組織の中で、自分の発言が曲解されてしまうのではないかとか、それで足を引っ張られるのではないかと心配しだしたら、表立った発言は控えるようになり、裏で根回しするようになるのではないだろうか。
今回の東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の女性理事登用についての発言も、むしろそうしたありがちな状況を積極的に利用して会議を早く終わらせてしまおうという、いかにも日本的なものだったのではないかと思う。
こうした問題は、組織で働いたことがある人なら、多かれ少なかれ誰でも経験しているはずである。そうした何とも言えない嫌な空気から解放された組織を、「恐れのない組織(The Fearless Organization)」という分かりやすい言葉で示してくれたのが本書である。
本書は、『チームが機能するとはどういうことか』の著者で、2011年以来、経営思想家ランキング「Thinkers50」に選出され続けている、ハーバード・ビジネス・スクール教授のエイミー・エドモンドソンの最新刊である。グーグル、ピクサー、フォルクスワーゲンなど様々な事例研究を元に、対人関係の不安がいかに組織を蝕むか、そしてそれはどのように乗り越えられるのかを示している。
誰もが積極的に発言できる風通しの良い組織になるためには、その前提として「心理的安全性(psychological safety)」が必要である。本書ではこれを、「みんなが気兼ねなく意見を述べることができ、自分らしくいられる文化」と言っている。これは、単なる個人間の「信頼」とは違った、組織全体を貫く企業文化のことである。
ところが現実を見ると、2017年のアメリカのギャラップ調査では、「自分の意見は職場で価値を持っているか」というアンケート調査に対して、「非常にそう思う」と答えた従業員が10人中3人しかいなかった。逆に言えば、10人中7人は、自分の発言が組織で素直に受け取ってもらえるとは感じていないのである。
それではなぜ今、本書は「心理的安全性」の重要性を強調するのか。そのキーワードが「イノベーション」である。ヨーゼフ・シュンペーターは『経済発展の理論』の中で、イノベーションを「経済活動の中で生産手段や資源、労働力などをそれまでとは異なる仕方で新結合すること」と定義した。今ではこの「新結合」という言葉は余り使われず、日本では「技術革新」と訳されることが多いが、イノベーションの本質は、クレイトン・クリステンセンが『イノベーションのジレンマ』の中で語ったように、「一見、関係なさそうな事柄を結びつける思考」であり、もっと広い意味を持っているのである。
こうした定義からも分かるように、イノベーションというのは、異なる要素の組み合わせという多様性の上に築かれるものであり、通常ではあり得ないチャレンジが前提になっている。従って、必然的に多くの失敗の上に築かれるものであり、「心理的安全性」のない組織からはイノベーションは生まれてこないのである。
そうした意味で、「心理的安全性」というのは、イノベーションが起きるための十分条件ではないにしても、イノベーションには絶対に欠くことのできない必要条件なのである。
にも関わらず、普通の組織の中では「沈黙は金」である。本書の中でも、それは「沈黙していたために解雇された人は、これまで一人もいない」という言葉で表現されている。自分の経験に照らし合わせても、言い過ぎたために首になったり左遷された人は多く見てきたが、沈黙していて首になったというのは見たことがない。
他方、経営サイドから見れば、「CEOとして最も恐れるのは、社員が真実を話そうとしないこと」(イーストマン・ケミカルのマーク・コスタCEO)である。しかし、トップがいくら求めても、組織の中に「心理的安全性」がなければ、決して誰も口を開かない。
これを突き詰めていくと、こうした「恐れのない」企業文化に最も重大な影響を与えるのが、トップの仕振りであることが分かる。本書では、これを次のように書いている。
「組織の心理的安全性に最も影響を与えているのがリーダーである。組織の雰囲気づくりにおいてリーダーの影響は多大だ。メンバーはリーダーの行動を通して考え方や価値観を読み取り、自らの行動に反映させる。また時には、リーダーの行動一つで組織の雰囲気が一変してしまうこともある。」
従って、企業のトップはこの点に十分過ぎるほどの注意を払わなければならない。一旦、悪い企業文化が根付いてしまった組織では、最早、CEO一人では「心理的安全性」を構築することができない。CEOが良い企業文化を破壊することは一瞬でできるが、それを再構築するのには長い道のりと努力が必要なのである。
本書のより良い理解のために、エール取締役の篠田真貴子さんのインタビュー『なぜ「心理的安全性」が必要なのか』も、是非、合わせて読んで頂きたい。