『イノベーション・オブ・ライフ』 幸せのモノサシ

高村 和久2012年12月19日 印刷向け表示
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イノベーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ
作者:クレイトン・M・クリステンセン
出版社:翔泳社
発売日:2012-12-07
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本書の著者は、経営論で大変に有名なハーバードの先生だ。もちろん会ったことはないけれど、私にとっては、偉大な人である。著書『イノベーションのジレンマ』は、何十回、いやたぶん何百回も手に取った。卒業論文の題名にも入れてしまった。私だけではない。先輩は「英語の原著で読んだら、またちょっと趣が違った」と言った。ハリーポッターではない、経営学の本である。どれだけ情熱を注いだことか。もちろん経営戦略の授業では必修の内容だ。ゼミの先生が持っていた同じ本は、付箋でフサフサになっていた。私のは、お風呂で読んでカピカピだ。付箋でフサフサ、お風呂でカピカピ、中身の理解はボチボチだ(私は)。ゼミだけではない。液晶テレビがブラウン管を置き換えた時や、iPodやiPhoneがブームになった時、様々な場所で「イノベーションのジレンマ」が引き合いに出され、次に来るイノベーションは何だろうと語られたのだ。

そんなクリステンセン教授の最新刊が本書である。先日、ふとネットを見たら、早稲田ビジネススクールのディレクターの先生が激賞しているではないか。そして、みんなが「いいね!」「いいね!」と言っているではないか。一体、何が書かれているのだろう?

クリステンセン教授は、毎年、講座の最終日には「卒業後の人生について考える」という講義を行ってきた。黒板の一番上には授業で学んだ「理論」を書き出しておく。次に、その隣に3つの簡単な質問を書く。

● どうすれば幸せで成功するキャリアを歩めるだろう?

● どうすれば伴侶や家族、親族、親しい友人たちとの関係を、ゆるぎない幸せのよりどころにできるだろう?

● どうすれば誠実な人生を送り、罪人にならずにいられるだろう?

そして、ビジネススクールを卒業していく学生達が、これからの自分の人生について議論する。先生は自分の経験談を話す。そこに、問題意識がある。

ハーバード・ビジネススクールは5年毎に同窓会を開いている。なので、クリステンセン教授は、同級生の動向を定期的に見てきた。5年目の同窓会では、誰もが羽振りが良さそうに見え、どこから見ても、すばらしい人生を運命づけられているように思えた。ところが、10年後になると思いもよらないことが起こり始める。起業家として名をなしたり、大企業のトップに上り詰めようとしている一方で、明らかに不幸せな人達が多くなった。多くの人が仕事を楽しんでいなかった。不幸なプライベートの話も良く聞くようになった。その時は、まだ大した問題ではないと思っていた。同級生は皆とびきり優秀なだけではなく、実にまっとうな人たちだった。

25年目と30年目になると、問題は更にひどくなった。同級生の一人がスキャンダルで刑務所送りになったのだ。史上最年少でマッキンゼーのパートナーになり、その後、エンロンのCEOになっていた。報道されているような人間では断じてなかった。オックスフォードの同級生にも同じようなことが起こっていた。一人は、本になるほど大きなインサイダー取引の中心人物になった。もう一人は、選挙活動中に未成年に手を出して有罪になった。

もちろん、賞賛すべき私生活を送っている同級生もたくさんいる。上記はレアケースかもしれない。でも、今まさに旅を始めようとしている卒業生にとって、こうした問題がなぜ起きたのか、その原因について考察することは重要だ。

2010年の春、クリステンセン教授は、学生からのたっての希望で、卒業生全員に対してこの講義を行った。

化学療法の副作用で髪の毛がほとんど抜け落ちた状態で教壇に立ったわたしは、自分が濾胞性(ろほうせい)リンパ種という、わたしの父の命を奪ったガンに似た病気と診断されたことを説明した。
それから話したのは、人生で最も大切なこと、誰しもが、わたしのように命に関わる病気にかかった時だけでなく、つね日頃から考えなくてはいけないことだ。

