頭するにつれて人々の記憶から消えていく。世界を変えるはずの一冊は、無職のブックハンター、ポッジョ・ブラッチョリーニに見つけられるまで、1000年以上もひっそりと息を潜めることとなる。

1380年イタリアに生まれたポッジョは、書記官としてローマ教皇に仕えていたが、あるきっかけでその職を失う。彼が次の職を探すでもなく始めたのが、ブックハントだ。14世紀中頃以降のイタリアでは、古代ローマやギリシア時代の失われた古典作品の発掘がブームとなっていた。とはいえ、グーテンベルク以前の時代にお目当ての本を探し出すことは容易ではない。なにしろ15世紀中頃、フィレンツェで最大のコレクションを誇っていた人文主義者の蔵書でさえ800冊程度であったというほどに、本の絶対数が少なかったのだ。この絶望的な状況で、ブックハンターたちがこぞって目指したのは、修道院である。議論すら禁止された敬虔な修道院の図書館に、多神教時代の活発な議論によって構築された古代が保存されていたというのは、なんとも皮肉な話だ。

ある修道院で『物の本質について』の写本を発見したとき、ポッジョはこの本が貴重な大発見であること、そして、この本の内容が世間に許容されるものではないことを理解していた。果たして、「人間を他のあらゆる動物から区別する理由もない」と訴えるこの本は、聖職者集団から学校で読むことを禁止され、終にはその流通も制限されてしまう。しかし、一度解き放たれた知の洪水を、誰にも止めることなどできはしない。『物の本質について』の思想はゆっくりと広まり続け、道徳により押さえつけられていた人々の好奇心を解き放った。そして、ルネサンスが起こり、すべては変わってしまった。本書には、その過程が詳細に描き出されている。

一冊の本はときに、本を読む前の自分と、読んだ後の自分が別人のように感じられるほどの体験を与えてくれる。『物の本質について』と出会った人々は、まさにそのような体験をし、写本や自著への引用などによってその体験を広めていった。本書には、知を追い求めずにはいられない、知を伝えずにはいられない人々の姿がある。エピクロスをルクレティウスが伝え、ルクレティウスをポッジョが伝え、そして、ルクレティウスとポッジョの邂逅を本書の著者グリーンブラッドが私たちに伝えてくれる。時間も空間も大きく離れた古代ローマで生まれた思考が、不思議なほど近くに感じられる。1000年後の人々は、現代の本に手を取っているだろうか。どのような本がすべてを変えたと考えているだろうか。我々は、どんな一冊を未来へ残せるだろうか。

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アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ (文春文庫)
作者:ジョー マーチャント
出版社:文藝春秋
発売日:2011-11-10
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2000年前に海の底に沈んだ古代の遺産が、100年前に偶然発見された。それは、どう考えても2000年前のギリシア人には作れそうもない複雑で、高度な機械だった。いつ、誰が、何のために、そしてどのようにしてこんなオーパーツを作り上げたのか、現代科学の粋を集めてその謎に挑む。文庫化されて入手しやすくなった。

成毛眞によるレビューはこちら

万有引力の法則を導き出し、現代の力学を作り出した、科学史上最も重要な一冊である『プリンピキア』を自らの手で辿るための一冊。大学一年生のときの物理学の授業で、その導出方法を習ったときはやけに感動したことを覚えている。

物の本質について (岩波文庫 青 605-1)
作者:ルクレーティウス
出版社:岩波書店
発売日:1961-08-25
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本書の主役である『物の本質について』は、日本語で読むことができる。50年も前にこの本を翻訳しているというのだから、日本の翻訳文化は本当に凄い。『一四一七、その一冊がすべてを変えた』を読み終えた後、どうしても読みたくなって購入したが、読み進めるのはなかなか骨が折れる。絶版なので、手元においておきたい人はお早めに。

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