コンセプトは”エロうま” - 『キレイゴトぬきの農業論』

内藤 順2013年09月21日 印刷向け表示
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
キレイゴトぬきの農業論 (新潮新書)
作者:久松 達央
出版社:新潮社
発売日:2013-09-14
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂

農家が農業の話をしているだけなのに、まるでスタートアップ系企業のプレゼンテーションでも聞いているかのよう。本書の読書体験を一言で表すと、そんな風になる。

そこにはステレオタイプな農家像に見られるような、寡黙さも清貧なイメージもない。「日本一話のうまい農家」を自負する著者が作り出しているのは「安全」なだけの無農薬野菜でも、「環境にやさしい」だけの有機野菜でもなく、新しい争点だ。 

食の安全をめぐる「有機野菜」というキーワード。この言葉には、多くの人を思考停止にさせる特別なイメージがある。「有機農業だから安全」「有機農業だから環境にいい」。加えて既存の手法へのアンチテーゼ等も手伝い、体に悪い農薬を使ったものか、それともそれを使わない有機野菜か、そこが一つの争点となってきた。同じような光景は、農業に限らず他の分野でも見られるものだろう。

だが著者は、このような議論を二周遅れと切り捨てる。現在の農薬規制の水準は高く、農薬=危険ではないし、環境問題においても有機農業があらゆる指標で良いとは言い切れないのだという。これを有機農業を実践している人物が語っているというところがポイントだ。 

本質的なのは、何のために野菜を食べるのかという視点である。ただ、体に良いから頭で食べるということだけでは食の魅力として乏しい。そうして考え出されたコンセプトが「エロうま」というものであった。野菜というとヘルシーでやさしいイメージが先行するが、やみつきになる力強いウマさでお客さんを喜ばせたい、思わず体が欲してしまうようなヤバい野菜を提供したい、それが著者の思いである。

野菜には、美味しさの三要素と呼ばれるものがある。栽培時期、品種、そして鮮度。著者の感覚では、この三要素で8割方決まるそうだ。その際に重要になってくるのが、「適した時期に適した品種を健康に育て、鮮度良く届ける」ということ。この目的達成を模索する中で辿り着いたのが、消費者直販の有機農業というスタイルであった。

現在、著者は総勢6名のスタッフとともに、3ヘクタール強の畑で年間50品目という多種類の野菜を露地で育て、個人の消費者や飲食店に直接販売を行っている。それは最初は持たざるものの苦肉の策として始められたものなのかもしれない。しかしこの選択が、著者を野菜のクリエイターであるだけでなく、マーケッターでもあることを可能にした。最大の魅力は、その自由度の高さにある。栽培から販売まで手がけることによって、幅広く手を打つことが出来るのだ。

音楽、書籍等の例に漏れず、食の分野においても嗜好の細分化は著しい。ここに野菜オタクとしての知識をフルに活かして、珍しい野菜を投下する。たとえば収穫期が短くて作りにくいとされる”みさきキャベツ”や”カーボロネロ”(黒キャベツ)といったようなもの。戦略的にニッチな野菜を作ることで、インバウンドな顧客の獲得を目指しているのだ。さらに顧客を呼び込んだ後は、ひたすらPDCAサイクルを回す。小規模多品目に展開する野菜を、コンテンツ的なものとして取り扱っているのが印象的だ。

「伝えることも農業」というポリシーを持っている点も興味深い。提示の仕方によって、同じモノでも価値は変わる。野菜の見せ方や加工品の開発など、文脈の提案もまた農業の一部と捉え、思いや関係性を想像させるためのコンテキスト付与に余念が無い。彼が目指している方向性の一つは、「会話がはずむ野菜」。それが結果的に産地ではなく、個人名で売るためのセルフブランディングにつながっている。

小規模・多品目・直販・有機。いずれも生産効率が悪そうな要素である。だが、栽培の合理性を切り捨てたからこそ、栽培以降の工程、とりわけコミュニケーション領域にエッジを作れたとも言える。昨今のWebサービスの趨勢を見ても分かるとおり、技術レベルにそれほど差はなくても、ちょっとした使い勝手や、コミュニケーションレベルの違いで大きな差がつくことは多い。要は経営者がオタクで、しかもコミュニケーションが上手いのだ。そういった観点からも、本書の著者は、起業家ならぬ起"農"家の一人として注目に値する。

家庭菜園の普及などから考えるに、農業の面白さを実感している人は多いことだろう。花鳥風月を愛でながら、成長のプロセスを見守ることは、誰にとっても楽しいものである。だがその多くは、趣味としてのものに過ぎない。家庭菜園の延長線上に位置するような規模感であり、かつビジネスとしての農業の面白さを語っているという点に、本書の価値がある。

マーケティングの潮流は、狩猟型のものから農耕型のものへと、ここ数年で大きく変貌を遂げた。ゆえに農業を営む者が、農業の論理をきちんと突き詰めてマーケティングを実践すると、最先端のものになる。この事実に気付いた時、本書の面白さは後からジワっと広がった。滋味あふれるとは、こういうことを指すのだろう。 

代替医療解剖 (新潮文庫)
作者:サイモン シン
出版社:新潮社
発売日:2013-08-28
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂

「ナチュラル」「トラディショナル」「ホーリスティック」。これら3つのキーワードが出てきたら、むしろ実質を伴わないイメージ戦略ではないかと疑ってみた方がよいそうだ。代替医療の有効性と安全性を追求した名著。訳者あとがきはこちら 

ロジカルな田んぼ (日経プレミアシリーズ)
作者:松下 明弘
出版社:日本経済新聞出版社
発売日:2013-04-09
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂

HONZで勢力を拡大している「虫派」への登竜門。土屋敦のレビューはこちら

記事へのコメント コメントする »

会員登録いただくと、記事へのコメントを投稿できます。
Twitter、Facebookにも同時に投稿できます。

※ 2014年3月26日以前にHONZ会員へご登録いただいた方も、パスワード登録などがお済みでない方は会員登録(再登録)をお願いします。

コメントの投稿

コメントの書き込みは、会員登録ログインをされてからご利用ください。

» ユーザー名を途中で変更された方へ
 変更後のユーザー名を反映させたい場合は、再度、ログインをお願いします。

ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
作者:
出版社:中央公論新社
発売日:2014-10-24
  • Amazon
  • Amazon Kindle
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • HonyzClub

電子版も発売!『ノンフィクションはこれを読め! 2014』

HONZ会員登録はこちら