本書は、この時の講義の内容を書籍化したものだ。目指すのは「答え」を与えることではない。本書が提供するのは「どう考えるべきか」だ。確かな理論には、個人を含む、ビジネスのあらゆる階層で起きることを説明する力がある。ビジネス本のコーナーだけに閉じ込めておくのはもったいない。

たとえば、第1部に書かれているキャリアについての話の中から挙げれば、モチベーションには「衛生要因」と「動機づけ要因」の2種類があるという。「少しでも欠けると不満につながる」という衛生要因は、どんなに改善しても仕事を好きにさせるものではない。「仕事に不満がある」の反対は、「仕事に満足している」ではなく、「仕事に不満がない」だ。報酬などが衛生要因に含まれる。逆に、やりがいを感じる「動機づけ要因」には、やりがいのある仕事、他者による評価、責任、自己成長などが含まれるという。古いことわざに、こんなものがある。

自分の愛することを仕事に選びなさい。そうすればあなたは一生のうち、一日も働く必要がなくなる。

「動機づけ要因」を満たすものを選び、仕事を愛せる人は、毎朝出社した瞬間から、はっきりと有利な立場にある。これ以外にも、第1部では、キャリアの創発的戦略と意図的戦略、自分という資源の配分方法等、興味深い「理論のレンズ」の数々が提供される。

また、第2部の家族・友人に関する話では、たとえば、「良い資本と悪い資本の理論」を用いて、家族・友人との時間がいかに重要かということが説明される。仕事に熱中して後回しにしていると、取り返しがつかないのだ。その理屈が、ホンダの「スーパーカブ」が全米に進出する話や、モトローラの「イリジウム」が失敗した話を例にとって説明される。これ以外にも、「片づけるべき用事」の理論を用いて「相手の意図を汲むことの重要性」が説明されたり、「資源(手段)、プロセス(方法)、優先事項(動機)」の能力モデルを用いて、子どもの教育方法が説明されたりする。クリステンセン先生自身、人生を振り返ってみると、両親が与えてくれた最もすばらしい贈り物の1つが、2人がしてくれたことよりも、「してくれなかったこと」にあると気づかされると言う。母親は、リーバイスのジーンズや靴下を自分で縫って直す方法だけを教えてくれた。

おかしなことだが、わたしはあの靴下がすり切れてはけなくなるまで、靴下を履くたびに、つま先の直したところを見て「ぼくが直したんだ」と思ったのだ。

これ以外にも、幸せな人生を送るための質問に関連して多くの理論が展開される。その1つ1つが具体的な事例をベースにしており、説得力のあるものだ。以前の著作から引用されている事例もあり、なんだか、勝手ながら、今までの集大成のように思えてくる。

本書の原題は、「How Will You Measure Your Life?」だ。クリステンセン教授は、病気で表現能力が不自由になった時期に「自分の目的」についてしみじみ考えた。その経験は、全く無駄にならなかったという。

あなたにも同じことが言える。じっくり時間をかけて人生の目的を考えれば、あとから振り返ったとき、それが人生で学んだ最も大切なことだったと必ず思うはずだ。

そして先生は、「自分の問題より人の問題を解決すること」に、ありったけの認知能力と身体的能力を費やしてみようと改めて決心した。共著者のカレンさんは、本書の内容に影響を受け、家族と過ごす時間を増やすために会社を辞めることにした。その日以来、自分の下した決断を、一度たりとも後悔していないという。私はと言えば、本書を読んで、いつかビジネススクールで聞いたコメントを思い出した。「偉くなるためにビジネススクールに来るのもいいが、私としては、人間的に大きくなってほしいと思う」。いつのことだったかは憶えていない。卒業して随分経った今、まだまだ道半ばだと思っている自分がいる。

本書は、クリステンセン先生は、幸せな家庭や人生は「スナップショット」ではなく「映画」だと考え、その筋書きについて考える。もし自分の人生を映画にするなら、何を大事にして作っていくだろうか?私の人生のものさしは、何だろう。本書を読んで、いろいろ思う事は多かったけれど、やっぱり一番印象的なのは、著者の思いや人柄が内容に滲み出ている部分であった。この本は、渾身の一冊だ。クリステンセン教授は、私の中で偉大な人だ。そして、今回も、偉大な人であり続けたのだ。

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