『モサド・ファイル』ー中東は対岸の火事なのか

成毛 眞2013年01月17日 印刷向け表示
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モサド・ファイル
作者:マイケル バー=ゾウハー
出版社:早川書房
発売日:2013-01-09
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モサドとはイスラエルの対外諜報活動と特務工作と担当する組織だ。佐藤優氏は「客観的に見て、世界で最も強力な対外インテリジェンス機関はCIAだ。しかし、個々のインテリジェンス・オフィサーの能力においては、イギリスのMI6、イスラエルのモサドのほうがはるかに高い」と評価している。つまり、モサドは現代スパイの総本山のようなものなのだ。

スパイ組織なのだから当然その実体や活動は秘密なのだが、秘密があればそれを知りたいのが人間というものである。これまでにも『憂国のスパイ―イスラエル諜報機関モサド』や『モサド−暗躍と抗争の六十年史』など多数のモサド史を描いた本が出版されている。本書は2010年にイスラエル国内で出版されて以来、70週間もベストセラー入りしているだけでなく、20ヶ国語に翻訳され世界中で読まれている最新のモサド・スパイ列伝だ。この分野の白眉であろう。

著者の1人はイスラエルの元国会議員にしてスパイ小説作家のバー=ゾウハーだ。小説『エニグマ奇襲指令』の著者といえば判りやすいかもしれない。もう1人はおなじくイスラエル人のジャーナリストにしてテレビ局社長のニシム・ミシャル。したがって、本書はあくまでもイスラエルの立場で描かれているのだが、それを差し引いても中東世界の裏面史を知ることができるじつに興味深い読み物に仕上がっている。本書は読み切りの21章で構成されている。21章それぞれに事件や作戦が語られ、モサドのスパイやヒーローが登場する。それでは、その中から少しつまみ食いをしてみよう。

第1章と第2章のヒーローは2002年に57歳でモサド長官に就任したメイル・ダガンだ。ダガンはモサドの生え抜きスパイではない。26歳のときには国防軍大尉で秘密奇襲部隊隊長だった。警戒中の若きダガンはすれ違ったタクシーに手配中のテロリストが乗っていることを発見した。テロリストも発見されたことに気づき手榴弾のピンを抜いて応酬しようとしたが、その前にダガンが飛びつき手榴弾を投げ捨てただけでなく、素手でそのテロリストを殺したという。ダガンはまた海からボートで上陸したレバノン人を装い、PFLP幹部に忍び寄って全員を銃殺したこともある。諜報というよりも工作のプロだったと言える。

それから30年あまり経った90年代後半、モサドは作戦実行能力が低下していた。そこでシャロン首相は30年前の部下であり、すでに退役していたダガンにモサド長官という白羽の矢をあてたのだ。ダガンは強引な手法を非難されながらもモサドを立て直した。そしてダマスカスでのヒズボラ最高幹部イマード・ムグニエの暗殺、シリアの原子炉破壊、レバノンとシリアのテログループ指導者の暗殺など、次々と壮大な工作を成功させたのだった。

この第1章だけでも映画の一本も作れそうである。しかし、そのダガンがモサド長官として諜報世界で真のスーパーマンとなったのはイランの秘密核兵器計画の抹消作戦であった。第2章はその詳細である。90年代のイランは国中にある軍事基地や砂漠の地下に遠心分離器などの核爆弾製造施設を大量に分散建設していた。核爆弾の標的はもちろんイスラエルである。

2005年2月イランのディアレムの核施設が国籍不明機のミサイル攻撃を受けて爆発した。同年、テヘラン郊外の核爆弾起動のための「爆発レンズ」工場も攻撃を受けた。2006年にはイランの秘密施設で最新の遠心分離器の試験運転では式典に出席した人々の目の前で大爆発が起こった。じつはそれら以外にも妨害行為や爆発事件がイラン国内の核施設で頻発していたのである。

攻撃を受けたのは建物や施設だけではない。2010年にはイランの核計画科学部門責任者であるシャフルアリ博士が爆殺された。1台のオートバイが博士の運転する自動車を抜き去りながら爆弾を仕掛けたのだ。シャフルアリ博士だけでなく、核弾頭の起動スイッチの専門家である物理学教授、量子物理学者でイラン核兵器計画の顧問、電磁気学の専門家など多数の専門家がイラン国内で暗殺された。これらの作戦によって、ダガンは少なくともイランの核ミサイル計画を数年は遅らせることができたという。

あまりにも面白いからといって、ここで21章それぞれを要約していくことはできないから、目立った見出しだけでもピックアップしてみよう。第4章「ソ連のスパイと海に浮かんだ死体」。第6章「アイヒマンを連れてこい!生死は問わない」。第10章「ミグ21が欲しい!」。第14章「きょう、戦争になる!」。第15章「アトム・スパイのハニートラップ」。第19章「午後の愛と死」などなどなど、もはやスパイ小説そのままのタイトルであり、しかもその内容もまさにスパイ小説そのままなのだ。

そのなかでも第19章のタイトルはなんと「北朝鮮より愛をこめて」だ。2007年7月、モサドのスパイはロンドンのホテルに滞在していたシリア高官の部屋に忍び込んだ。ノートPCにトロイの木馬を忍び込ませた彼らが知った情報とはシリアの極秘原子炉計画だった。シリアの施設は北朝鮮の専門家によって計画・指揮され、イランから出資を受けていたのである。その事態にダガン率いるモサドがどう対応したかは本書を読んでのお楽しみである。

しかし、面白がっているだけで済ましてはいけない。本書は現在進行中の危うい中東情勢を裏面から映しだしているからだ。「イランと戦争か?」という終章はユダヤの古いことわざで結ばれている。“誰かが殺しにくるなら―立ち上がって、その男を先に殺せ”というものだ。すでにイランは過去の失敗に懲りて、爆撃の影響を受けにくい地下数百メートルに多数の核施設を建設中だという。いっぽうでイスラエルはイランが自国を核攻撃するであろうと信じている。いつイスラエルがイランを先制攻撃しても不思議ではないのだ。

シェールガス革命によって、アメリカ人の中東への関心が薄れると、イスラエルが単独で行動せざるを得なくなり、中東に新たな危機が生まれる可能性がある。その結果イスラエルは第3次中東戦争のときのように戦争を決断するかもしれないのだ。そのような事態になればアメリカの軍事的関心はアジアから中東へと戻ってしまうだろう。結果的に日本は核ミサイルをもつ中国と北朝鮮の前で立ちすくむことになりかねないのだ。つまり、中東はけっして対岸の火事ではないのである。

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