分子生物学者たちの壮絶な争い『ドキュメント遺伝子工学』

山本 尚毅2013年06月04日 印刷向け表示
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1970年代後半、遺伝子工学という1つの巨大産業が生まれた。

本書はその誕生の場面を切り取った、良質なサイエンスドキュメント。そして、1つの産業をリードするベンチャーの誕生から成功を駆け抜けるストーリーでもある。

サイエンスとビジネス、叡智と欲望が交差する間で、2つの大学と資本金たった1,000ドルのベンチャーが、インスリンという1つの物質の生産を賭け、競い合った。

そもそもインスリンとはどういうものか?ヒトは「体内のインスリン量がゼロ」という状態が続いたら、早くて1~2日で死に至ってしまう。これほどまでに直接的、かつ短期間に生死を揺るがす物質、それがインスリンである。ほ乳類にとって最も重要なホルモンと言われ、それを証明するかのように、インスリン関連の研究に、ノーベル賞が7つ授与されている。

約90年前にインスリンは発見されるまで、糖尿病患者は飢餓療法で餓死するか、糖尿病昏睡で死に至るか、どちらかの選択しかない過酷な運命を背負っていた。インスリンの合成方法が発見された後は、食用肉として屠殺されたブタやウシの膵臓から抽出した動物由来のインスリンが使用された。しかし、動物由来のインスリンは、ヒトが本来持っているヒトインスリンとは完全に一致しておらず、使用した患者には、アレルギー反応が頻繁に起こっていた。さらに1970年代当時、屠殺されるウシやブタの量が減少しており、それと同時に、将来の糖尿病患者の増加が予見され、インスリンの供給と需要のバランスが崩れる見通しが出されていた。

1970年当時、1人の糖尿病患者が1年間に使用するインスリンを生産するには、約70頭のブタが必要だった。ちなみに、現在、世界の糖尿病患者は約3億6,600万人、それに対し、ブタとウシの生産等数はそれぞれ10億頭前後である。もし、遺伝子工学という分野が切り開かれなかったら、世界中がブタとウシで溢れていたかもしれない。不安な先行きが予見された中、分子生物学者にとってのインスリン研究は、普段は日の目を見ない研究と社会への貢献が重なった魅力的なフィールドとなっていた。

話を戻そう。その需給のバランスが崩れることが予見された1976年、遺伝子工学を生み出すきっかけとなる1つのセミナーが催された。当時、科学者と企業がコラボレーションをすることは珍しい時代であったが、リリー社(現イーライ・リリー社)だけは例外で、1922年から大学とコラボレーションを続けていた。その一環で開催されたインスリンセミナーであった。それにしても、イーライ・リリー社が、当時からコラボレーションを推進し、現在、オープン・イノベーションに形を変え、継続していることには驚かされる。

その会議には当時のインスリン研究者が一同に介した。会議が進むに連れて、科学者たちの頭の中に、バクテリアにヒトインスリンを生産させるという、野心的な夢が膨らみはじめた。当時、その計画を実現する技術も入手可能になりつつあったからだ。その場には、後に3つ巴のデッドヒートを繰り広げるUCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)と、ワトソンに誘惑され、物理学から生物学へと転向した天才ギルバード率いる、ハーバード大学も参加していた。

セミナー後に、今後の研究で鍵となるインスリン過剰症のラットを受け取ることができたのは、ハーバードのチームだけであった。UCSFはいきなり出だしで遅れた。しかし、ハーバードには、遺伝子組み換え実験に反対するケンブリッジ市民の声が立ちはだかった。

もう1つのチームはジェネンテック社&COHチーム。飼い猫をワトソンとクリックと名付け、遺伝子工学に欠かせない酵素を発見したボイヤーと、遺伝子組み換えをビジネスにできると考えた革命的ベンチャーキャピタリストのスワンソンが核となるチームである。この2人はセミナーから遡ること約半年前に出会った。たった10分の面会の予定が、3時間の長丁場となり、2人は意気投合し、それぞれ500ドルを出し合い会社を設立した。

ジェネンテックのチームの強みは優秀な人材であった。ボイヤーが優秀な科学者に声をかけ、スワンソンが夢を語り、口説いていく。その一人に日本人の研究者がいた。その名は板倉啓壱、ワトソンの影響を受け、DNAに興味を持つようになった。板倉の後輩にあたるのが、本書の著者である。

研究室では口しか出すことができないスワンソンは、打倒ギルバードを叫び、研究者にとっては邪魔者であった。モットーは、

「やれ。速くやれ。誰よりも速く!」

しかし、彼は資金面で研究者に少しの不安も与えなかった、資金調達という自分の仕事を完遂していたのである。資金が潤沢な環境で、研究者に求められていたのは、何よりもスピードであった。そのスピードに大きく貢献したのが、先述の板倉であった。後にチームのエースとなるメンバーがジェネンテック加入前に、板倉のスピードが勝負の分かれ目になると考えていた。

「やろう!こっちには板倉がいる。誰よりも早くDNAがつくれる。勝つチャンスは十分にある」

さて、どのチームが最初にヒトインスリンをつくったのか?クライマックスを駆け足で見ていこう。

3チームともお互いの動向に聞き耳を立てながら、寝る間を惜しんでゴールに向けて目の前の研究に没頭した。1978年6月、ハーバードは大腸菌にラットインスリンを生成させることに成功した。9月、ヒトインスリンの実験のため、市民の反発が収まらないケンブリッジを離れ、イギリスに向かった。その研究の最中、2つのチームとは異なる行程でヒトインスリンの製造に取り組んでいたジェネンテックが、ヒトインスリンを完成させたのである。

しかし、その後に波乱の展開がある、そこが本書でもっとも興奮する一番の読みどころだ。いずれにしよ、当時10年はかかるといわれたヒトインスリンの開発は、激しい競争の末、わずか数年で成し遂げられたことは激しい競争があったからこそである。

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バイオテクノロジーも研究室から個人の手によるDIYへと進化を遂げている。内藤によるレビューはこちら。

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