『日本文化論のインチキ』

村上 浩2010年06月16日 印刷向け表示
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採点:★★★☆☆

「日本人は・・・だから」とつい言っちゃう人にはおススメ。「日本辺境論」が好きな人は楽しめる

著者の本を読むのは、世に名作と言われている作品をばったばったとぶった切る「こころは本当に名作か」以来の2冊目。本書でもその攻撃スタイルは変わらない。「日本は特殊だ」と述べる様々な「日本人論」の矛盾、不整合性をこれでもかと突きまくる。日本の中でどのように「日本人論」が展開されたかだけでなく、学問に向かう姿勢やその博覧強記振りにも大変刺激を受けた。

日本文化論のインチキ (幻冬舎新書) 日本文化論のインチキ (幻冬舎新書)
(2010/05)
小谷野 敦

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日本人ほど自国の文化論が好きな民族はいないという話はあちらこちらで耳にするが、その理由を著者は以下のように分析する

日本の読書階層が、通俗小説などに飽きて、知的レベルがある程度まで上がった1970年代に、ことがらを単純化して、日本人とはこういう民族なのだ、と論じるのが、面白くて、出すと売れたから、日本文化論は●生(●は竹冠に族。読み『そうせい』:むらがるの意)したのである。実際の世の中というのは、複雑である。複雑さに疲れた人々が、単純な「論」を求めたのだ。 ※カッコ内引用者

70年代と言えば高度成長期真っ盛りであり、日本人の成功理由を語り合うのは誇らしく気持ちも良かったのだろうか。その後世界2位の経済大国になる日本の「奇跡」の成功は様々な側面から語られたが、当時の説明で今でも説得力のあるものはかなり少ないだろう。人口ボーナスの恩恵も多分にあったのだろうが、それでは皆が満足する物語にはならないのだ。

著者が批判するのは、「日本の極一部だけ」を取り上げて日本を代表させ、それを「西洋だけ」と比較することで「日本は特殊だ」と主張する論者たちだ。

「日本文化論」の多くが怪しいのは、結局それらが扱っている題材(小説や実録)が、こうした、前近代なら公家、武家、豪商、近代ならエリートたちの生活に取材して構成されていることがほとんどだからである。

NHKの朝の連ドラでは戦前の家族の結びつきが強い「中産階級」の古き良き姿を描いてノスタルジーを誘うが、そのような人々はそもそも当時の日本人の平均的姿では全然無いのだ。これは現代に引き伸ばして考えてもすんなり当てはまる。月9に出てくる主人公のOLが住んでいるような部屋を借りることが可能な人間は同世代の1%もいないだろう。

ヌエ的学問(と自らが呼ぶ)である比較文学者である著者には、国史学や前近代の国文学は”とんでも”に見えるらしい。その理由はその道の人たちが吹聴する空理空論にあるようだ。

いわゆる「論文」を見ていると、「地道な実証+おかしな意味づけ」という構成のものが多い。意味づけなどせず、かくかくしかじかの史実があった、とだけ書けばいいものを、どうやら読むほうでも、意味づけがないと落ち着かないらしい。 The Upside of Irrationalityにもあったが、人間はやはり意味を求めないではいられないのだろう。何年も、時には何十年もかけて原典を当たって調べつくした史実に”自分なり”の解釈を与えたくなってしまう気持ちはとても分かる。しかし、学問の世界ではそれは許されない。自分の気持ちを乗せる余地はそこにはないのだ。うーん、やっぱり研究者って大変だ。

他にもヘーゲル、ヴェーバー、河合隼雄や哲学、民俗学についての疑問がぎっちり詰め込まれているので、日本文化論と離れたところにも読みどころ満載である。

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